暖かい内地への旅 Part13 観光列車「いさぶろう・しんぺい」に乗って大畑を越える、熊本へ 

第8日目 3月2日 その1

今日は51年ぶりに肥薩線に乗って大畑に向かいます。前回は、まだ大学に入って1回生の夏のDRFCの狂化合宿でした。合宿は2カ所が設定されていて最初は宮原線麻生釣で無人駅そばでテントを張りました。次が大畑でここも駅近くでテントを張ったと思いますが、当時はカメラを持っていなく乗り鉄旅だったので記憶はあるが記録はありません。

7:24 今朝も朝食はチェックアウト後に外で済ませました。列車の時間までは結構ありますので天文館通電停付近で未撮影の車両は来ないかと、待っての市電の撮影です。
▲ 直ぐに来たのは未撮影の600形603です。これは幸先が良いと喜びましたが、この後は撮影済み市電ばかりでした。

▲ 8:47 1時間余り撮り続けて来た初撮り車両は2110型の2111でした。ラッピングPRは大垣市です。
なぜに大垣市鹿児島市が結び付くのかとHPを見ますと、「昭和34年の伊勢湾台風により各所で堤防が決壊するなか、宝暦年間(1754年)に薩摩の人々によって造られた治水堤防(千本松原の堤防)が無傷であったことから、これに感動した大垣青年クラブが、昭和38年から鹿児島市の青少年を大垣市へ招待する行事を始めました。
その後、昭和63年10月に鹿児島市長が大垣市制70周年記念式典に出席したのを機に、両市間で正式にフレンドリーシティ交流をスタートさせました。現在では、大垣青年クラブなどによる中学生交流や大垣市観光協会による観光交流によって、両市の交流が深められています。」との記載がありました。
意外な歴史の再発見で両市が結びついたのですね。

8:53 朝の初撮り車両の成果は2両です。これで47両を撮れましたので、こんなものかと諦めて鹿児島中央駅に向かうことにしました。

① 鹿児島中央 9:41(6932M)⇒10:22 隼人
② 隼人 10:35(5222D)⇒11:43 吉松
③ 吉松 11:49(しんぺい2号)⇒12:49 大畑
④ 大畑 12:56(1292D)⇒13:08 人吉
⑤ 人吉 13:54(1228D)⇒15:07 八代
⑥ 八代 15:23(6338M)⇒16:01熊本

▲ 9:20 鹿児島中央駅入り口に到着です。

▲ 9:33 昨日調べておいた鹿児島お土産を買ってホームに下りるとブラックフェイスのJR九州最新の近郊電車817系が待っていました。全席転換クロスシートは木の温もりあるシートでクッション部分は本革仕様の豪華さです。運転席も丸みを帯びたボックス型のユニークな造りは他のJR各社とはちょっと違ったJR九州のプライドが見えます。

◀ 国分行きの6932Mの運行表です。最高運転速度が35~75km/hの記載です。単線区間とはいえ、かなり抑え気味の速度です。

▲ 9:55 しばらくは車窓に噴煙が出ている桜島が見えますがだんだんと遠ざかっていきます。

▲ 10:06 重富787系「特急きりしま5号」との交換です。長大9両編成で運行されていた時に乗りたかった車両ですが、機会に恵まれずかなわぬ夢で終わりました。

▲ 10:27 隼人で下車して吉松行き5222Dに乗り換えです。6932Mから降りたホームに5222D(キハ140 2061)が入線してきました。次いで2番線に宮崎行きの「特急きりしま8号」が入線してきて並びました。

▲ 隼人から先は鹿児島本線の湯浦~水俣1927年(昭和2年)10月17日に開業して八代~川内~ 鹿児島が繋がってからは鹿児島本線から肥薩線に改称されています。

隼人を発車すると25‰の急勾配が続きます。表木山中福良と乗客が待っていない駅が続きます。表木山(ひょうきやまき)は2面2線なので古くからの交換駅と思いましたが、鹿児島本線時代の1916年(大正5年)9月11日 に信号所として開業しています。駅に昇格したのは、1920年(大正9年)10月11日 で、駅名も地名の「ひきやま」から外部の人からの誤読の「ひょうきやま」に替わってしまったそうです。

▲ 10:58 嘉例川に到着です。1920年(大正9年)3月30日、昭和天皇が皇太子時代に皇族陵の高屋山上陵参拝のため乗降した由緒ある駅で、2007年(平成19年)11月30日には南九州近代化産業遺産群の物資輸送関連遺産の1つとして選ばれています。1903年(明治36年)1月15日の開業以来の木造駅舎で、鹿児島県内としては大隅横川駅駅舎と並び最古の存在だそうです。降りてみたかったのですが停車時間はわずか30秒では無理でした。

鹿児島空港に近く、90分間隔のリムジンバスで所要時間は約17分です。飛行機で来た時には鉄道で鹿児島へ向かえます。

▲ 11:07 1908年(明治41年)7月11日に貨物業務取扱に限定して開業した霧島温泉駅です。翌年7月10日には旅客業務取扱開始しています。駅舎は昭和38年10月改築された頑丈な鉄筋コンクリート造です。

▲ 11:16 大隅横川駅に到着、嘉例川と同じく1903年(明治36年)1月15日の開業以来の木造駅舎で国の登録有形文化財です。降りてみたかったのですが、ここも45秒の停車時間ではかなわずです。

▲ 11:27 栗野に到着です。かつて山野線(1988年2月1日に廃線)が分岐していた駅で1番ホームには軌道跡が残っています。交換列車もないのに6分間も停車時間はありますが付近には湧水があるぐらいで見て回るようなところはありません。それなら1駅手前で停車して欲しかったですね。

▲ 11:43 吉松駅に到着です。開業は1903年明治36年)9月5日と大隅横川駅から約8ヶ月遅れで延伸されました。

◀ 肥薩線から吉都線が分岐しています吉松です。吉都線はかつては日豊本線と呼ばれていましたが都城~隼人が全通後の1932年1932年(昭和7年)12月6日からはローカルの吉都線に格下げされています。

時刻表を見ますと15本と本数が多いのは隼人方面行きで、都城行きは11本、大畑を越える人吉行きは1/3の5本しか運行されていません。乗客の殆どは観光客で鹿児島本線として物流の大動脈だった役目はとうの昔に終わっています。

▲ 鹿児島本線建設については八代~鹿児島のルート選択が問題だったようで海岸線沿いの海線と山中を行く山線の2案が吟味されましたが、海線は危険との軍部の意見が強く反映されて人吉吉松ルートの山線を優先しての着工になりました。最初に開業したのは鹿児島~隼人~吉松人吉八代は5年遅れての1908年明治41年)6月1日でした。残った人吉~吉松は地形上困難な工事となり、スイッチバック、ループと勾配区間対策を尽くして1909年(明治42年)11月21日に開通しました。一方の海線(八代~川内~鹿児島)は、山線に遅れる事19年後の1927年昭和2年)10月17日に完成しています

 ここまで乗車してきた5222Dハ140 2061)と並ぶ「いさぶろう・しんぺい」(キハ47 8159+キハ47 9082)です。ここで乗り換えます。

▲ 1、2番線が発着するホームには珍しく駅弁売場の売店が残っていました。車内でも別の駅弁(栗めし)が買えるそうですがこちらにしました。
▲ ホームで買い求めた松栄軒の「かごしま美味満彩弁当」です。きびなご、黒豚も入ってのリーズナブルな価格です。車内で美味しくいただきました。

▲ 車内です。さすが水戸岡鋭治氏の設計とあって木を多用してのシックで落ち着いた雰囲気はくつろげます。

▲ 12:02 真幸駅に到着です。開業は、1911年(明治44年)3月11日、スイッチバック構造の駅で幹線だった頃には特急・急行列車も停車しましたが、1972年(昭和47年)7月6日、豪雨のために裏山が崩落して駅構内は土砂で埋め尽くされました。落ちてきた8㌧もの山津波の巨石がホームに記念として展示されています。この災害後復旧はしましたが、被害を受けた周りの集落は世帯全戸が移転したために当駅周辺はほぼ無人地帯になってしまったそうです。

▲ 1986年(昭和61年)11月1日に無人化なった駅舎ですが掃除されて綺麗な状態を保っています。ホームにはかつて使用された発車合図の鐘が残されていました。

▲ 真幸~矢岳では加久藤のの広大なカルデラを乗客に見せるためにしばし停車をします。今日は天気がもう一つでしたが快晴なら綺麗でしょうね。

▲ 12:27 矢岳駅に到着です。停車時間は5分間、乗込まれているアテンダントさんの誘導で構内に静態保存されているD51 170号機を見学に参りました。
この展示館内にはかつて、現在「SL人吉」として現役復帰した58654号機が同居していました。

▲ たっぷりと給油されて黒光りするD51 170号機です。機関区の中で保存されていますので状態は非常によく、動態保存も検討されているそうです。1939年(昭和14年)3月に日本車輛名古屋工場で製造され当初は名古屋区配属、その後は静岡に転属、1945年(昭和20年)11月に人吉に来て、1972年(昭和47年)6月廃車になるまで27年間を過ごしました。

▲ とても天井が高く広い待合室ですが、お客で一杯になった事もあるのだろうかと疑問に思えました。

▲ 12:49 大畑に到着、5分間の停車です。ほぼ全員の皆さんはホームに下りられて
見学です。

▲ 大畑駅が開業したのは矢岳駅と同じ1909年(明治42年)12月26日、他の周辺の駅と比べるとやや小ぶりな木造駅舎です。驚いたのは訪問された皆さんが残された名刺や定期券やらの訪問記念品です。秘境駅の1つとして鉄道ファンの聖地になっているようでした。
51年前にこの駅の構内にテントを張ったと思いますが記憶は消えていて思い出せません。多分、来たけれど宿泊はせずにどこかへ逃亡したのではと思ったりします。

▲ 13:05 人吉に到着です。残った機関庫にSL人吉号の8620形58654号機が入庫するのでしょうか。
2010年の春に西人吉の桜を求て来たことがあります。あれからもう8年も経ったのかと思い出を振り返りました。

▲ 並ぶ「いさぶろう・しんぺい」と、「山翡翠」です。こちらも乗って見たい観光列車ですが、人吉~吉松以外は18きっぷでは乗れず、特急料金も必要となります。

▲ 同じ「いさぶろう・しんぺい」の兄弟です。4編成が運用されています。

▲これは珍しい立ち売りの駅弁屋さんです。車内で食べた駅弁は、こちらでは有名な「松栄軒」さんです。人気駅弁は球磨川で育った鮎ずしと栗めしです。食べたかったですがもう満腹でした。美味しそうに思えてくる笑顔が素敵でした。

▲ 人吉鹿児島と同様に街のあちこちに天然温泉が湧いています。乗継の待ち時間が46分もあったのでひと風呂浴びても良かったのですが、ダラダラと過ごしてしまいました。大いに反省です。

 13:54 人吉から八代まではキハ220-1102に乗り換えて向かいます。

この車両は、1997年(平成9年)に熊本地区用に新製され、座席は転換クロスシートでした。2004年(平成16年)に「なのはなDX」に使用するために座席が回転クロスシートに改造され、中央の乗降扉を廃止、展望スペースに改造されました。「なのはなDX」廃止後は本車両センターに転属して人吉~吉松~八代の区間列車に使用されているようです。ちょっと変わったお洒落な車内インテリアにこれはラッキーと手を打ちました。

▲ 15:07 八代に到着です。

▲ 15:23 熊本に向けて最後の乗継列車です。817系の2連ですが、車内のインテリアはやっぱり素敵です。九州の車両は乗っていて楽しくなりますね。

▲ 今日の6本目の乗車列車の熊本行きの6338Mの運行表です。この車両の最高運転速度は120km/hですのでガンガンにぶっ飛ばすのかと思っていましたが100km/hにおさえられていました。

16:01 定刻に熊本に到着です。2010年以来8年ぶりの訪問ですが路面電車は撮った事はなく初めてです。どんな車両が走っているのか本では見ていますが実際見るのは初めてのようなものです。宿泊ホテルはこれも初めてのアパホテルです。まずは荷物を置きたいとホテルへと向かいました。 Part14へ続く

暖かい内地への旅 Part13 観光列車「いさぶろう・しんぺい」に乗って大畑を越える、熊本へ 」への3件のフィードバック

  1.  人吉、大畑、懐かしいです。あれは1971年の3月のある日、夕方に電話がかかってきて「今から九州に蒸機を撮りに行くけど一緒にいけへんか」と。一緒に行きました。誘っていただいたのは2人の先輩、INUBUSEさんとwakuhiroさんです。どのくらいの撮影旅行か覚えていないのですが、長崎本線喜々津や高森線の鉄橋、日豊本線の青井岳、大畑、吉都線、筑豊本線、豊肥線と盛りだくさんです。しかし、旅館は1泊であとは夜行列車でした。その1泊の旅館ははっきりと覚えていないのですが、その旅館は吉松駅前のDRFC定宿と聞きました。夕食はすき焼きで、これはお決まりのようでした。あまりいい写真が撮れませんでしたが、今となっては貴重な写真となりました。
     さて、ぶんしゅうさん、投稿文の中で「真幸~矢岳では阿蘇山の広大なカルデラを乗客に見せるためにしばし停車をします。」とありますが「阿蘇山の」ではなく「加久藤のカルデラ」ではないでしょうか。最近、地球があちこちでくしゃみをしているようですが、ちょっと心配なのでこの巨大カルデラに巨大マスクをしてやらないといけないような気がするのです。

  2. どですかでん様、ご指摘いただきましてありがとうございます。
    その通り「加久藤のカルデラ」です。訂正させていただきます。カルデラだったので安易に阿蘇と思い込んでしまいました。
    ボケが進んできてこれからも間違うことがあると思いますのでよろしくお願い申し上げます。

  3. ぶんしゅう様
     今は亡き、宮野原線麻生釣での合宿、懐かしいですね。かつてデジ青のお陰でキハ07前や豊後森駅での懐かしい面々との集合写真を見ることが出来ました。
     数年前、九州新幹線延伸に伴い、在来線「つばめ」廃止前にそれに乗りたくて、つばめ、新幹線つばめ、なのはなDX、隼人、いさぶろう・しんぺい、九州横断特急と乗り鉄旅をしたことを思い出しました。 大畑のループも久しぶりでした。
     ところで、先週末のサンダーバード車窓からですが、北陸線沿線では田植えが随分進捗していますよ。麦秋はちょっと早いですが・・・

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