三江線廃止まであと半年を切っていますが、芸備線沿線でも危機感が高まっています。中国新聞記事から。
投稿者「西村雅幸」のアーカイブ
白棚(はくほう)鉄道跡を訪ねて
今年6月に佐竹大先輩が企画された三陸鉄道の旅に参加した際、気仙沼から盛までのJR気仙沼線BRTに乗りました。気仙沼線BRTとは東日本大震災で寸断されてしまった気仙沼線の代行バス(バス高速輸送システム)のことで、舗装された線路跡をバスで盛に向かいました。この気仙沼BRTに乗っていて思い出したのが、白棚鉄道のことでした。かつて東北本線の白河と水郡線の棚倉を結んでいた鉄道で、国有化された挙句に廃線となり、国鉄バス白棚高速線として生き残った異色の線区です。学生時代に東北本線は北海道への往き帰りなどで何度も乗っていますが、殆どは夜行列車での通過が多く、ましてや水郡線は関西人にはなじみが薄い路線で、私にとって白河や棚倉あたりは永年空白地帯となっていました。そこでこの空白エリアを埋めるべく、小旅行をしてきました。とは言え家内との鉄分少な目の旅であることと、雨に降られっぱなしでしたが、知らない土地を訪ねるのは新鮮で、充実した旅を楽しみました。
あと半年の三江線
忘れた頃に中国新聞に登場する三江線の駅紹介記事です。
「浜大津」に寄せて
江若ジオラマを製作し、平成23年から大津で何度か展示の機会を得ました。そのなかで最も製作に苦労したのは最後に作った浜大津ジオラマでした。江若と京阪の両方があり、特に京阪は特殊なポイントやクロッシングばかりで市販品が使えず、H君の協力を得て完成しました。ジオラマの展示にあわせて掲示物も作ったのですが、その中に浜大津の線路の変遷図がありましたので、その一部をご紹介したいと思います。
大正元年に京津電気軌道によって京都三条・大津札ノ辻間が開業し、大正14年にようやく浜大津まで延伸されました。そして前身が琵琶湖鉄道汽船である石坂線と昭和14年に線路がつながりました。なお手書きの地図の水色の部分はかつての大津城のお堀を示しています。
昭和46年 46年前の飯田線合宿(3)
翌7月28日は温田発6:35の電車で七久保へ向かいました。七久保でED19牽く貨物を撮ったあと伊那本郷まで歩いたようです。
たった一度の東濃駄知線
関三平先生の昭和の電車「東濃モハ100型」が登場しました。今度ホムカミでお目にかかれるのを楽しみにしておりますが、このモハ100のイラストを見て、あれっ?と思いました。実は昭和45年10月に一度だけモハ101に対面しているのですが、てっきり最初から貫通車だと思い込んでいました。駄知線にデビューしたときには非貫通だったことを初めて知りました。
昭和46年 46年前の飯田線合宿(2)
温田ユースで泊まった翌日7月27日は雨もあがってまずまずの天候だったようです。
各自思い思いの場所へ向かいましたが、私は天竜峡、飯田を過ぎて市田まで行ったようです。なぜ市田で下車したのか覚えがありません。
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46年前 昭和46年の飯田線合宿(1)
やや乗り遅れた感のある投稿になりましたが、総本家青信号特派員氏、wakuhiro氏などが飯田線の懐かしい力作を連発され、昭和46年の飯田線合宿を思い出しながら拝見しました。当時撮影したネガは手元にあるものの、殆どプリントすることなく眠っていましたので、丁度良い機会と思いスキャンしてデータ化することにしました。予想した通り、特派員氏の作品のような情景をうまく切り取った写真はなく、また駅撮りのイージーなものが大半でしたが、当時の雰囲気がわかればそれも良いかと思い、投稿することにしました。ここで昭和46年11月25日発行の「青信号27号」にKo氏、Ki氏が寄稿された「飯田線 温田合宿の巻」が貴重な行動記録として役に立ちました。では車中1泊+温田ユース1泊の短期合宿ではありましたが、旅程に沿って撮影した拙作をご紹介したいと思います。旅は46年前の昭和46年7月25日の夜の大垣行きの113系で始まり、大垣駅で仮眠後、大垣発3:26、豊橋着6:01着という、若さあふれたスケジュールだったようです。写真は早朝の豊橋駅から始まります。
今年もカープ花電車
昨年に引き続き今年も花電車が登場することになり、CS、日本シリーズの結果を気にしつつ、広島通いが増えそうです。まずは新聞記事から。
昨年は大きな鯉のバルーンをブロワで風を送って膨らませていましたが、今年は派手さはありませんがメッセージ性の強いデザインです。このデザインは企画課の若いカープ女子が考えられたようで、市民が応募した写真を使って「CARP V8」の文字を作るなど市民が支えるカープを表現していてなかなかの出来栄えです。
5万人の写真展 広島会場
中学時代からの親友を亡くされ落胆されている米手作市様への気付け薬になればよいのですが。昨日から3日間だけ広島市の紙屋町交差点の真下にあるシャレオ中央広場で開かれている同展を見ようとカープ花電車撮影を兼ねて広島へ行ってきました。
広島便り
カープ優勝で盛り上がる広島からのニュースです。
広電900型(元大阪市電2600型)の1両がソウル市に来年度開園する鉄道公園内で走るそうです。記事には何号車とは明記されていませんが、譲渡車両は906号のようです。900型は901~914の14両がいましたが、すでに901、902、903、908、909号の5両は廃車されていて 9両が全車江波車庫所属で活躍中です。とは言え1000型の増備が進んでいますので、次第に出番が減っているようです。京都市電1900型はまだ1両も廃車されずにがんばっていますが、超低床車に乗り慣れてきた乗客からは、「よっこらしょ」のステップは不評のため、いつまでも活躍とはゆきそうにありません。ミャンマーに渡った3000型がシートをかけられて惰眠のようですが、900型がそういうことにならないように願うばかりです。906号の写真を1枚添えておきます。
ショウコンユについて
デジ青の楽しみのひとつは、コメントのやりとりが時として思いもよらない方向へ脱線して そこで停まるのかと思いきやそのまま話が進んでゆくところではないかと思っています。今回もEF52から「松根油」に飛び火していますが、湯口先輩のコメントを後押しするようなコラムが今朝の中国新聞に載っていて驚きました。
デジ青管理者殿 EF52が松根油を介して北朝鮮へ飛び火しました。「脱線教唆罪」に問わないで下さいネ。
可部線延伸その後
平成29年3月4日にお祭り騒ぎで延伸開業した可部線ですが、当初目論見通りとはいっていないようです。
最初と最後のED38
米手様が紹介された金網越しのED384を拝見して、私もED38に出会っていたことを思い出しました。最初の出会いは1970年(昭和45年)4月 秩父鉄道秩父駅でした。
三江線あと7ケ月(続報)
昨日アップしたと思ったら、もう翌日に詳しい記事が載りましたのでご紹介します。大きい紙面のためA4サイズに入らず、2分割となりましたが悪しからず。
但し これだけの情報ではまだ具体的なことがわかりませんが、三江線と同じルートで三次・江津間を乗り通そうとすると4,5回乗換えることになりそうです。乗り通せるのかもわかりません。予約制であったり、定員が少なかったりで、ある日思い立って出かけてみると、運休日だったり、定員オーバーだったりと足止めを食らうことにもなりそうですね。いずれにせよ過疎地旅行をするには市販の時刻表は全く役に立たず、曜日や休校日を確かめ、各市町村のホームページでコミュニティバスの時刻やルート、定員を調べ、予約してから現地に向かう時代がやってきそうです。
三江線もあと7ケ月
来春の廃止を控え 代替バスのルートや事業者選定などの協議が進んでいるようです。しかしまだ全貌はよくわからない状況です。いつものように中国新聞記事から拾ってみました。
今朝の「瑞風」
「瑞風」には3コースありますが、「山陽上りコース」が呉線に寄り道します。下関から山陽本線を上り、糸崎まで来て午前3:46に折り返して、三原駅で小休止して4:06に呉線に入ります。深夜の呉線を広まで進みます。今来た道をまた三原に向けて午前6:00に広を出発します。夏場であれば充分撮れる明るさです。今朝は少し早起きして 呉線を尾道に向かう「瑞風」を撮りに行きました。呉線の「瑞風」を撮るならやはり海を入れて撮りたくなります。今朝は安芸幸崎・須波間に行ってみました。
こんなモンしかありまへん![中学修学旅行編その3]
こんなモンしかありまへん![中学修学旅行編 その2]
こんなモンしかありまへん![中学修学旅行編 その1]
米手作市様が「こんなモンありまっせ!中学修学旅行編」を連載されていることに背中を押してもらった気がして、私も恥ずかしながら昭和39年3月の写真を紹介させて頂きます。カメラはハーフサイズのPEN-Dでした。ネガをスキャンしようとすると ネガは八ツ橋状態で端が切れたり 鮮明な画像が得られません。しかしどうしようもないので、無理やりスキャンしました。眠たい画像で失礼します。