三江線の話題など

九州地方の豪雨災害や各地でのゲリラ豪雨など自然の猛威による鉄道の被害も報じられています。三江線も何度も自然災害に見舞われてきた線区で、その都度何とか立ち直ってきましたが、その命脈もあと半年ほどです。今回は自然災害のせいではなく、地方交通の置かれた厳しい環境の為せる結果です。いつものように新聞記事頼みの横着記事ですが悪しからず。

平成29年7月19日 中国新聞朝刊

三次から2番目の粟屋駅には昨年5月にぶんしゅう氏と立ち寄っていました。

平成28年5月7日 粟屋駅にて

読者投稿欄にはこんな思い出話もありました。

平成29年7月19日 中国新聞朝刊

鹿賀駅は島根県側です。鹿賀駅・石見川越駅間は3.5Km,鹿賀・因原間は3.4Kmで 歩いて1時間ほどですから、バスも自家用車も無い頃には汽車に乗って町に出るには1時間ぐらい歩くのは当たり前の時代でした。江津から鹿賀までは25.8Kmで現在でも56分を要しています。実家の横に駅ができて江津まで1時間で通学できるとなればさぞ希望に胸をふくらまされたことでしょう。

島根県側の代替バス路線の情報がないのですが、広島県側の案が出てきました。

平成29年7月20日 中国新聞朝刊

さて 話題は変わりますが広電本社横に保存されていたドルトムント市電76号が移転・保存されることについて以前にご紹介しました。昨日広電前を通ったところ、76号の姿はありませんでした。どこへ持って行かれたかは未確認です。

平成29年5月27日 広電本社横

平成29年7月19日

三江線の話題など」への3件のフィードバック

  1. 西村様、
    三江線に関する継続的レポート、有り難く読んでおります。
    今日の記事を見て、余りの懐かしさに思わず書き込みをしました。
    地図の中ほどに「ゆめランド布野」というのがありますがここは道の駅です。いまは三次市布野と言うらしいですが私の子供の頃は布野村といいました。父の出生地で私の本籍も「広島県双三郡布野村字上布野甲」となっておりました。私の鉄道旅の出発点かもしれません。芸備線を荷物車(貨物車ではありません)に乗って家族が「十日市」と言っている駅で降りたのを覚えております。布野の祖母がいた家は粗末な復員住宅でしたが、従弟達と山に登って柿を食べたり、広い川原に下りて魚を追いかけたりした記憶があります。先日数十年ぶりで行ってみたところ、砂利道は舗装された国道となり、広いと思っていた川は堀川程度の川でした。地図を見たら親類の言っていた地名「作木」などが見えて、亡くなった伯父や伯母たちの顔や声が思い出されます。ありがとうございます。

    • 米手作市様
      米手様が布野村とご縁があるとは驚きました。平成の大合併で三次市域になりましたが、近年まで布野も作木も村でした。広島県は備後国と安芸国から成り立っており、県北部を備北、芸北と呼びます。三次、布野、作木は備北地域ですので、備南に暮らす私にとって備北は親しみがあります。冬は降雪地帯でもあり、厳しい地域でもあります。布野村を縦断する国道54号線を北上すると木次に出ますね。米手様がC56時代の木次線を訪れておられたのも布野村と関係あるのでしょうか? 十日市ですが、三次駅周辺の地名が十日市です。現在の西三次駅が確か昔は十日市駅だったのではないでしょうか。芸備鉄道の主要駅でもありました。十日市機関庫もあったと思います。三江線に次いで芸備線、福塩北線も風前の灯状態で備北の鉄路はいつ廃止されてもおかしくない状況です。ふるさと探訪・備北鉄路旅なら当白タクにご用命下さい。安芸国で製造されたディーゼルカーでご案内致します。

  2. 西村様
    三江線廃止へ向けた刻々の情報、いつもありがとうございます。以前にもお伝えしましたが、天邪鬼の私は、約50年近く三江線に行っていません。この夏、18きっぷでとも思ったのですが、乗り納め客の混雑を恐れていたところ、JR西から「山陰めぐりパス」の発売を知りました。これなら一人旅もOKですので、9月になってからゆっくり行こうかと思っています。

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