京都テレビ(KBS)にて、1969年から2019年迄のトピックを毎週、1年分を5分間に纒て放送しています。
今週は1978年で、市電の廃止が1分半の映像で “毎日” 紹介されています。
今週の放送予定
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京都テレビ(KBS)にて、1969年から2019年迄のトピックを毎週、1年分を5分間に纒て放送しています。
今週は1978年で、市電の廃止が1分半の映像で “毎日” 紹介されています。
今週の放送予定
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掲示板に“これからは書きます!”と誓ったものの、舌の根の乾かないうちに無投稿状態が続いています。私の投稿を楽しみにしていただいている?ごく一部の方には、申し訳ない限りですが、決して鉄道趣味活動から疎遠になったのではなく、一つ二つのプロジェクトが終わっても、その余波がまだ尾を引いていて、なかなか本来の活動状態に戻れないのです。
その「余波1」として、またまた京都市電の写真展を開くことになり、もうすでに開場しています。皆様へご案内すらできていませんので、この場を借りまして、みずからご案内する次第です。同所での写真展はもう5回目であり、写真もほとんど変わり映えのしない内容で、皆さまの貴重な時間を費やすのも申し訳ない気持です。小耳に挟む程度でお願いいたします。
では予告どおり、EVE展示の「京都市電で偲ぶ昭和の同志社」の展示内容を振り返って見ましょう。
考えたら、同志社前の京都市電は、クローバー会全員の共通項であり、ある意味、会活動の原点とも言えると思います。そのまま展示するのも能がないので、昨日、定点撮影した現況も添えました。
1950年代の烏丸今出川
【1】烏丸今出川を直進する6系統600形。元文堂書店、パチンコ屋と懐かしい建物が続く。元文堂の前の塔屋は、市電のポイント操作塔で、交差点を曲がる市電のポイントの切り替えを行っていた。交差点のど真ん中にある、警官の乗る交通指示台とともに、昭和30年代の光景である。
(昭和34年 撮影/沖中忠順)
▲現在の烏丸今出川交差点。背後の建物はすべて姿を消して、新しい業態の店舗になっている。並びにあった名物の“わびすけ”も一昨年に消えた。市電が消えた交差点は、意外に広く見える。
【2】烏丸通を行く21系統1000形と、4系統900形。自動車にも時代が感じられる。ちょうど良心館の前あたりで、右手の建物は、中学校の校舎で、取り壊された立志館の北隣にあった。 (昭和34年 撮影/沖中忠順)
▲現在の同所、同志社中学跡地に巨大な良心館が建ち、風景は一変した。ホームカミングデー、EVE展示も良心館で行われた。ダットサンタクシー、プリンススカイラインの後ろにある建物は中学のものであることは明らかだが、EVE展示で同志社中学出身者が4人協議しても、何の建物かは結論が出なかった。1000形の21系統は、当時、四条烏丸-烏丸車庫-四条大宮-銀閣寺という複雑な経路だった。阪急河原町延長に伴う四条線の整理により、昭和38年から、九条大宮終点に変更された。