今日の尾道駅

湖畔の住人Y先輩から半世紀前のお宝映像が次々と披露され、次は何が登場するだろうと デジ青を開くのが楽しみな今日この頃です。先日紹介された尾道駅停車中に車窓から撮られたのであろう尾道鉄道を拝見し、早速プリントアウトした写真1枚を手にして 尾道駅へ行ってきました。

平成29年8月16日 尾道駅上りホームから見た尾道鉄道乗り場の一部

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カラーで振り返る昭和の気動車-4-に寄せて

総本家青信号特派員殿がなつかしいキハ55系の活躍ぶりを紹介されました。そのなかで南海のキハ55が登場しましたが、ここでは島原鉄道のキハ55をご紹介します。ネガの色調をうまく調整できず 空が黄色くなっているのはご勘弁を。

キハ5505+キハ4505 昭和53年10月 南島原駅にて

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広電と三江線ネタ

いつも代わり映えのしない内容で失礼します。まずは広電関係から。

平成29年7月29日 中国新聞

新しい構想として3時間、7時間、1日広電バスを含めて乗り放題という時間制運賃を検討中とのこと。外来者にとって広電バスも含めたフリーパスのメリットはあまり感じられませんが、広島市郊外の住民にはお得感はあるのでしょう。いろんなアイデアで少しでも乗客を増やそうという意欲にはエールを送りたいと思います。

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保津峡駅の午後の思い出ほか

総本家青信号特派員殿より「はしだてビーチ」の紹介がありました。そのなかで昭和44年7月の合宿が宮津線・加悦鉄道で行われたとありましたが、私は参加していません。ただ当時のチラシ類が残っていないかと探してみますと 次のようなものが見つかりました。

非常に見づらくてスミマセン。この年昭和44年の夏頃から全学封鎖だった時期で、クラブ活動は非常にやりにくい時期だったと記憶します。そんな中で熱心な旅行班長T君はいろいろな企画を考え、このようなガリ刷りのチラシでみんなに呼びかけを行っていました。

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中国地方小ネタ3題

まずは梅小路のD51200が山口へ出稼ぎに来ているようです。

平成29年7月25日 中国新聞朝刊

「デスティネーションキャンペーン」と言われても「それ何?」という感じですが、9月1日から12月31日まで JR西などが企画している「幕末維新やまぐち デスティネーションキャンペーン」のことのようです。結局 オジサンには「デスティネーション」が解りませんが どうやら「目的地」の意味だそうです。とすると「幕末維新やまぐち目的地宣伝活動」と言うことになりますネ。どうも長州人は物事を判りにくく 回りくどく説明するのが得意なようです。D51200がいつのまにか山陽路を回送されて行ったようですが、これぐらいの長距離を回送する際には無火状態にして回送するのでしょうか?あるいは一旦火を落とすと大変なので有火状態で機関士も添乗して回送されるのでしょうか?どなたか教えて下さい。

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三江線の話題など

九州地方の豪雨災害や各地でのゲリラ豪雨など自然の猛威による鉄道の被害も報じられています。三江線も何度も自然災害に見舞われてきた線区で、その都度何とか立ち直ってきましたが、その命脈もあと半年ほどです。今回は自然災害のせいではなく、地方交通の置かれた厳しい環境の為せる結果です。いつものように新聞記事頼みの横着記事ですが悪しからず。

平成29年7月19日 中国新聞朝刊

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三江線代替バスルート案

沿線市町村で代替バスルートなどの協議は進んでいるようですが、なかなか全体像が見えてきません。

平成29年7月12日 中国新聞朝刊

この案は島根県側の邑南町が提示したもので、作木口から三次間はそれなりに整備されている国道54号線をメインルートとしたいという案です。島根県側の人が三次に出たい時には、三江線と同じ江の川沿いの狭い道を時間をかけて三次に向かうよりは54号線ルートの方が早いので至当な案でしょう。この案では口羽・三次間の旧三江南線の大半はルートから外れることになります。ただ三江南線に沿って国道375号を走る路線も検討されてはいるようですから、沿線住民の利便性を優先しながら、乗換えが少々面倒だったり便数が少なくても旅行者にとっての選択肢も残した案になることを期待します。

三江線はどうなるの?

米手作市様から問いかけがあって気になっていましたが、今朝の中国新聞記事でその答えとさせて頂きます。

平成29年6月26日 中国新聞朝刊

同紙 (続き)

8月末には具体案が見えてくるようです。いずれにせよ全線を乗り通そうと思えば、2,3種類のバスに乗り継がねばならなくなるのではと想像します。果たしてどうなることやら。

草津のハチロク

向日町や京都の話題で「こんなモンありまっせ!」シリーズが盛り上がっていますので 悪乗りしてみました。大津のハチロクさんも登場されましたので、私は草津のハチロクでゆきます。

昭和41年6月26日 28698[梅]

草津駅の東方 東海道線と草津線が別れてゆく地点に「草津給炭転向所」があって、ここへよく行きました。草津線のC57やD51,信楽線に入るC58、そして大津から守山、野洲方面の入換えに行く梅小路のハチロクが休んでいて すぐそばを通過するEH10やカーブして手原方面に向かう草津線の客レなどが撮れる手頃な場所でした。今は草津線も高架になって分岐し、線路のつけかえも行われて当時の面影は殆どありません。かろうじて保線基地?として残っているようです。梅小路や向日町は敷居が高く、入りにくかった施設でしたが、ここはこじんまりとした施設で好きな場所でした。米手作市殿がご紹介された桂川鉄橋東の28698を私はここで撮っていました。ナンバープレートには形式名も入っていて由緒正しきハチロクでした。昭和45年7月11日に梅小路区で廃車になっています。

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三江線関連の小ネタ

平成29年6月20日の中国新聞朝刊に載っていた記事です。広島県安芸高田市にある歴史民俗博物館が三江線の企画展を計画しているが、手持ちの資料が少ないので 貸してくださいとのお願い記事です。

平成29年6月20日 中国新聞朝刊

同館は毛利元就の居城 吉田郡山城のふもとにあります。ところが吉田町は鉄道によるアクセスが悪く、芸備線向原駅、吉田口駅、甲立駅が最寄り駅ではありますが、クルマでないと行きにくい場所です。

資料を借りたいとは言いながら、持参して来館できる人に限るということですから そんな枠をはめると どれだけの資料が集まるか疑問ですね。もし万一「貸してもいいよ」というお宝があれば 私宛にお送り頂ければ 私が飛脚となって吉田郡山城麓まで届けることは やぶさかではありません。

トレランスのあとは釜石から秋田へ

総本家青信号特派員氏より「トレランス8号三陸鉄道を走る」が紹介されました。記事にもありますように、私もこのイベントに参加し、大船渡線BRTと三陸鉄道に初乗りするとともに、震災後6年が経とうとしている気仙沼・陸前高田・大船渡・釜石・大槌の様子を駆け足ながら実見してきました。ここでは被災地レポートではなく、イベント終了後 釜石から盛岡、八幡平を経て秋田までの旅の中で出会った鉄道を紹介したいと思います。

製鉄で栄えた釜石ですが、現在高炉はなくなり 製鉄所は発電事業や鋼線製造に特化し、加えて津波被害もあって 釜石にはかつての活気は感じられませんでした。新橋・横浜、京都・神戸間の鉄道開通に続き 明治13年に釜石鉱山から釜石港まで 我が国3番目の鉄道として工部省釜石鉄道が開通しています。その後いろいろな変遷をたどりながら、昭和40年3月末まで富士製鉄の762mm軌間専用線として 蒸気機関車による貨物輸送が行われていました。その専用線で最後まで活躍していた蒸気機関車が保存されていますので、訪ねてみました。

富士製鉄釜石 209号機 平成29年6月12日 鉄の歴史館前にて

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北関東のSL+EL こんなんありました

異形式併結や電蒸運転で盛り上がっておりますので、それに便乗してみました。高崎で過ごした単身赴任の4年間、土曜、日曜はしっかり北関東の鉄道を満喫しました。そんな中から3例をご紹介します。まずは秩父鉄道から。

平成11年5月3日 広瀬川原にて デキ107+PC+C58363

現在も秩父鉄道ではC58363牽く「パレオエクスプレス」が運転されているようですが、機関区のある広瀬川原と熊谷間の回送は電機が牽引します。写真は広瀬川原出発直前の回5102レです。牽引機のデキ107は元松尾鉱業鉄道のED501です。このデキ107は平成27年3月に除籍になったようです。客車はデキ側(熊谷寄り)からスハフ322357+オハ472246+オハ472261+スハフ422137です。汽笛を合図に発車してゆきました。

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[84583]「特派員氏の疑問を解く」に寄せて

京都駅から向日町にかけての配線図の話で盛り上がっていましたが、ヒントになるような写真がないかと探してみました。親父のカメラを借りて初めて京都駅に出向いて駅撮りしたときのものです。中学1年の冬だと思われます。昭和38年1月か2月の筈です。

京都駅1番ホームで列車を待つ自衛隊員と上り急行なにわ

いわゆる三八豪雪で北陸から新潟方面は雪に閉じ込められて鉄道も動かなくなりました。そんな新潟方面に救援に向かう自衛隊員が大勢1番ホームで列車を待っていたことを覚えています。従って昭和38年の1月か2月の撮影だと思われます。すべて同じ日の撮影ですが、次は山陰線ホームに準急「丹後」が到着したときの様子です。

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