地図を携えて 線路端を歩いた日々 -2-

皆さんからのコメントを拝見して、地図一枚にも、一人ひとりの思いが詰まっていることを痛感しました。では、これから五万分の一の地図を手に各地を巡った撮影記を続けます。なお国土地理院発行の「五万分の一」は正しくは「地形図」ですが、馴染みのある「地図」で通すことにしました。
第1回は筑豊本線折尾~中間です。非電化の複々線上を、都市間の電車ダイヤ並みに10~15分に一本は蒸機列車が通る、まさに“煙の聖地”でした。


A地点
本来の筑豊本線である若松方面からの複線と、黒崎方面から筑豊本線に入る複線の短絡線、その両者が折尾駅南方で並行し方向別運転の複々線となる。2キロほど南下すると、上下線が立体交差し、ここからは、線路別運転に切り替わって、中間まで続いている。折尾から歩くと、しばらくは筑豊特有の雑然とした風景が続くが、国道の陸橋を過ぎるあたりから。家並みも途切れて、周囲には緑が多くなる五万分の一地図「折尾」「直方」を合成
折尾で発車を待つ733列車、C5519〔若〕、九州のC55では、かえって珍しい通常のデフを装備している。背後を横切るのは鹿児島線ホーム、折尾駅はいま鹿児島本線も含めた連続立体化工事が進行中〔昭和45年9月〕。
折尾を複線で出るとすぐ左手から黒崎方面からの短絡線が寄り添ってきて複々線状態となる。国道の陸橋から見た香月線の122列車で、68660〔若〕が牽く。ハチロクが旅客を牽くのは、朝夕の香月線から直通の列車だけだった〔昭和48年8月〕。
▲筑豊本線も昭和48年ごろからやっとDD51が入線し始め、旅客を中心に無煙化を促進していった。DD51763〔直〕の牽く723列車〔昭和48年8月〕。
B地点
13キロポスト付近のB地点で、黒崎方面への上り短絡線と、若松方面からの下り本線が立体交差して、方向別運転から線路別運転に切り替わる。築堤、カーブが存在し、緑に包まれた、変化のある風景が展開する。
立体交差付近はドブ池もあって、写真にすると意外にきれいに収まった。写真の「かもめ」は、佐世保発着編成は筑豊本線経由、長崎発着編成は博多経由で運転され、上下とも小倉で解併結されていた〔昭和45年9月〕。
このC5546〔若〕の牽く737列車は、立体交差してからカーブを曲がり切るところ、このカーブ区間は、地図を子細に見ると、実線の補助線で描かれているが、カーブの具合までは、なかなか地図だけでは読み取れない〔昭和45年9月〕。
立体交差部をアンダークロスして黒崎方面に向かう。9600+セム・セラと言う筑豊を代表する列車〔昭和45年9月〕。

鳥居を見ながら、オーバークロス部に掛かる29670〔若〕の牽く貨物列車。石炭車のない一般の貨物編成も走っていた〔昭和44年3月〕。

 地図を携えて 線路端を歩いた日々 -2-」への6件のフィードバック

  1. 特派員様
    期待にそぐわぬ名作の数々に見とれてしまいます。私は現役時代に東北、北海道には良く出かけたのですが九州は1回だけで 筑豊のこのような写真を見ると私鉄専用線を含め もっと行っておけばよかったと後悔しています。複々線が非常にすっきり見えるのは「ハエたたき」と呼ばれた電柱、電線がないせいでしょうか。セムを牽く96の後方には九州鉄道?時代のものでしょうか レンガ積みの拱渠が写っていますね。嫌われ者扱いされたDD51もこうして見るとなかなかいいですね。続編を楽しみにしています。

    • 西村様
      さっそくのコメント、ありがとうございます。私は北海道・東北よりも九州へはよく出かけていましたね。何といっても夜行に乗れば、朝には九州に着いていること、そして蒸機が格段に美しかったのも、よく訪れた理由でした。お書きの煉瓦積みですが、筑豊本線の前身、筑豊興業鉄道が開通したのが明治24年、鹿児島本線の前身、九州鉄道が筑豊興業鉄道への短絡線を開通させたのは、明治26年と書かれていますから、その段階で、線路付け替えが行われて、煉瓦拱渠も出来たと思われます。

  2. 小生も地図片手に撮影地探しをしたものですが、既に多くの方がコメントを寄せられていていささか出遅れてしまいましたので、小生にとっても想い出深いこのご紹介地点についてコメントしたいと思います。
    折尾の南方には昭和45年3月とSL末期の48~49年頃の年末の2回訪れました。最初の訪問は卒業式を終えてすぐKAWANAKAさんとINUBUSEさんの3人で九州のSL撮影に出かけた際でした。京都駅発18時過ぎの臨時急行「桜島」で出発、22時半~23時頃にかけて山陽線河内~白市間の連続10‰を上る牽引機EF58のモーターの唸りを聞きながら眠りに落ち、明けて翌朝5時半頃に折尾に着いて件のポイントへ向かいました。同所ではそれこそ次から次へとひっきりなしに来るので、何をどれだけ撮ったのか今では記憶が定かではありません。ただ昼過ぎまでかなり粘って撮っていたことは憶えており、あるとき列車の方向に合わせて場所を変えようと線路横断(今ではご法度ですが)した際に、危うく山蔭から飛び出て来たローカルDCに撥ねられそうになって肝をつぶしたことがありました。前夜が夜行のためそろそろ眠くなってきた頃合いと、複々線という特殊な線路配置から注意力が散漫になったようでした。DCとの距離はおそらく100m位だったかもしれません。タイフォンを鳴らされてハッと我に返り事なきを得ましたが、無事を安堵するとともに大いに反省したものです。急ブレーキがかかっていれば大騒動になって大目玉を喰らっていたでしょうね。
    2度目は年末・年始休暇を利用しての九州行の際でした。この年は曜日配列の関係で年末を1日休むと長期の休みになりましたが、一つ大きな問題がありました。年末確か28日発の寝台券の入手でしたが、日旅にお勤めだったクラブ後輩のF島君の奮闘により、京都17時過ぎの急行「雲仙」の寝台券が(しか)取れました。翌朝5時過ぎに折尾に着き再度同撮影地へ。そのときここでの目的は筑豊線に僅かに残った中間支線の86で、夜明け頃の一往復を撮ったあと油須原へ向かい96重連を撮り・・、と九州の旅程は続くのですが、長くなるので又の機会にしたいと思います。
    ところでこの撮影行の往路では前述のとおりの寝台券を入手したものの、17時まで仕事をしてからでは間に合いません。そこで岡山まで「ひかり」で追いかけることにしましたが、岡山までの寝台が空席だと時期が時期なので転売されてしまう恐れがありました。暫く考えていてピンと閃いたのが「雲仙」が京都始発であること~ひょっとすると京都車掌区の受け持ちではないか~車掌区へ電話して寝台券をキープしてもらえないだろうか、と風と桶屋ではないですがドンドン妄想が膨らみ、ついに勇を決してダメ元で区へ電話してみたのでした。まあ多分そんなことはねえで話はチョンと予想していたところ、時期だけに苦労して(苦労はF島君が)取れた寝台券だと泣きついたのが奏功したのか、快諾を得て「京都持ちなので当日担当車掌に岡山乗車の旨連絡しておきます」との返事を貰いました。
    更に余談ですが、正月3日からの復路帰阪に関しては事前の確保が出来ず、行き当たりばったりのキャンセル待ちでした。2日に鹿児島駅の緑の窓口で尋ねると、4日朝8時頃に小倉を出る特急「はと」だったかの岡山行に1席空席が出たことがわかりました。実はその情報は前に並んでいた客に提示されたものでしたが、二人連れだったために返答を躊躇している間に、小生が財布からお金を掴んで半ば強引に窓口氏に渡し「その一枚呉れ」と叫んでゲットしたものです。前夜3日の鹿児島23時発急行「かいもん」門司港行から乗り継ぎ、さらに岡山から新幹線に乗り継いで無事実り多かった九州SL撮影行を終えました。
    つまらぬ話を申し訳ありませんでした。

    • 1900生さま
      長文のコメントを頂戴し、ありがとうございます。それにしても克明に覚えておられること、感心しました。何かメモでも残されていたのでしょうか。さてお乗りになった「桜島」ですが、私もよく乗車しました。不定期急行ながらほとんど運転されており、ほかの急行は寝台車を連結した編成で、ハザの両数は少なかったのですが、その点、「桜島」は東京発ながら、ハザ主体の編成で、京都から乗っても着席率が高かったのが選定の理由でした。お書きのように、同区間は途中で線路が入れ替わりますから、つぎの列車は、どこを通るのか、私も迷ったものです。私もいろいろな失敗をしており、追って書いて参ります。

  3. 総本家青信号特派員様
    この筑豊線の複々線のあたりは2~3回は通過したことがありますが、地図をもとにした合流地点付近などは降りたこともなく当然のことながらよく知りません。筑豊電鉄を撮りに行った時に総本家さんの新旧折尾駅の紹介に刺激されて新しい駅は見たような気がします。よく覚えているのはカーブした昔の折尾駅で私の時のはC51281でした。遠い昔のことですね。

    • 準特急さま
      いつも暖かいコメント、ありがとうございます。準特急さんのような方でも、この複々線区間に行かれていないとは、意外でした。折尾駅で写されたC51281、知っていますよ。「鉄道ファン」26号に載った記事ですね。きれいな化粧煙突のカマでした。前にも書いたと思いますが、準特急さんのこの記事に刺激を受けて、九州行きを決意したのは、紛れもない事実です。昭和38年のことですから、準特急さんと出会う5年も前のことでした。

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