東海道の電車をたのしむ

古来、京都以外から京都に行くことを「京に上-のぼる-」と言っているが、東京から京都に行くことを「くだる」とは言わない。老人は1986年「てっちゃん」に復活して青春18キップを愛用するようになったが、通用期間外は止む無く普通キップ利用であった。ところが2003年にめでたくジパングクラブに入会することが出来た。息子や義弟などが関東圏に居住しており、入会後は18キップよりジパング利用の方が多いが、おりにふれ東海道筋の中小私鉄訪問を重ね、楽しく電車を追いかけている。

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江戸を出で立ち西下すると6番目の宿が藤沢宿となる。ここは江ノ島電気鉄道の起点で、江ノ電を始めて見たのは中学3年(1953年)6月修学旅行の時であった。京都からの夜行列車を富士で下車、バスで白糸の滝と本栖湖を見物した後で遅い昼食を河口湖のホテルで摂った。その後は自由行動となり、さっそく河口湖駅へ電車を見に行った。この時スカ色のモハ70系4連を見て国電にしては思い切った色使いだと感心した。翌日は足柄峠越えで箱根へ、そして東海道に出た。バスガイドの案内は東海道53次となり胸を膨らませたが、昼食を藤沢宿で摂ってからのバス道中は寝てしまい、戸塚、保土ヶ谷、神奈川、川崎の4宿は夢の中。起こされたのは東海道53次の基点(日本橋)を前にした電車道(品川宿)であった。そこで今回の東海道膝栗毛電車版は藤沢出発としよう。

江の電は先に紹介した1959年学生時代の東北旅行時も立ち寄りその後、何度も訪問しているのだが、写真は2007年のものとした。この時は玄関(藤沢駅)から江の島を辿り奥座敷鎌倉(裏口)に向かうはずが、お気に入りの路面軌道区間に太陽が差し込んでいたのでストップ、陽を追って江ノ島に戻り空中電車(モノレール)で大船経由の帰京となった。

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東海道で電車と関係あるルートは小田原からの箱根越えとなる。このルートは先に記したように中学の時に下り坂で小田原に向かった。その後も電車はもとよりバスやタクシーでお世話になっているが、思い出に残るのは義弟の結婚式の帰路、旦那(重澤くん:東武トラベル)に頼み小田急・特急はこね号の最前列と2列目で8席を取ってもらった時のことである。広島の田舎から東上した従妹弟を始め、我が子はもちろん、先頭部に乗ったのが初めての面々で(老人を除く)大騒ぎになった。はこね号は湯本止まりで箱根越えはできない。でも箱根と言えば小田急は外せない。

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スタートは小田原駅で乗客待ちの登山電車をお目に掛ける。数年前から登山電車は箱根湯本発となった。山登り電車らしいシーンを沿線随所で展開されるが、トンネルと言えば湯本の次駅、塔ノ沢での姿がお気に入りである。3連化工事で湯本側は少し変わったが、その反対の強羅方は手を付けていない。ある日、弁天様を安置している祠まで石段を上がってみた。段数は忘れたが見通しは悪くない。眼下に電車を木立の隙間から見通せる景観が気に入った。強羅方のトンネルは創業以来のもので、歴史の証人と言える。抜けると当線最長の鉄橋が控えている、こちらも歴史を語るものだろう。ここへは大平台下車で歩いて来ると楽だ。当線添いは国道(東海道)と言っても2車線で右折、左折の連続で、下り方向(強羅方)は上り勾配で排気ガスがすごい。老人はこの坂を歩くときは小田原方面行きと決めている。

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また休憩の場は小涌谷駅が良い。駅前に売店があり、WCの利用OKである。当線では最も駅構内が広く対面列車が撮りやすい。駅前広場を左に取れば踏切があり、その下り方が撮影ポイントになるが、線路敷き添いとなり撮り鉄には褒められた行為とはならない。2001号先頭の写真がその一例で、初夏の紫陽花咲き乱れの箇所でもある。老人も吉川文夫さんにもらった紫陽花に吊れられてやって来たが、小田原で曇りだったのが大雨となり断念した。いずれにしても四季を通して変化に富んだ楽しい線区である。

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1 thought on “東海道の電車をたのしむ

  1. 乙訓の老人様
    江ノ電や箱根登山鉄道の楽しい写真をありがとうございます。また関東方面に来られる日を楽しみにしています。

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