駅風景 富山地鉄寺田駅、越中三郷駅

 黒部宇奈月温泉で1泊の富山旅行については既に投稿いたしました。ところで電鉄富山駅に集合の前に、私と偶然にも大阪駅で同じサンダーバードで同じ車両となったK氏と富山地鉄寺田駅と越中三郷駅を訪れたのでした。私がデジ青の最初の投稿が「駅風景 富山地鉄五百石駅」でした。その後、寺田駅のことを投稿しようと思っていたのですが、ながらくのお休みをしていました。今回、再び寺田、越中三郷の両駅を訪れたので「駅風景 富山地鉄寺田駅、越中三郷駅」としてご紹介いたします。

 寺田駅ですが、路線図や地図で見ると立山線と上市から魚津、黒部方面への本線の分岐駅になっています。やはりこのような駅はどのような駅なのか興味が出てきます。立山の方から富山に帰ってくるときに車内から見ていると駅構内の広い駅のようです。

 ところでその寺田駅と越中三郷駅ですが、この駅は富山電気鉄道(富山電鉄)の駅として昭和6年(1931年)に開業しました。越中三郷駅には今でも駅舎正面の駅名の上に富山電鉄と書かれています。

富山電鉄と書かれてある歴史的な駅名表示 2016年6月4日撮影

富山電鉄と書かれてある歴史的な駅名表示 2016年6月4日撮影

 これらの駅の事を知るにはまず立山軽便鉄道や富山県営鉄道などのことを知っておく必要があります。立山軽便鉄道は大正2年(1913年)6月に滑川駅から五百石駅間が開業しました。それから立山駅(当時は“たちやま“といっていた。)まで開業したのは大正10年(1921年)です。この駅は今の岩峅寺駅のところに隣接した駅でした。この岩峅寺駅は現在の上滝線の前身である富山県営鉄道として南富山駅まで電車が走っていました。岩峅寺駅まで開業したのは大正10年8月です。まだ、寺田駅も越中三郷駅もなかったのです。そして南富山駅から電鉄富山までは廃線になった笹津線の前身である富山軽便鉄道だったのです。その開業は大正3年(1914年)12月です。その富山軽便鉄道は後に富山鉄道となり、昭和8年4月19日限りで、今の南富山-笹津間が廃止となりました。それが再び富山電鉄で復活します。しかし、昭和50年(1975年)3月31日に2度目の廃止となりました。その経緯が複雑なので改めて富山田地方周辺も含めて(この辺が富山鉄道と重なっているのでよくわからないのです。)調べてみたいと思っています。

開業時の路線図

富山電鉄が開業する前の路線図

 路線図を見てみると寺田駅から五百石駅、上市駅の区間だけが現在の富山地鉄の路線を通っていません。そのほかは立山軽便鉄道のルートが現在の路線と一致しています。立山軽便鉄道建設の発起人には五百石、上市の商工業者らがなっており、当時としては五百石や上市の農産物等を鉄道で滑川に輸送して、港からさらに各地へ輸送したいという熱意が大きかったようです。乙訓の長老様より私のところに来ている「草卓人編 鉄道の記憶」のなかで編者の草卓人さんは立山軽便鉄道の建設の動機について詳細に考察されています。明治中頃から富山市内へのルートについてはいくつかの鉄道計画があり、立山軽便鉄道建設が決定した時に五百石の住民は富山への鉄道建設を陳情していたようです。しかし富山市内へのルートは後回しにして、立山方面へ先に現岩峅寺駅のところまで延長されました。次第に上市方面から富山市への交通機関の要望が多くなり、乗合自動車が運行されるようになりました。立山鉄道(大正7年立山鉄道に改称)で岩峅寺駅へ行き、乗り換えて富山市へ行くこともできましたが、直接に富山市へ早く行くことのできる交通機関の要望が多くなりました。それで大岩鉄道が富山から五百石間に計画されました。最初は富山駅の少し東側のところの富山田地方(“とやまでんじがた”と読む。)から五百石を経由して大岩村でした。昭和5年2月に大岩鉄道は富山電気鉄道株式会社として正式に設立されて、富山-上市・五百石間が最終的には今の富山地鉄のルートとほぼ同じとなりました。開業までは沿線住民とトラブルがあったのですが、昭和6年(1931年)8月15日に開業しました。そして富山田地方から富山駅への乗り入れは10月3日よりの開業となりました。大岩山日石寺への鉄道は結局、敷設されませんでした。ところで五百石駅の駅名は東側にある字名が五百石からと想像できますが、なぜ五百石なのでしょうか。「草卓人編 鉄道の記憶」に書かれてある大正2年(1913年)6月18日付の富山日報に立山沿線の各駅の紹介記事に五百石の地名由来が書かれています。それによりますと、昔は狸、狐が住んでいるような原野でしたが、文政年間に金沢の朽木兵左衛門が藩主に開墾を願うと、五百石までは開墾を許されたので地名が五百石となったようです。これで現地で由来を聞いてもわからなかった謎が解けたのです。

富山電鉄開業時

開業した頃の富山電鉄路線図 立山軽便鉄道は立山鉄道となり、富山電鉄と合併した。その頃、一部路線変更と改軌電化された。

路線図を見ていただくと現在の富山地鉄の路線が富山電鉄の時に完成したことがわかります。

 さて、寺田駅の駅舎でよく見てみると不思議なところがあります。これが寺田駅の特徴と私は思っているのですが・・・?

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広々とした寺田駅  2016年6月4日撮影

ホームにある駅舎ですが、二階部分がちょっと気になります。一体何の為にあるのでしょか。2011年2月に訪れた時に駅員さんに聞いたのですが、それはあの二階部分から電車がどこにいるのか監視して、それによってポイント操作係に指示をするとのことでした。当然ですが、反対側にも窓があります。今回も駅員さんにお聞きしたのですが、同じことを言われていました。今はCTC化されているので列車の監視をする必要がないのですが、そのまま建物が残っています。その1階部分はどのようになっているのでしょうか。

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今は入ることができないホーム上の待合室内  2011年2月6日撮影

ご覧のように待合室になっています。売店があったような感じです。陳列ケース?の形が斬新です。この写真は2011年2月の撮影です。今回、行ってみると鍵が掛かっていて除雪グッズが保管されていました。

 ところで、なぜ寺田駅に行くことになったかといいますと、サンダーバードで一緒になったK氏が寺田駅が改修されると富山地鉄のHPに案内があったという言うので、どのような改修かわからないが、とにかく行ってみることにしたのです。このことについて駅員さんに聞いてみると・・・ 「建物も古くなって“かたがっている”ので部分的に修理をするのです。」ということでした。久しぶりに聞いた富山弁の“かたがっている”です。建て替えられるのではなくて、少しはホットしたのでした。

 待合室で待っていたおばさんに“修理するからもう隙間風で寒い思いをすることはないよ。”と駅員さんが言っておられました。

 寺田へ来る途中、電車から見ていると沿線に多くの電車を撮る人が見かけました。何を撮るのを目的としているのかわかりませんでしたが、後で東京から日帰りで来られたF氏が今日だけ昭和37年製のクハ172+モハ14722が走っているので撮りに来ていたのと違うかということでした。F氏も撮影していたようです。そんなことを知らずにこの電車を寺田駅と越中三郷駅で撮っていたのです。

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昭和の電車クハ172+モハ14722が走っていく。  2016年6月4日撮影

この電車で次の越中三郷駅へ行く予定でしたが、この次の電車で行くことにしました。これが良かったのです。そして次の電車は

ダブルデッカーが来たのでした。ところで、宇奈月からのアルペン特急はどのようにスイッチバックするのでしょうか。2,011年10月にレッドアローのアルペン特急に乗ろうと上市駅に行ったのですが、来たのは173+14774+14773の三連でした。

上市到着のアルペン特急

上市駅に到着する特急アルペン号    2011年10月9日撮影

この時はがっかりしたのですが、寺田駅でのスイッチバックはびっくりしたのでした。寺田駅に到着すると、富山方面ホームで停車してドアが開き、立山方面からの富山行が先に発車しました。富山へ行く人はこの富山行電車に乗り換えです。そして、アルペン特急はドアを閉めて富山方面の本線に出て行きます。途中で停まると、運転手は乗務員ドアから外に出て行きました。はじめはわからなかったのですが、立山方面の先頭車と2両目は非貫通です。車内から運転室へ行くことができません。これで納得です。そして再びドアを開けて出発です。このようなことはレッドアローの特急ではわからなかったのです。これはラッキーと思っていいのでしょうか。

寺田駅スイッチバック説明図-1

寺田駅は近鉄の伊勢中川駅のようなものですが、近鉄は短絡線があります。ここは必要がないでしょう。スイッチバックをする列車は4月16日から11月30日の土曜日と日、祝日(振替休日を含む)で、しかも宇奈月発の立山行の特急は1日に2本しか走らないのですから。

 5年ぶりに訪れた越中三郷駅ですが何も変わっていません。よく見ると改札口にあった整理券発行機がありません。今は電車に整理券発行機があります。以前、横江駅から乗った時に整理券を取るのを忘れたことがありました。そのような乗客の方が多かったのではないかと思います。“ecomyca(エコマイカ)”というICカード乗車券があります。ただし、ICOCAなどは使えません。

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待合室と改札口 整理券発行機はなくなっていた。 2016年6月4日撮影

5年前とほとんど変わっていません。ひょっとしたら、開業当初とあまり変わっていないのかもしれません。変わったのは駅員さんがいていないことだけでしょうか。

地鉄越中三郷駅-02A

なぜか、右側にドラム缶が2個・・・  2011年2月6日

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よく見ると5年前と同じようにドラム缶があった。  2016年6月4日撮影

越中が付きますが、三郷駅です。そういえば、大和の三郷駅も駅員常駐ではありません。

 電鉄富山行を待っていると、下り電車が来ました。その電車はクハ172の編成です。

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寺田駅で撮影した電車が戻ってきました。  2016年6月4日撮影

今日しか走らない電車が違う駅で2回撮影することができました。

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私たち以外に3人の乗客が電鉄富山行を待っています。  2016年6月4日撮影

それでは皆さんと待ち合わせをしている電鉄富山駅に次の上り電車で行くことにしましょう。

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