地図を携えて 線路端を歩いた日々 -1- 

この齢になってくると、残された時間も考えて趣味活動するようになりました。活動が、今後に有効な成果をもたらすものかを、つねに考えます。資料・蔵書関係の整理も同様です。今までは、集める一方の拡大路線でしたが、一度立ち止まって、今後も有効なのかを熟慮して、時には“縮小”も視野に入れて進めています。かつて撮影時の必携アイテム必需品だった五万分の一の地図を代表とする、国土地理院発行の地図も同様です。
初めての撮影地は、列車の窓から首を出して地図で地形を確認、好適地を見つけると地図に印を付けて、つぎの駅で下車して、目的地へ向かったものでした。当時の鉄道雑誌にも「撮影地ガイド」はありましたが、アバウトなもので、信頼が置けず、やはりちゃんとした地図を購入しました。でも現地に着くと、地図から思い描いた風景とは違ったり、撮影に適したカーブも、五万分の一の地図では表現しきれないこともあり、撮影適地を発見できないまま、ガッカリして帰ったことも多々あります。 昭和40年ごろから、撮影用に購入したり、また出版社から取材で使った地図を大量に譲り受けたりして、約300枚の国土地理院の地図が残りました。
 しかし、いまは多様な地図アプリがあって、鉄道撮影に紙の地図を持参するのは、もはや化石人間以外の何物でもないでしょう。残された時間のなかで、有効に使うことはないと判断し、何枚かの思い出に残る地図や、京都周辺のものを除いて、すべて廃棄することにしました。

一枚一枚に思い出が詰まった五万分の一地図、一部を除いて廃棄することに

五万分の一地図の購入でも思い出がある。高校・大学生時代、京都には数軒の地図専門店があり、いちばん最初は、家からいちばん近い市電河原町今出川の大黒屋地図店へ行っていたが、品揃えが悪く、すぐ市電農学部前の地図店(屋号失念)に替えた。しかし、ここでも満足できず、最後は市電東本願寺前の小林地図店に自転車で向かうことになった。
ここには、全国の五万分の一地図が常備してあった。さすが、と感心したのは、上目名でのC62撮影用に地図を購入した時で、事前に上目名は「歌棄」に載っていることを知っていた。私が“うたすつ”と言うが早いか、サッと棚から取り出して、机の上に置いた。北海道の聞いたことも無いような地図名を知っているとは、商売とはいえ感心したものだった。
五万分の一地図のなかでも、ひときわ愛着があったのが一色刷りの地図だ。地図は、改訂のたびに多色刷りで発行されるようになったが、変化の激しい都市部を中心に改訂が進められたため、地方の地図では昭和40年代後半でも、まだ一色刷りが発売されていた。まだ右書きの古色蒼然とした印象だが、廃止された専用線・森林鉄道が載っていたりして思わぬ発見もあった。

余談ついでにもうひとつ。私は五万分の一の地図の匂いが大好きだった。別に匂いフェチではないが、おそらく用紙に使われている楮(こうぞ)や三椏(みつまた)などの植物繊維の匂いではないかと思う。これは、紙幣にも使われており、新札では同じ匂いがする。不思議なことに、これが多色刷りの二十万分の一地図では匂わない。
何十年前に買った地図でも匂いは残っており、そっと匂っては、地図の思い出に浸っている。特別に漉かれた地図専用の用紙なのだろう。たいへん腰の強い用紙で、折り目を付けてもビクともしない。不要と言ってそのまま捨てるのには忍びなく、結局、小さく切って裏紙をメモ用紙に使ってリサイルしている。
そんな、五万分の一地図に込められた撮影地の思い出を綴っていきたい。

 

 地図を携えて 線路端を歩いた日々 -1- 」への8件のフィードバック

  1. 【ロケハン今昔】
    仰せの如く、事前に「乗り鉄」して撮影ポイントを決めていましたね。
    しかし最近ではストリートビューで、道路上から付近の見晴らしが良い場所を探すなどの荒業も使えます。
    また、スマホやタブレットの画面に地図を表示し、その上に手書きメモが可能なソフトも現れました。

    そして昔の地図もWeb上から国土地理院の図歴(旧版地図)が参照できる様になり、廃線跡の探索も楽になりました。

    閑話休題。
    断捨離(だんしゃり)については、コレクターの気がある私としては辛いものがあります。 (苦笑)

    • 鉄鈍爺さま
      私もストリートビューは撮影の参考にしています。それに前面展望のYouTubeがあれば、撮影旅行に地図は要りませんね。旧版地図もWeb上で見られるようになりました。ホントに便利な世の中になったとは思いますが、地図を見ながら、自分だけの撮影地を見つける楽しみは無くなりました。
      断捨離、終活、老前整理と、われわれ世代の心にギクリと来る言葉が流行っています。何か強迫観念にとらわれますが、ただ棄てれば良いということではなく、要は資料を体系的に、だれが見ても分かるような整理を心がけ、たとえ死んでからでも誰かが引き継いでくれるよう、元気なうちに進めておくことが肝要だと思っています。

  2. 5万分1地形図は何百枚か数えたことはないが、整理が悪く、何か1枚必要でも全部を繰らないと出てこないが、正直それぞれに思い出が詰まっていて、捨てきれないのは諸兄同じであろう。行ったことのない撮影地を、地図でここならと事前に推定するワクワク気分も忘れられない。今では地形図全部がデジタル化され、勿論有料で必要なプリントアウトが入手できるから、なにも地図そのものを持ち続ける必要もないのだが。
    単に発行や修整年月日だけで、それが必要とするものかどうかが分からないことは、先般鞆鉄道執筆にあたり、芦田川改修での鞆鉄道付替え確認に際し、何度かの空振りで(相応の無駄使いになった)痛感した。
    先般畏友で絵はがき、時刻表コレクターの三宅俊彦から、井原笠岡軽便鉄道の某駅俯瞰写真が送られてきて、井原か鬮場かとのお問い合わせが。何百枚かの地図をまた性懲りもなく繰って、背後の山から鬮場であろうとお答えしたことがあり、久方ぶりに役に立った。
    あるとき北海道の地図と、九州のそれを偶々並べた際、九州の方が横幅が少し広いのに気付いた。これぞ地球が丸い!証左に違いない。小生にとってはコロンブスの卵的大発見だったことになる。

    • 湯口様
      コメントを頂戴し、ありがとうございます。三宅さん、私も何回か会ったことがありますが、ご年齢にも関わらず、生涯現役を貫かれ、調査・蒐集に力を注がれている姿に、私も励まされました。お書きの井原か、鬮場かの判断を、地図上から導かれたのでしょうか。さすがの眼力ですね。
      北海道と九州では九州のほうが横幅が少し広いこと、なるほどと思いました。そう思って、地図一枚だけをを見ても、上辺より下辺が1ミリほど広いことを発見しました。1枚の地図でも、正確な方形ではなく、やや台形になっているのですね。

  3. 総本家青信号特派員様
    趣味の世界で拡大基調から整理、縮小へと方向転換に入ったとのお話、総本家さんはまだ私よりずっと若いのにと思いながらそうだなとも実感しております。最近のデジ青では写真撮影の苦労話やパソコン操作の経験談、鉄道歴史秘話など参考になる投稿記事も見られるようになり嬉しく思っております。さて、5万分の1の地図ですが、私は1枚も使ったことがなく、従って家の中には思い出の詰まった地図は全くありません。あまり自慢のできる話ではありませんし、コメントする立場にはないのですが、ではどうしているかと言いますと自分の目で見てその場での判断です。勿論、趣味誌や様々な情報で大よその地形判断をしますが、太陽光線が気になり、季節や時間帯ではガイドの情報と異なるので運転席の後ろから自分の目でみていい場所は次回の訪問のこともありメモにしてあります。本当は地図を持参し、発見や確認の喜びを経験すべきだったと思いますが、元来気まぐれ散歩撮影ですので失敗の方が多いのも事実です。最近は居ながらにして現地の風景等の情報を探索できる技術がありますし、ドローンを使った撮影も出てくるとは思いますが、私は多分アナログ人間で終わりそうです。

    • 準特急さま
      錚々たる皆さまから暖かいコメントを頂戴し、感激しています。デジ青投稿も、ストレートな研究・紀行も、もちろん良いのですが、あまり顧みられることのない、周辺の事柄にスポットを当て、“そう言えば”とコメントを寄せていただくのも、デジ青らしさだと思っています。
      準特急さんには、過去にいろいろな撮影地に連れて行ってもらいましたが、地図なしで、グイグイ引っ張っていただいたのですね。準特急さんならではのカンが働いたのかと思いましたが、ちゃんと運転席の後ろからメモを取っておられたのですね。いつも撮影に一緒すると、撮影するごとに丹念にメモを取っておられるお姿もよく拝見しています。

  4. 総本家青信号特派員様

    撮影旅行、半世紀前の道具
    カメラ、三脚、コッフェル、ラジュース、ガソリン入りポリタンク、米、缶詰、即席ラーメン、即席シチュー、懐炉もしくは蚊取り線香、着替え、寝袋、地図、時刻表などなど。
    リュック、ポリタンクの中だが、超危険なガソリンを車内に持ち込んでいたことにもなります。

    撮影旅行、最近の道具
    カメラ、三脚、低い脚立(椅子にもなる)、軽食乾物、携帯電話、着替え、傘、地図、時刻表など。

    昔も今も変わらないのが、カメラ、三脚と地図、時刻表です。
    1/25,000の地図は当時まだ少なく、黒1色の1/50,000です。求めるのは神戸元町・日東館書店か梅田・旭屋書店でした。旭屋は阪神百貨店裏の平屋で曲がりくねった木造の建物、床も木だったと覚えています。一覧表の番号が記されている底の浅い横長の引き出しを開けると地図があります。上下が逆なので目的の場所を確認するには、地図を一枚すっかり取り出さないと、判らないし、もし、気に入らぬと元に戻すのに一苦労しました。

    そんなこんなで買い、雨にも雪にも耐え、ジャンパーのポケットに何度も出入りした当時一枚50円前後の地図が今も50数枚残っています。A2くらいのサイズで、丸めて保存は広げ難いし、フラットに保存は場所を取り苦労します。保存にもう一つ苦労するのが、国鉄秋田・盛岡鉄道管理局や中国支社発行の1965、1966年頃のダイアグラムです。これも幾度かデジ青にスキャンして掲載済みですが。

    地図は本人の撮影場所の確認、決定手段だけでなく、例えばホームページ(HP)などで写真を披露する際、読者に対する撮影地説明手段として、無くてはならぬ重要な道具です。小生のHPには、必ず『地図はこちら』を設け、撮影地の東経と北緯から、無料の地理院2色刷り1/25,000をオンラインで見れるようにしてあります。

    過去のデジ青投稿にも、何度かこれらの地図をスキャニングして利用したものです。地理院のウォッチズなど今日はデジタルマップの時代。半世紀前の紙版は不要にも思えるがそうも行かないことがあります。廃線や勾配線迂回のトンネル新設などを調べる時必要で、往時を伝える旧版地図は有料なのです。ですから紙版を捨て切れず、場所と労力を使い、未だに保管しているのです。

    筆者は、この他に、大日本分県地図併地名総覧(昭和41年版)、京阪神市街地図集(昭和40年版)、日本分県地図知名総覧(56)など超分厚く、超重い地図帳を持っていますが、時に見る程度なのに、保管は大いに困りものです。

    そう云えばデジ青で、地図に纏わる話題はこれまで少なかったですね。筆者も含め地図の話題は楽しみの一つになりそうですね。

  5. tsurukameさま
    地図にまつわる思い出、ありがとうございます。旭屋書店の旧本店、私も高校時代から通っていましたよ。いまのヒルトンホテルあたりにあって、鉄道書は、お書きのように、ギシギシと鳴る木造の階段で二階へ行ったものです。京都では、当時五万一の地図を置いてある書店はなく、地図専門店が数軒ありましたが、旭屋はその頃から地図を常備していたのですね。
    今回の記事は、私は過去デジ青に写真・文字投稿しかしたことがなく、地図に情報を付加したうえでアップする方法を知りませんでした。それが、tsurukameさんやぶんしゅうさん、最近は西村さんの地図にも刺激され、初歩的なものですが、地図を載せることにしました。また、いろいろご教示、お願いいたします。

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