中国地方の交換駅
中国地方での窓から写した列車、続きます。なんせハーフサイズのネガを、さらに大幅トリミング拡大、その仕上がりにはご容赦を。
▲昭和39年に家族旅行で、山陰・山陽地方を旅行した時だ。6月の豪雨災害で、山陰本線は各所で寸断され、2ヵ月近く不通になり、ようやく開通したばかりだった。ダイヤはまだ混乱していて、乗車予定の宇野発博多行き準急「しんじ」も、途中の石見大田からの特発となった。準急「しんじ」は、宇野から伯備線・山陰本線・山口線経由の博多行き、という当時ならではの経由の準急だった。出雲市から石見大田まで普通列車を乗り継いで、ようやく「しんじ」に乗って山口線に入った。途中の日原駅で交換したのが、写真の小郡発石見益田行き527レを牽いていたD606〔津〕、独特の大型の集煙装置を着けていた。津和野区に配置されたD60は、山口線の客貨列車を牽いていた。本州で客車列車を牽くD60の活躍が見られたのは、山口線と磐越東線だった(昭和39年8月)。▲山陽本線は、最後の電化区間として、小郡~広島が昭和39年10月に電化が完成している。山口線で小郡に出て、広島まで普通列車に乗った。牽引は、EF60の500番台で、この区間の電化工事が完了していたが、貨物列車は、まだD52の天下だった。島田駅で長時間の停車、その間、上り特急「かもめ」が追い越して行く。普通列車に冷房など皆無の時代、窓を開け放っても、熱気は全く収まらない。うだるような暑さのなか、それをさらに暑くするように、D52372〔柳〕が、ワキを連ねた急行貨物を牽いて通過して行った。山陽本線の貨物を牽くD52の写真は、この一枚だけ残った(昭和39年8月)。