「地図を携えて線路端を歩いた日々」に期待する

総本家青信号特派員氏が投稿された記事を読んで全く同感で こうして投稿しました。私は彼ほどの枚数は無いものの 50枚以上の地図を捨てられずに持っています。私は高校時代「地学部」でハンマー片手に化石採集をしていて、近江鉄道多賀線の奥、西濃鉄道沿線、北恵那鉄道沿線、有田鉄道沿線などの山の中を歩いていたこともあって その時に買った地図もあります。DRFC時代には特派員氏と同様に旅行前には小林地図専門店を訪ねるのが常でした。ガラガラとガラス戸を開けて入る古い町屋造りのお店だったように思います。

国土地理院発行 地図一覧図

この一覧図で予め欲しい地図に当たりをつけておいてお店に行くのですが、出してもらうと線路は端の方に少しだけかかっているだけで わざわざ買うほどのものでは無かったりで 何度も出したり入れたりしてもらいながら選んだものでした。1色刷りが1枚80円でしたが、長い旅になると1枚では済まないので 財布との相談で どうしても必要なものに絞り込んで買ったものでした。

旅に出る際には 折りたたんでリュックに入れて行くのですが、これが結構かさ高く、荷物になりました。

折りたたんだ地図

高校時代に先輩から教えてもらった折り方で1/8に折り畳み、そこに地名と駅名を書き込んで すぐ取り出せるようにしていました。旅の楽しみは準備段階からすでに始まっていると言われますが、こういう作業をしながらすみずみまで地図を眺めて 現地の様子を想像したものでした。現地に着いたあとは 特派員氏と同様、車窓風景に目を凝らし、目星をつけたところで下車して歩いたものです。どこへ行ったときだったか忘れましたが、窓際で地図を広げてキョロキョロしている私に 同じボックス席の乗客から「一体何をしているの?」と声をかけられたこともありました。

現在ではネットで国土地理院のサイトにアクセスして ピンポイントで見たりプリントでき、航空写真やストリートビューで居ながらにして現地へ飛んで行けて、隔世の感があります。しかし当時身に着いた習性は今なお健在で、列車に乗れば車窓風景を見続けている自分がいます。

廃線となった国鉄、私鉄、専用線が載っている古い地図は 時代の記録として価値があると思うのと、思い出も詰まっていてなかなか捨て難いのですが 身辺整理も少しづつ進めねばならず 悩ましいところです。いずれにせよ 特派員氏の連載を楽しみにしています。

「地図を携えて線路端を歩いた日々」に期待する」への3件のフィードバック

  1. 西村雅幸様 私も高校時代に地図の折り方を教えてもらました。まったく同じです。私は地歴部でした。今でも折った地図を保管していますが、5万分の1よりも2.5万分1があれば主に買っていました。1色刷りの2.5万分の1地形図で奈良盆地全体を買って、時々最近の地図と比較したりしています。地形図は地形がわかるので(当たり前や)Google地図よりは用途によっては最近は国土地理院HPで地図を眺めています。地図を見て地形を読み取ることができるまでは修行がいるようで、特に丘陵のあるところの谷や岡を読み取るのは苦労します。ただし、耕作地の田の部分を黄緑に塗れば谷のところがよくわかるので地形図に着色したりしています。等高線については中学の時に地学部(西村さんとは入れ替わり)で天気図を描いていたので何とか場合によっては立体的に見えることがあります。現役時代に「青信号30号」に本の紹介として堀淳一さん著の「地図のたのしみ」について書いた事があります。この方も鉄道ファンで多くの著作があります。そして最新の著作は『北海道地図の中の鉄路―JR北海道全線をゆく、各駅停車の旅』(亜璃西社)だそうです。

    • どですかでん様
      私は地歴部→地学部だったですが 貴君はその反対だったことを思い出しました。地図の折り方を同じように教わっていたとは・・・。天気図も思い出深いですね。NHKラジオ第2放送の気象通報を聞きながら白紙の天気図(小林地図店で購入)に風速、風量、天気記号、気圧を記入してゆく練習をしたものでした。今頃は「閉塞全線」という言い方を聞きませんね。堀淳一氏の著書も何冊か持っています。地図を眺めていると時間の経つのを忘れるのは今変りません。

  2. 西村様
    期待のお気持ちを聞かせていただきました。面映ゆい限りですが、今後、続けていきます。小林地図店にも行かれましたか。確かにガラス戸を開けて入ると、帳場のような台がありました。台には、西村さんも持っておられる地図一覧図が置かれ、それを見ながら注文すると、店主が、うやうやしく地図を置いたものです。先ごろ、小林地図店のあった烏丸通を歩くと、跡地はホテルになっていました。
    地図の折り方にも、それぞれ流儀があって、周囲を全部山折りにして、地図面だけが見えるようにしたり、ミウラ式と言う、観音折りもありました。私は、保管の便を考えて、単純に田の字に折っていました。地図一枚でも、それぞれの物語がありますね。ものを大事に使っていた昭和の時代です。

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