【33054】三岐鉄道北勢線立ち寄り記

東員走行
東員~大泉間を走行する クモハ272+サハ147+クモハ172

2月28日名古屋での所用が午前中に片付いたので三岐鉄道北勢線を訪れた。同線を訪れたのは2回目で、前回は何と半世紀近く前の京阪沿線の高校時代、昭和40年5月9日である。

手早く昼食を済ませて近鉄名古屋駅から12時1分発松阪行急行に乗車。電車は5200系4連+1810系2連の6両編成であった。「この電車は伊勢中川で大阪上本町行急行に連絡します」のホームのアナウンスを耳にして名阪連絡急行が健在であることを再認識した。実際に伊勢中川では1分接続で上本町には15時14分に到着する。桑名には僅か20分で到着して暫くホームで撮影後、北勢線西桑名駅に行き「三岐鉄道1日乗り放題パス」を購入した。1日かけて両線を往復すると完全に元が取れるが、今日は阿下喜往復のみである。それでも行きは阿下喜まで直行し、帰りに東員で途中下車したため、通常運賃は460円+300円+300円=1060円となるため元は取れた。

13時5分発の阿下喜行に乗車。クモハ273+サハ142+サハ136+クハ141の4両編成で学校帰りの高校生でほぼ満席であった。在良で上り電車クモハ276+サハ135+クハ134と交換、次は東員で上り電車クモハ272+サハ147+クハ172と交換と車両振替えがあり全員下車。乗ってきた電車は車庫に引き上げ、替わりに入線してきたクモハ271+サハ146+クハ171に乗車。ここまで来るとさすがに乗客は少なくなりローカル線の風情となってきた。楚原でクモハ277+サハ201+サハ101+クハ202の連接車編成と交換して1時間丁度で阿下喜に到着した。
阿下喜駅では美しく整備された元モニ226が保存展示されており感激した。帰りは楚原で降りて「めがね橋」で撮影しようとも思ったが、今回は車両中心に撮影して半世紀の空白を埋めることと連接車を撮影したかったので東員で降りた。ここは阿下喜方面の電車が綺麗に撮影可能である。約1時間撮影後再訪を約して西桑名行電車に乗車した。

北勢線が近鉄から地元の三岐鉄道に経営移管後、電車の増発、駅の統廃合、駅舎の改築、パーク&ライド、キス&ライド施設の設置、車両の冷房化等乗客を増やすための様々な努力は大いに評価できる。近鉄時代減少が続いた乗客数は微増に転じているが赤字解消にまでは至っていないようである。
現在の最高速度45㎞/Hを70㎞/Hに引き上げる計画で、車両の工事は完了しており地上の工事が進められている。

平成15年4月1日、三岐鉄道は地元自治体と10年間の約束で近鉄から運営を引継ぎ、今年3月末で10年が経過した。4月1日より10周年の記念乗車券の発売、電車にヘッドマークの取付け等が行われており、約束期間満了により廃止ということにはならない。次の10年こそが正念場で、今後いかにして定期外客を増やすことが課題となるが、「軽便鉄道」と東員以遠の自然を売り物にすることにより可能と思われる。銚子電鉄やひたちなか海浜鉄道のように東員~阿下喜間を旅行会社のバスツアーコースに組み込んで集客するのも一案である。そこで一旦ボツになった下津井電鉄の「メリーベル号」の活用も是非検討をお願いしたい。

車両について
電動車(クモハ)9両、制御車(クハ)5両、付随車(サハ)11両在籍し、3両固定編成4本、4両固定編成3本に組まれている。
編成は下記の通りである。(斜字は冷房車)
←阿下喜
クモハ271サハ146クモハ171
クモハ272サハ147クモハ172
③クモハ273-サハ142サハ136クハ141
④クモハ274-サハ144サハ137クハ143
⑤クモハ275-サハ138クハ145
⑥クモハ276-サハ135-クハ134
⑦クモハ277-サハ201-サハ101-クハ202

撮影した車両を中心に解説する。
クモハ270形(271、272) クモハ273形(273~276)
クモハ277形(277) クモハ170形(171、172)
近鉄時代の昭和52年北勢線近代化のため、モ270形(271~276)6両、ク170形(171、172)2両が近畿車両で新製された。従来電動車が付随車を牽引して終着駅で電動車を先頭に付替えるスタイル(機回し)から、電動車を阿下喜側、制御車を西桑名側に連結することにより機回しが不要になった。制御車の不足分は付随車の改造で補った。
平成2年に1本残っていた旧形車を置換えるためモ277が増備された。座席が阿下喜向き1人掛けのクロスシートとなり方向幕の幅が広くなった。

三岐鉄道移管後、モ271(17年5月)、272(18年6月)の運転台寄り動力台車をク171、172の連結面の台車と振替えられ自重の分散化が行われ、称号がクからクモハに変更された。
18年8月にクモハ272編成、12月にクモハ271編成が冷房化された。冷房装置が室内に置かれたためその部分の窓が埋められルーバーが設けられた。
クモハ273~277は連結されているクハが改造車のため、台車の振替え及び電装品の搭載が不可能で、冷房装置を搭載すると重量オーバーとなるため、連結相手のクハとサハのみに搭載され自車への搭載は見送られた。そのため、クモハ273~276と車内の仕様が異なるクモハ277は別形式となった。
また、クモハ276、277編成は現在のところ冷房化はされていない。


クモハ271/阿下喜
モハ271編成
クモハ274/東員
モハ274
クモハ276/東員 この編成は全車両冷房化されていない。
モハ276
クモハ277/東員 連接車と編成されているが全車両冷房化されていない。
モハ277
クモハ171/上:楚原  下:阿下喜
クハ171
クハ171-2
クモハ172/東員
クハ172

クハ130形(134) サハ130形(135~137) サハ138形(138)
三重交通時代の昭和29年に新製され、三重線(湯の山、内部、八王子線の総称)で使用されていたサ360形の364~368が前身で、近鉄合併時の改番でサ134~138となり、35年から36年にかけて北勢線に転入して三岐鉄道に移管された。
近鉄時代のサ130形の画像は、1月27日【29053】「近鉄と合併前後の内部・八王子線」にサ131とサ132が掲載されているので参照いただきたい。
52年北勢線近代化時の改造で134と136に運転台が設置された。平成2年以降136は平成3年に再度付随車化、上段Hゴム支持下段上昇窓のユニットサッシ化等が施行された。サハ136~138は19年~21年にかけて冷房化され、クハ134、サハ135も冷房化の予定である。
サハ138は台車が異なるため別形式となった。
クハ134/東員
クハ134
サハ135/東員
サハ135-2
サハ137/東員
サハ137-2

クハ140形(141、143、145) サハ140-1形(142、144)
サハ140形(146、147)
三重交通時代の昭和35年から37年にかけて三重線用に新製されたサハ2001~2007が前身で、39年4月にサ2003~2007、40年3月サ2001・2002が北勢線に転属し、近鉄合併時の改番でサ140形(141~147)となった。
三重電鉄時代サ2001の画像が【29053】に掲載されているので参照いただきたい。

52年北勢線近代化時の改造で141、143、145は西桑名側に運転台が設置され、モ270形と固定編成に、142、144は阿下喜側に設置され増結用になった。三岐鉄道移管後、平成5年に142と144の運転台が撤去され、3両編成のモ273編成とモ274編成に組み込まれた。その際形式をサ140-1形に変更した。
18年から21年にかけて全車両冷房化された。
クハ143/東員
クハ143-2
サハ144/東員
サハ144-2
サハ146/阿下喜
サハ146-2

クハ200形(202) サハ200形(201) サハ100形(101)
三重交通時代の昭和34年に三重線用に新製されたモ4400形(4401M₁-4401T₁-4401M₂)が前身で3車体固定編成の連接車であるが3車体で1両扱いであった。
駆動方式は垂直カルダン、SMED電空併用のブレーキを持つ高性能車であった。
三重電鉄時代の昭和39年3月23日湯の山線改軌により同年4月30日北勢線に転属した。近鉄合併時の改番でモ201-サ101-モ202となった。垂直カルダン駆動の保守に難点があり、46年に電装解除されサ201-サ101-サ202となり、モニ220形の非牽引車となった。52年北勢線近代化時の改造でサ202の運転台復活とサ201に貫通化が実施された。モ277と組んで北勢線で最も人気がありポスターにもよく登場している。現在のところ冷房は付いていない。
クハ202/上:楚原  下:東員
クハ202
クハ202-2
サハ201/東員
サハ201
サハ101/東員
サハ101-2

モニ226(保存車)
阿下喜駅に隣接する軽便鉄道博物館に保存展示されている。昭和6年北勢鉄道電化時に日本車輌で新製した。(6両新製され旧車号モハニ50~55→モニ221~226)
昭和58年に廃車となり四日市市スポーツランドで保存されていたが、平成19年12月に当地に移設された。
モニ226
モニ226-2

阿下喜駅
阿下喜駅

東員駅
西桑名、阿下喜間のほほ中間地点にあり、当線の中枢機能である運転司令室が設置されている。東員町のコミュニティバスが昼間1時間間隔で三岐線の北勢中央公園口駅を結んでおり、掛け持ち撮影時に利用できる。(停車中のバス)ちなみにバスの運賃は100円である。
東員駅

「みんなで守ろう北勢線」のポスター/クハ202編成の写真が使用されている。
ポスター

昭和40年5月9日の北勢線
京都駅7時26分発普通列車新津行で出発、草津8時31分発柘植行、柘植で9時37分発四日市行(始発は奈良)に乗り継ぎ四日市に10時40分に到着。バスで近鉄四日市駅に行き内部行に乗車。内部と日永で撮影して四日市に戻り、6440形2連の名古屋行準急で桑名へ、西桑名から3両編成の阿下喜行に乗ったが満員であった。七和、穴太、北大社と進むにつれて車内が落ち着き阿下喜に到着した。直ぐに折返して蓮花寺で下車、次の西別所まで撮影しながら歩き、帰りは桑名から名古屋に出て準急「比叡」で帰った。

モニ222/西桑名 当時、車庫は西桑名にあった。
モニ222

モニ226/西別所~蓮花寺
モニ226現役

モニ221/後ろに貨車を連結した混合列車
モニ221混合

モニ220形+サ140形×2の西桑名行/サ140形同志は貫通幌があり貫通扉はバネで戻るものであった。
サ140他3連

モニ220形+サ140形×2の阿下喜行
サ140他-2

モ202+サ101+モ201の西桑名行 /下のモ201は上が切れているが無いよりマシと思っていただきたい。
モ202
モ201

当時、昼間の運行は全列車西桑名~阿下喜間30分間隔であった。現在の昼間の運行は西桑名~楚原間30分間隔、楚原~阿下喜間は1時間間隔である。近鉄時代は楚原行が北大社行で、北大社~阿下喜間は2時間間隔が空く時間帯があったが、三岐鉄道移管後北大社行が楚原まで延長され、阿下喜行も増発されてダイヤは大幅に改善された。

名古屋から阿下喜まで桑名での乗り継ぎが良ければ1時間半程度で到着する。沿線人口は比較的多く、名古屋、四日市への通勤、通学路線としての役割を果たすことは十分可能である。今後いかに乗客(特に定期外客)を増加させるか知恵を絞っていただき、いつまでも北勢線が走り続けることを願っている。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

wp-puzzle.com logo

このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください