北方見聞録 最果ての地、樺太(サハリン)鉄路への旅 Part6 豊真線、真岡駅

第4日目 7月12日 その2

8:40 ワンボックスに毛の生えたような小さなバスに乗って豊原バスターミナルから真岡へと向かいます。かつての豊真線沿いを行くのかと思っていましたが南方向に迂回したA-392号線を行きます。真岡の手前でようやく豊真線の橋梁が見えたのが最初の遭遇した。

【 豊真線 】
開業は1925年(大正14年)10月1日、樺太東線と樺太西線を結ぶために豊原~鈴谷が開業、1928年(昭和3年)9月3日に小沼~手井の76.2㌔が全線開業しました。
1943年(昭和18年)度における線別キロ当り1日平均貨物トン数では、勾配区間でもあるにもかかわらず豊真線が964㌧で、川上線の877㌧、樺太東線の869㌧、樺太西線357㌧より多く、貨物輸送に貢献していました。これは大泊港が冬季に凍結することが多く、夏季は潜水艦からの攻撃を避けるために安全な西海岸からの物資輸送に切り替えられたことが大きな理由です。内地へと送る石炭や木材の輸送が多かったようです。
かつての日本統治下時代は
豊真線の豊原~北真岡に上下3本の列車が運行していましたが、1995年頃に途中のループ線(
宝台 ~池ノ端)にあるトンネルが崩壊したため運行はなくなってしまいました
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