たった一度の東濃駄知線

関三平先生の昭和の電車「東濃モハ100型」が登場しました。今度ホムカミでお目にかかれるのを楽しみにしておりますが、このモハ100のイラストを見て、あれっ?と思いました。実は昭和45年10月に一度だけモハ101に対面しているのですが、てっきり最初から貫通車だと思い込んでいました。駄知線にデビューしたときには非貫通だったことを初めて知りました。

昭和45年10月18日 東濃鉄道駄知駅にて モハ101

このモハ100型は半流線形の非貫通だったのですが、このモハ101が昭和31年8月5日に何とED1001と正面衝突して、この写真では後ろ側の運転台が半流線形からフラットな貫通扉付きに修復されたそうです。昭和39年にもう1両のモハ102も片側だけ貫通化改造され、昭和41年にはその反対側、昭和42年にはモハ101の残っていた妻面(この写真の面)も貫通化改造されたということで、結局2両とも両面貫通化されたようです。残念ながらモハ101はモノクロ写真しかありませんが、他の電車のカラー写真が残っていますのでご紹介します。何とも言えない地味な配色です。

駄知駅にてモハ103

右手の線路の奥にモハ100型と一緒に東濃へやってきた東芝製のED1001が停まっています。

ED1001 台車が良く見えませんが、モハ100と同じ台車。うしろはワフ3

駄知線は昭和47年7月13日の集中豪雨で土岐川鉄橋が流されて不通となり、結局復旧されないまま昭和49年10月21日に廃線となりました。非電化の笠原線も昭和53年10月31日に終焉を迎え、東濃の鉄道事業は幕を閉じ、バス会社となりました。駄知駅のカラー写真が残っていましたのでご紹介します。

駄知駅本屋。多分大正12年1月開業当時のままの建屋だと思われます。

たった一度の短時間の訪問だったのですが、関先生のイラストによって当時を思い出すきっかけになりました。

3 thoughts on “たった一度の東濃駄知線

  1. 西村様、
    貴重なカラー写真をありがとうございました。
    ところで質問を二つ。
    モハ103の台車は履き替えたのですか?
    駄知線とはどことどこを結んでいたのですか?

    • 米手作市様
      コメントありがとうございます。まず駄知線ですが中央西線多治見の次の駅、土岐市(昔は土岐津)から南へ東駄知までの10.4Kmの短距離でした。駄知駅はスイッチバックの変な配線でした。なお非電化の笠原線は多治見(新多治見)から笠原までの4.6Kmの短小路線でした。モハ103ですが、説明不足だったかもしれませんが、関先生のモハ100型東芝製は101,102の2両です。カラー写真を載せましたモハ103は元南武鉄道の買収国電ですが同じモハ100型となっていたようです。台車は琴電に移って履き替えたのかどうか私はわかりません。どなたか教えて下さい。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

wp-puzzle.com logo

このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください