京王帝都現役時代5000系

関東でも最も貧弱で軌道イメージの残っていた京王帝都を他社並みにイメージアップさせた車両として有名で井の頭線3000系に続き連続ローレル賞受賞(京王はその後ローレル賞なし)した車両である。そのスタイルと1968年製造車両からロングシート通勤タイプ車両としては始めて冷房を装備したこともあり「関東の名車」とよく言われるが特に新機軸はなく経済車である。ただ、趣味的に見ると実に多様性に富み、車体巾が2種、モーターも110KW、130KW、150KWの3種があり特に110KWは2700系のものを流用した吊り掛け式であった。台車、冷房装置も試行錯誤の時期であったのか多種多様で数えきれないほどであり編成ごとに特徴があった。ハンサムなこの車両も関三平先生が最近発表された名鉄5200系とよく似た顔でこちらの方が製造も早くその顔をどのようにもらったのかもらっていないのか真偽のほどはわからない。その関先生の描かれた京王帝都5000系にはヒゲがついている。当初ヒゲつきは1967年の撮影では見られたが翌年にはなくなっているので登場後4年間くらいついていたものと思われる。

 

1967.7.9 明大前 特急京王八王子行きヒゲ付きの5779~5703

5070系はその後5100系と形式が変更されたためこの5779は5859と変番され、さらに海を渡って伊予鉄766となった。明大前のこの風景は現在もあまり変化がない。▼s-67.7明大前5779~5703特急京王八王子

 

1970.4.5 高尾-高尾山口間の単線区間を行くヘッドマーク付き列車

最盛期の5000系の姿で集中冷房の5769の全面にはハイキングPRの「高尾」のヘッドマークがついている。なお、もう一つ京王八王子行き特急には「陣場」というマークがついていたが、割愛させていただく。

s-70.4.5高尾5769

 

1970.12.4 夕暮れの中河原-聖蹟桜ヶ丘間を行く特急京王八王子行き5000系

よく見ると前4両が冷房車で後ろ3両は非冷房の5100の3連である。この頃は冷房改造車も続々登場し、車両もバラェティ-に富んでいた。この写真はレイルNo79「多摩川をめぐる鉄道風景」の再掲載である。▼s-70.12.4聖蹟桜ヶ丘5000系

 

1996.12.1 布田   新宿に向かうイベント列車の5722

支線の動物園線を最後に引退し、本線で行われた5000系ラストランの姿でヒゲを復活。5722はその後直ぐに高松琴平電鉄1106となった。尚、5125の編成がその後も事業用車として残っていた。▼s-96.12.1布田5722

6 thoughts on “京王帝都現役時代5000系

  1. 関西在住の小生には申し訳ありませんがあまり馴染みがありません。しかし当時いささかドロくさい(失礼!)デザインが多かった関東私鉄車にあって、その洗練されたデザインと塗色をピク誌で見て大いに驚くと共に、比較的短距離の京王帝都なる会社をしっかりと認識したことでした。
    のちに同車に搭載された分散型クーラーと同じものが京阪2400系に採用され、兄貴分のような気がしてさらに親近感が沸きましたね。あのクーラーがなければ2400の誕生が、関西初の冷房通勤車にはなっていなかったかもしれません。恐竜の背骨のようなクーラーの連なりが印象的でした。
    地方へ転出してまだ頑張っているのはやはり名車の故でしょう。2400もまだ頑張ってますが。

  2. 1900生様
    そうですね。京阪2400系の分散型冷房車の屋根は京王5000系のそれと同じようでした。澤村さんが年賀状に京王5000系の正面を描いてくれたことを思い出します。カーブの多い、例えば多摩川を渡って右にカーブして聖蹟桜ヶ丘に進入するところは木津川(?)を渡って八幡市に進入するする京阪電車の雰囲気に少し似た感じがあり、車長の短い京王5000系を中書島~橋本あたりを走らせてもらえれば面白いだろうなと一人想像したことがあります。八幡町~橋本は3人で撮影に行ったことがありますね。コメント有難うございました。

  3. 準特急先輩
    デカンショまつり号です。
    京王5000系は、私の鉄道趣味の原点というべき車両です。
    私事ですが、1970年から75年まで父の転勤で高幡不動最寄りの百草団地に住んでいました。
    当時、毎土曜日、調布にあったスイミングスクールに通うのにお世話になった車両が
    5000系でした。
    京王八王子行と高尾山口行の特急を併結した列車が走っていて、つり革の色で区別していたのを覚えています。
    また、めったに会えなかったのですが、スカートはいている車もいましたね。
    クーラーも、1つだけの集中型あり、4っの分散型あり、かぞいていませんがたくさん載った車両あり、バラエティに富んでいました。
    広幅貫通路は、事故があったのか?新聞に「かみつく電車」という記事があり、子供心に怖い電車と思った印象もあります。
    特急として運用中、無謀運転の車と踏切事故を起こしたこともありましたね。
    さよなら運転は、東京にいましたので、乗車会に参加し、調布や八幡山で撮影もしました。デワとして残った5125の引退の際も若葉台に行って別れを告げてきました。
    懐かしい写真ありがとうございます。

  4. でかんしょまつり号様
    スカートは5017の編成に試験的につけたものと思われますが、この5000系は本当に多種多様な車両でした。これと3000系については譲渡先の姿とその現役時代を対比しようかと思っています。でかんしょさんも水泳がお好きだったようですね。うちの娘はへたくそで何回テストやっても落ちてました。私は八王子市北野のプールで週4~5回約1000mを無停車でゆっくり泳いでいます。またそのうちに千葉の貨物をお誘いください。有難うございました。

  5. こんばんは。
    お写真、懐かしい思いで拝見させて頂きました。
    ご記載のように、編成ごとに台車もクーラーも多様で、幼かった頃に踏切で見ていたことを思い出します。
    今でも、他の鉄道会社で活躍しているのは喜ばしいことですね。私も幾つかの路線で再会しました。
    綺麗なデザインの車体、たまに来る吊り掛け駆動の車両、京王帝都のイメージは今でもこの車両です。
    風旅記: https://kazetabiki.blog.fc2.com

    • 風旅記様
      踏切で見ていた思い出、懐かしいでしょうね。
      3000系に続いてローレル賞を受賞した5000系は特に高性能でも豪華な車両でも無かったのですが、地味でパッとしなかった当時の京王帝都のイメージアップに貢献した車両でした。スタイルが好まれた上に編成ごとに台車、冷房装置、電動機、車体幅等々が多種に及び趣味的にも興味のあるものでした。通勤タイプの冷房車の先駆者で試行錯誤の連続でした。2代目5000系は既に他社に似た考えの車両があり、京王はローレル、ブルーリボンから縁遠くなって久しいのは残念です。

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