エリトリア2011年 未開の大地への鉄道の旅 Part13  希望へのエリトリア鉄道の今は その4

第5日目 9月28日 その4
① 午前;アスマラ駅構内と郊外走行撮影、市内観光
② 午後;機関区撮影

【ディーゼルカーとディーゼル機関車】
ディーゼルカーは、小型1両と大型2両がいました。このツアーは蒸気機関車撮影が主でした。構内撮影が許可されていた9月28日と、10月1日の空き時間を利用して撮りましたので、両日撮影分をまとめて紹介させていただきます。

しかし、私ごとき博学ない者には、説明ができかねます。幸いにして、クローバー会には、内燃機関車の第一人者であられます 「須磨の大老」さまがいらっしゃいます。ここでは写真にとどめて、説明はお任せいたしたいと思っております。お手数をおかけしますが、よろしくお願い申しあげます。





▲ ディーゼルカー№2。車内にはカウンターが設置されていましたので、簡単な飲食が提供されていたのでしょうか。車両ドアが外開きの観音ドアだったのにはびっくりしました。




▲ 工場兼車庫を入っていきますと、ディーゼルカー№7ディーゼル機関車25Dがいました。№7の車内は、№2とは違って、一方方向にシートが並んでいました。ドアは開きませんでしたので、よじ登っての撮影です。転換クロスなのか分かりません。25Dには、「FRIED.KRUPP 1957」の銘板がありました。



▲ 車庫に入ってすぐに会った、なぜか愛らしい小型ディーゼルカー№2、多分作業用に使用されたのでしょうね。


▲ 大型ディーゼル機関車27D、これもクリップ製ですね。1957年製造のようですので、1番新しい機関車なのでしょうか。

以上が、軌道や車庫にあった内燃車両です。ホテルに帰るのでバスに乗るよう指示がありましたので戻ると駐車場端にトラックに乗せられたDLが2台ありました。少し待ってもらって撮りに走りました。

▲ 銘版を見ますと、1937年とあります。構内用に使用されたものと思われます。これから修理にでも出すのか、それともどこかに持っていくのか分かりませんでした。

今夜の夕食は何だろうと思っていましたら、ホテルから歩いて近くのイタリアンレストランに行きました。席に座ると、メニュー表を渡されて好きなものを注文してくださいとの事です。
日本のツアーと違って、既に注文されている食事を食べるのではなく各自の好みに任されていました。と、言ってもメニューはパスタかピザぐらいしかありません。適当に別々のピザを注文して、皆で回して食べました。
途中で外に出てみますと、街中を散歩する人がたくさんおられます。イタリアでは夕食後に街をそぞろ歩く習慣があるそうですが、アスマラでも同じような習慣が継承されていて、住民たちから「アスマリーノ」と呼ばれているそうです。

植民地として支配されていた国の文化が受け入れられたのは、搾取や争いが起こったイギリスやエチオピアと違って、イタリアは道路整備や都市計画などの街づくりや職業訓練を行い、産業を残したからと考えられています。また歴史的にも古来から様々な文化が交差する土地でもありました。それぞれの文化を柔軟に取り入れる国民性は、現在にも受け継がれてきているのでした。

貨車と客車につきましては、 乗車もいたしましたので、その中でご紹介させていただきます。   Part14  へ続く