草津のハチロク

向日町や京都の話題で「こんなモンありまっせ!」シリーズが盛り上がっていますので 悪乗りしてみました。大津のハチロクさんも登場されましたので、私は草津のハチロクでゆきます。

昭和41年6月26日 28698[梅]

草津駅の東方 東海道線と草津線が別れてゆく地点に「草津給炭転向所」があって、ここへよく行きました。草津線のC57やD51,信楽線に入るC58、そして大津から守山、野洲方面の入換えに行く梅小路のハチロクが休んでいて すぐそばを通過するEH10やカーブして手原方面に向かう草津線の客レなどが撮れる手頃な場所でした。今は草津線も高架になって分岐し、線路のつけかえも行われて当時の面影は殆どありません。かろうじて保線基地?として残っているようです。梅小路や向日町は敷居が高く、入りにくかった施設でしたが、ここはこじんまりとした施設で好きな場所でした。米手作市殿がご紹介された桂川鉄橋東の28698を私はここで撮っていました。ナンバープレートには形式名も入っていて由緒正しきハチロクでした。昭和45年7月11日に梅小路区で廃車になっています。

昭和42年12月9日 88638[梅]

この88638も形式名入りプレートできれいなカマでした。長生きして昭和47年5月11日 紀伊田辺区で廃車となっています。

次は向日町でボイラ代用となっていたハチロクです。昭和42年8月17日に梅小路区で廃車になっています。

昭和40年3月13日 向日町運転所にて

最後は こんなハチロクも梅小路におりました。ボックス動輪の48667です。このハチロクは昭和41年1月20日に梅小路で廃車されていますので棺桶に片足を入れていた時の記録です。

昭和40年12月11日 48667[梅]

いずれの写真も粗い画像で失礼しました。お粗末さまでした。

5 thoughts on “草津のハチロク

  1. 西村雅幸様、
    古い写真は思わぬところで、思わぬ形でブレークするものだと知りました。投稿者が無知であればなおさらです。投稿しておきながら「へー、そうやったんか」などと感心している有様です。

    ところでムコテンで撮った写真の中に、キハ04と言うのがありました。またご覧に入れます。

  2. 西村雅幸様
     
    8600の浜大津への出前機関車の話題が続いていますが、更に草津にも28698の出前が有った由。
    梅小路からの出前は未だしも、遠く吹一からの出前はチョット非効率を感じます。
    そこで、調べて見ましたら28698は1964年4月には吹一に居ますが、その後転属したようで1967年3月時点では梅小路に所属しています。
    手持資料に肝心の1965年、1966年の配置表が無い(当時資金不足で購入出来ず。=笑=)ので、この間に『吹一』⇒『梅』と転属したと考えられます。

    ところで、機種は違えど小生にも出前の記憶が蘇りました。
    場所は西宮で、鷹取所属のC12246が毎日居たのを思い出しました。
    こちらは西宮~(甲子園口)~阪神電車・武庫大橋~同・洲崎方面に有名な(?)3線軌条区間に跨って貨車を牽引して往復していました。
    これをカメラ持参で自転車で追いかけ回した思い出があります。

    • 河 昭一郎様
      ピクの「車両の動き」欄まで丹念に調べて頂き ありがとうございます。1枚の写真がきっかけで忘れていた記憶が蘇ってくることはよくあります。そういう意味では画面一杯の形式写真より あたりの何気ない風景が写り込んだ写真の方が価値がありますね。西宮の思い出話もありがとうございました。

  3. 28698の移動調査ギブアップのご報告

    誰に頼まれた訳でもないのに28698の『吹一』⇒『梅』移動の記録を意地になって調べて見ました。(笑)
    鉄ピク誌の巻末に『車両の動き』欄があり、実際の移動日より3カ月位遅れて該当車の番号が掲載されていたのを思い出し、調べて見る事にした次第。
    幸い小生はこの年代のピク誌を全巻揃えて保管していて、1964年4月~1966年4月の同欄を全部チェックする事が出来ました。
    ところが不思議な事に2度もチェックしたにも関わらず該当の28698が見当たらず『???』状態です。
    考えられるのは小生の見過ごし又は出版時の掲載もれですが、全く不明です。

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