関西の電車・巡察の旅 その1

スルッとKANSAI夏の3dayチケットをプレゼントされた。このところ動かない老人にカンフル剤のつもりで送ってくださったのかもしれない。どうしようか、一思案の結論は、3日乗車で東西南北端まで「乗り鉄」となった。挙行に際して、①特別料金がいらない列車に乗る。②車種は不選別、来た列車に乗り必ず着席する。③老人はWCが近いから、余裕を持って行動する。④障害者手帳はないが、腰、右膝に配慮する。⑤行路途中で生中の相手を呼び出さない。さて、乙訓の五戒はどうなるか?

1日目:8月7日(日)、西向日・普通749発→烏丸805着、810発→竹田821着。ここでWCへ、やって来た天理行急行・828発に乗車する。西大寺で入庫中の阪神1000系を初めてみた。平城京1300年の沿線風景をぼんやり見ているうちに「この急行、平端で橿原神宮行に同ホームの乗り換え不能に気付き、郡山で下車した。後続の普通を待つ間にWCへ。大和八木に940着、大阪線下りホーム改修中に付き蕎麦1杯が駄目になった。944発の榛原準急に乗車。

小学校5年の夏休み、父の故郷で過ごすため130015501300の準急に乗っていた。桜井手前の変電所あたりに黒煙が上がっている。火事だ。変電所手前で列車はストップ。駅員がホームから飛び降り走って来た。駅まで走れと言って乗務員室に入って来た。列車は無事に桜井に到着、乗降あって朝倉に向け発車した。榛原で下車してその後を聞けば不通になったそうだ。桜井は吉野杉の集散地で製材所や卸問屋が国鉄線を背にして軒を並べていた。今もその片鱗が残る。

その桜井で後続の急行乗り換えのために下車。理由は終着榛原5番線にエスカレーターがないからだ。乗り換えた急行2619号車、先の準急9206号と同じ内装であるのに気付いた。老骨もリニューアルされると気持ちが良い。阪急33005300系のまだら化粧板は酷いと思う。大和朝倉を通過してスピードダウン、前に榛原準急が居るのであろう。7年半前、仁蓮上人を先頭に準特急、総本家、老人の4人で長谷寺・榛原間の御立ち台にやって来た。それぞれの御立ち位置に分散したところで、老人は黄土色に焦茶の縞模様の細長い物体を見つけた。「蛇やぁー!」、「ひぇー!」と奇声を上げたお人がいらっしゃった。保護色で50cm位の可愛い蛇だった。

長谷寺~榛原

榛原発車後「そのうち来るさかい、ちょっと待っていてや」と心の中で呟いた。榛原から南へ2里、父母の眠る墓がある。毎年この頃、兄夫婦とやってくる。酒樽でかくれんぼした思い出を従兄の3回忌の時にして、幼馴染をびっくりさせた一幕がある田舎だ。電車がらみと言えば叔父が戦争中にお伊勢さん、橿原神宮に連れて行ってくれたこと。青山越えの2200型の電制の音にびっくり、5600代の飾り窓に見惚れたのもその時だった。

名張1026着で下車。腹が「グウーッ」と鳴ったからだ。改札を出て蕎麦屋を探すが何処も開いていない。やむなくホーム売店でサンドと飲むヨーグルトを購入、ベンチで早弁とする。済ませた時、目前に急行到着。特急退避の上1051出発。伊賀神戸を前に西名張への経路を追うが分からなくなった。桔梗が丘住宅地が出来るまでは線路跡はくっきり残っていた。今は神戸駅手前の川筋位となった。

その神戸駅には863763のユニットが、海老茶に銀色のバンド姿で乗り換え客を待っていた。800系登場時の色でもなく、パンダ塗分け色でもない不思議な色だ、思わず下車してしまった。

伊賀神戸1114発、1424VVVF車は快調に走り青山町に1117着。これで本日の目的地、最東端到着となった。所要時間3時間29分、でも名張や神戸でウロウロしなかったら3時間前後で来られたであろう。でも早回りではないから、これでいいのだ。

伊賀鉄道

青山町から峠を望む

帰路は田原本から王寺を経て生駒に出ようと思いパンフを見たら不適用区間となっている。何故だろう?5年ばかりに前に乗った事があるが、その時はスルッとkansaiが使えた筈だ。大軌200形は8300系3連、信貴生駒1形は1020系4連となり、ワンマン運転にはびっくりだった。適用外区間は乙訓の戒に反するから乗る気はない。WCに行って、青山町から鶴橋に直行することにした。乗った急行は特急遅延のあおりを受け良く走る。名張-赤目口-三本松間の平坦部では110/h前後を維持している。2200形時代はどうだったのか、仁蓮上人に問うてみたい。名張3分延発は八木で取り戻し、ところが再び八木3分延発となり五位堂からノロノロ運転となる。国分で準急を抜くや再び猛ダッシュとなり、鶴橋1312着。名張-鶴橋間66.1㎞:70分(途中停車8駅)であった。50年前は66.2㎞:56分(途中停車3駅)で、かっての急行の筋を引いているのは現在、快速急行と名を変えている。所要時分57分、途中停車は5駅で、特急退避ありだ。

三本松~赤目口

三本松~赤目口

思惑より1時間早く着いてしまった。うだる暑さの中で時間つぶしを考える。そうだ、生駒山上に行こう、適用区間ではないか。王将で冷やし中華に生中をすすっている間に思い付いた。鶴橋1355発で生駒1414着。ケーブルは1420発車と係員が叫んでいる。雑誌で見たケーブル・カーは微笑ましく思ったが、現物を見ると少々グロテスクである。ガラガラの車内で発車。本日は臨時便ありで所要時分は、鳥居前(6分)宝山寺(7分)生駒山上と案内している。往復したら1516着で御帰還であった。

さあどうするか、けいはんな線へは開業草々に行ったが、トンネル電車で面白くない。さあ帰ろうか、WCに行って生駒1516発、ガタの来たアルミカーで堺筋本町、淡路を経由して起点・西向日1646着。全行程8時間57分、運賃5,050円也の巡察の旅だった。

山上線

宝山寺線

関西の電車・巡察の旅 その1」への1件のフィードバック

  1.  その節はお世話になりました。撮影名所の長谷寺。うちの女房も小さい蛇の目は可愛いなんて言っていました。酉年のせいでしょうか、蛇は何もせずに逃げていくようですが、見るとドキッとします。昨年河内堅上の民家に出てきて撮影したのが、一番最近見た例です。過去には保津峡(前田氏同行)、桑川(川中氏同行)、海老名、桃浦(大きな青大将で山川、犬伏、高田各氏同行)、早川(撮影済)、真鶴、高野山(撮影済)、榊原温泉口(高田氏同行)、生野(高田氏同行)、新疋田(総本家氏他同行撮影済)、豊原(ヤマカガシ3匹)、筑波、蓮田、台湾板橋(撮影済)等々で見ました。殆んどが青大将かヤマカガシです。蝮は伊予鉄で死体を見たくらいです。撮影好適地ではよく出てくるものですが、最近は見かけることが少なくなりました。瀧本元運転士も昔は交野線でよく見かけたと言われました。少なくなったとは言え、今でも草むらは苦手で、大都市の路面電車やホームでの撮影は安心します。一度作品をデジ青に発表しましょうか。

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