第1・2日目 12月23日、24日
① 長岡天神5:09(阪急)→南茨木(モノレール)→大阪空港
② 伊丹7:06(JL102)→8:10羽田9:10(JL023)→12:20北京
③ 北京空港17:20(Bus)→18:40北京站20:27(Z79次)→翌日7:28大連
いつもと同じルートで北京空港に降り立ちました。そして今日は、いつもと違って空港内にあるという鉄路切符売場で、今晩乗車する大連への列車切符の購入しなければなりません。
切符売場は、2012年11月15日に設置されたのですが、インターネットで調べてもまだ行った人の記事はなく、私も分かりません。いったいどこにあるのかと調べていくと、国際線第3ターミナルの4階にあるらししとのニュース記事がありました。しかし、到着ロビーなら分かりますが、搭乗するための出発ロビーとは解せません。ダメなら駅で買えばいいやと探してみました。▲ 4階出発ロビーの見取図です。情報ではL22カウンターにあるはずです。13:02、2階到着ロビーからEVで4階に上がり、L地区のカウンターに行きますと、直ぐに見つかりました。
【北京空港第3ターミナル内の鉄道切符売場への行き方】
日本から飛行機で着かれた方は、入国審査を済ませて預け荷物を受け取った後、出口を出て右側に約80m行ってください。4階直通エレベータまたはエスカレータに乗って4階へ、降りましたらもうL地区の看板が見えます。チェックインカウンターが並ぶ横を通過してロビーの端が切符売場です。
▲ しかし、窓口には誰もいません。隣の航空会社カウンターのお嬢さんに聞いても、「不知道」です。どうやら時間からして、お食事中のようです。
「〇〇時まで休憩中です。」とかの札でも出しておいてくれれば済む話ですが、ここは中国です。そんな客の身になっての事など考える人民はいません。口座のある銀行に行って。両替と入金をして後は、PCを立ち上げての時間つぶしです。
窓口のお嬢さんが戻ってきたのは、約1時間後の14時過ぎでした。
▲ 買った切符は、今晩乗る大連までのZ79次と、明後日大連からハルピンへと乗車するD1309次です。左側は、10元の領収書です。中国鉄路では、乗車駅の駅窓口以外で切符を購入した際には、1枚5元の手数料が必要です。
今日乗る長距離列車の切符を当日買えるなんて、まず中国鉄路ではありえませんが、Z79次は、軟座寝台専用列車でいつもはガラガラで走り当日の切符を買えるのは、インターネットの残席情報でも確認済みでした。大連からハルピンへのD1309次は、12月1日に開業したばかりの極寒の地では初めての高速鉄道の哈大高速鉄路を走ります。
残席情報では、この1等車の切符は売り切れと出ていましたが、ここでは買えました。残席情報は、最も信頼性が高いと思っていましたが、やはり中国です。信頼する方が間違っていました。
【運賃改定の余波】
今回は、切符購入には泣かされました。まず戸惑ったのは、1月1日発からの切符発売日の変更でした。
中国鉄路の切符は、当日を含んで12日前からインターネット購入と電話予約が開始されて、10日前から窓口で受け渡しと購入ができるようになります。ところが。1月1日から運賃改正が行われ、その関係で、1月1日発の切符はインターネット・電話予約を含んで、異例の8日前の25日からの発売に変更されていました。通常なら、明後日25日に1月3日のチチハルから古蓮までの切符が買えるのですが、確認すると26日と言われました。切符の販売日が目茶苦茶になっていました。
運賃改正は、何と値下げです。今までは、運賃に2%の保険料が含まれていたそうですが、これが撤廃となりました。運賃に保険料が含まれていたとは初めて知りました。わずかな値引きになりますが、切符販売のコンピュータプログラム変更と、窓口の混乱を避けるために切符販売日の調整が必要だったようです。
しかし、2012年末には総延長約11万キロに達しようとしている中国鉄路です。これを末端まで上手くいかせるには、周到な準備と緻密な作業が必要になります。今の中国鉄路では、どう考えても完ぺきに実行するのは、まず無理と考えます。そして予測通り各地で切符販売日は混乱を引き起こして、後の日程に大きく影響しました。
▲ 17:20、今日は時間がありましたので、北京站まで16元(空港快速・地铁なら28元)で行けるリムジンバスにしましたが、道路渋滞による遅延は予想以上で、1時間20分もかかりました。定刻の倍の所要時間ですね。でも地鉄の乗換なら荷物を階段で上下と、持たなければなりませんので、助かりました。
▲ 19:06、站内食堂に入って、チェーン店での夕食です。小龍包13元(約170円)、牛肉麺22元(約290円)と、一般食堂と比べると高いですね。ビールはKIOSKで買って乗り込みました。
室内はZ列車だけあって、清掃も行き届いています。電気コンセントも通電しており、快適な旅の始まりでした。
同室は、大連に帰るというおばちゃまと2人でした。親日家で日本は素晴らしい国です。私の子供も日本人と結婚して今、東京に住んでいます。早く日中間の関係が良くなって欲しいと熱く語ってくださいました。
▲ 大連に着く前に車内販売で朝食を買いました。お粥定食で15元(約200円)でした。久しぶりの大连です。今日は一日、路面電車に乗って撮ってを三昧します。
勝利広場近くの168ビジネスホテルにチェックインして、しばし休んだ後に出かけました。
▲ 12:12、駅前に戻りますと、201系統の旧日本車両製の標準型がやってきました。以前はこの辺りにホームなしの大連駅前停留所がありました。海之韻公園までを旧203系統が折り返していたのですが、今は大連站正面に新しいホーム站ができて、興工街まで直通運転となり、202系統と連絡します。
▲ 大連站が隠れてしまいましたが、駅前を海之韻公園能面へと向かう旧型路面電車です。
▲ 乗車して202系統と連絡する興工街へと向かいました。以前は、旧日本車両やLRTが投入されていませんでしたので、私的には斬新な光景でした。
▲ 約25分で終点の興工街に到着。
電車は、ここで折り返しとなります。ポイントは手動ですので、車掌さんが降りて切り替えます。ちなみの大连の路面電車の運転手、車掌とも以前と変わらずの全員女性です。
▲ 反対側車線に移動して、大連站方面へと戻っていきました。ここからは、202号系統に乗り換えです。
▲ 202系統に乗り換える頃には、粉雪が舞ってきました。マイナス5℃の世界です。
202系統は、2000年から導入されたLRT一色で運行されています。以前に走行していた車両は、长春へと配置転換されました。
2000年、20001年、2004年当時の以前の走行光景については、こちらの写真館をご覧ください。また、こちらにも掲載があります。
▲ 大连の繁華街「興工街」を出発すると、解放広場までは道路併用軌道を走行しますが、終点の小平島までは、立派な専用軌道になります。約5分間隔で運行されていますので、待つこともなく気軽に乗れますので、利用客は多く路面電車ファンとしては、頼もしい限りです。
▲ 13:50、「興工街」からは、12.5キロを約40分で到着しました。表定速度は、18.75km/hです。最高速度は40~50km/hに抑えられていますが、路盤は良いのでもう少しスピードアップしても良さそうに思えます。また併用軌道は、早く自動車の軌道内乗り入れを禁止すべきです。市内交通機関として、より多くの利用客を求めるなら、到達時間の短縮も必要と思います。
▲ 帰りは雪も止んで日がさしてきました。始発時は座席が満席になる程度でしたが、直ぐに立ち客も多く出るようになりました。何度も来ていますので、益々盛況になってきているなあと感じます。
戦前と比べますと、一時は路線が短縮、廃止されましたが、今は延伸されています。中国の各都市では、遅れていた都市交通網の建設ラッシュが続いておりますが、路面電車も1つの交通手段として採用されています。今は、この大連と長春、天津、上海の4都市のみですが、今後訪れる都市が増えそうですね。
、▲ 15:03、再び201系統の興工街に戻ってきました。大勢のお客がお待ちでした。
▲ 大連駅前に戻り、そのまま海之韻公園方面へと向かいました。 ご覧の通り道路併用軌道は、車でぎっしりです。しばらく行くと、少し車は減りましたが、折り返す華楽広場までは約1時間近くもかかってしまいました。
▲ 16:01.華楽広場です。201系統はこの先まで路線は延伸されていますが、多くはここで折り返します。安全島がない停留所ですので、電車が来てから道路を横断して乗り込まれていました。
▲ 夕暮れが近づいてきましたので、大連駅へと戻ることにしました。復路は、ラッシュにも巻き込まれて約40分以上を要しました。都市交通では、1~2名しか乗っていない車の通行を制限しないと、限られた幅の道路は、多くの人たちにとって時間の浪費を招くのは明らかです。ラッシュ時は車を混み合う中心部に乗り入れさせない抜本的な対策が必要と改めて思いました。
▲ 16:47、夕闇迫る大連駅前です。大連は遼寧半島南端部に位置し、総人口は約600万人。唐代は小さな漁村でしたが、19世紀にロシアにより開発が始まり、日露戦争後は日本に引き継がれました。
大連站は、1903年ロシア時代の東清鉄道の支線として開業された駅で、現在の駅舎は1937年満州国時代に上野駅をモデルに建築されました。
大連の路面電車は、南満州鉄道の小会社である「大連都市交通㈱」により、1909年9月25日に大連埠頭から日本橋を経由して電気遊園前を開業したのが始まりです。
開業当時の車両数は30両で、その後延伸や新路線が開業し、1927年には総延長67.0キロ、車両数は1937年には132両に達したそうです。
特徴的だったのは、特等・並等の合造車があって、クロスとロングシートに分かれていいました。また、日本からの中古車(京都市電広軌1形、京王23形)も送られました。
▲ 大連站2階の待合室です。站正面の反対側に軽軌の駅ができ、大連站もリニューアルされました。
哈大高速鉄路が開業しましたが、この駅からではなく新たに北駅が建設されています。
左は、今夜の夕食です。普通の中華料理店ですが、醤油麺とのメニューがありましたので注文しましたら、日本風のラーメンがでてきました。中国の登録された在留日本人数では6,175人(2011年10月調査、実際には約2倍と言われています。)と、5番目に多い大连です。日本料理もたくさんあります。
明日は、哈大高速鉄路に初乗車して、ハルピンを目指します。大连は駐在時代にもよく来た町で、夜の散歩も問題ありませんが、体力温存のためにも早くに就寝しました。 Part 2 へ続く