モ5805+モ5652(2両ユニット改造前)/(42-10-14) 道明寺
関 三平氏の「昭和の電車」は、年が明けて阪急201+251から始まり、阪神1001形と続き、今回は近鉄南大阪線のモ5801形の流線形モ5805・5806であった。
元々鋼体化改造車は「羊頭狗肉」の最たるものであるが、近鉄の場合は、極力お金をかけずに流用可能な部品はすべて流用したためスタイルは今一であったが、最初からショートリリーフと割り切れば、目的は十分達成したと言えるだろう。
モ5801形
南大阪線の前身、大阪鉄道が大阪天王寺~河内長野間の電車運転開始時、デイ1形として大正12年川崎造船所で13両新製された。
昭和7年デイ2、14年デイ12は、事故復旧時に鋼体化改造され、18年関西急行合併時の改番でモ5601形となり、デイ1→モ5601、デイ3~11→モ5603~5611、デイ13→モ5602に、鋼体化改造車はモ5612形となり、デイ2はモ5612、デイ12はモ5613となった。
戦後24年にモ5607が火災に遭い、復旧時に鋼体化改造され、モ5631形モ5631となった。
木製車体のまま残った10両は、30年と31年に近畿車両で鋼体化改造され、モ5801形となり、モ5601~5606→モ5801~5806、モ5608~5610→モ5808~5810、モ5611→モ5807となった。
鋼体化改造車でも奈良線のモ460形は、当時標準色のダークグリーン1色であったが、モ5801形は、車体のみであるが新車をアピールするため、関 三平氏のイラストの通りマルーンとクリームのツートンカラーであった。34年に標準色になったが、快速「かもしか号」に使用するモ5805+モ5808+モ5806は淡緑色に塗られた。尚、快速「かもしか号」は、35年に転換クロスシートのモ5820形(モ5821~5824)に置き換えられた。(モ5820形は、とんでもなく複雑怪奇な経歴も持ち主で、関 三平氏から紹介があれば解説したい)
30年に改造されたモ5801~5804は、奈良線モ460形の一部と同様、運転台側正面2枚窓であったが、42年から44年にかけて貫通扉が設置された。31年に改造されたモ5805~5810の内、モ5805と5806の2両は、張上げ屋根で当時の奈良線特急車800形類似の流線型正面2枚窓、モ5807~5810は、張上げ屋根で正面貫通扉付であった。奇数車は吉野向き、偶数車は阿倍野向きで運転台寄りにパンタが付き、元吉野鉄道の木製車デハ二100形→モニ5161形を鋼体化改造したサ5701、5702の2両を合わせた12両で、M+T+M×2本、M+M+M×2本を組んだ。ちなみに関 三平氏のイラストはモ5805+モ5808+モ5806である。(単独Mのため固定編成ではなく、中間車を外した2連のこともあった)
41年頃から奇数車+偶数車の2両ユニット化改造が行われ、モ5801+モ5802、モ5803+モ5804、モ5805+モ5810、モ5807+モ5806、モ5809+モ5808の2両固定編成となり、パンタグラフの奇数車連結面への移設、偶数車の撤去が実施された。
新型車の増備により、46年に養老線に転属して主力として活躍したが、モ5801、5802、5805~5810が54年、モ5803、5804が55年に廃車になった。
モ5801/ (42-8-20) 古市
モ5801+モ5802+モ5803+モ5804 /(45-10-4) 西大垣
モ5802/ (42-8-20) 古市
モ5804+モ5803+サ5945+クニ6484 (旧大鉄、三重交通、伊勢電の混合編成) / (46-7-25) 西大垣
モ5804/ (52-1-1) 大垣
モ5804+5803は、窓枠のアルミサッシ化が行われた。
モ5805+モ5810+モ5651形×2 /(43-8-25) 道明寺
モ5805+モ5810+モ5807+モ5806 /(45-10-4) 西大垣
モ5806+モ5807+モ5651形×2 /(42-8-20) 古市
モ5806+モ5807+モ5810+モ5805 /(45-10-4) 西大垣
モ5806+モ5807+モ5651+ク6508 /(46-7-25) 西大垣
南大阪線でありそうでなかった編成。
モ5808+モ5809+サ 5931+クニ6484 (旧大鉄、三重交通、伊勢電の混合編成)/ (46-7-25) 大垣
サ5701形
吉野鉄道が電化時に大正10年川崎造船所で新製されたデハ二100、101は関西急行合併時にモニ5161形、モニ5161、5162となり、30年近畿車両で鋼体化改造され、サ5701、5702となった。但し、モニ5162→サ5702は書類上で実際には、下記のサ5702の解説の通りである。
モ5801形のように養老線に転属することなく46年に廃車された。
サ5702/(46-6-6) 古市
書類上はモニ5162の鋼体化改造車で、モニ5162の電装品は伊賀線のクニ5432(元吉野鉄道ホハニ112/大正12年川崎造船所製)に取付け、モニ5171に改造されたことになっているが、実際にはモニ5162が伊賀線に転属してモニ5171に改番され、クニ5432がサ5702に鋼体化改造された。
関 三平氏の「昭和の電車」からモ5801形とサ5701形を解説したが、両形式合わせて12両と少数派ながら、大型のモ6601形やラビットカーと伍して、各駅停車から快速まで幅広く活躍した。モ2201形のように話題に上るような電車ではなく、最後は養老線でひっそりと半世紀以上に亘る活躍の幕を閉じた。
南大阪線のモ5800形は河内松原在住のころ よく乗っていました。5800形10両と5612形2両、5651形10両、5700形2両の小型車グループ24両で、4連での本線運用と2連の道明寺線と荷電の運用についていました。小型車4連は大阪阿倍野橋~御所間の準急によく使われていました。ウエスティングハウス75KWモーターは「かもしか」5820形も含めて小型車共通で軽快な走りっぷり、大型車の6601形の重々しい走りとは対照的でした。5805と5806は当線唯一の湘南顔の電車で必ず先頭に出ることでもあり目立つ存在でした。なつかしく思い出します。
なんとブサイクな顔ですね。
特に貫通扉の付いた顔はひどいもので、早川師匠なら「京阪の500よりオカチメンコ!」と叫ぶでしょう。
京都で見られなかったのが残念です。