かつての阪神伝法線だった阪神なんば線の淀川橋梁

 12月9日にテレビを見ていると阪神なんば線淀川橋梁の架け替え起工式が行われたというニュースをやっていました。水面すれすれの淀川橋梁がいよいよ架け替えです。それで次の日に写真を撮りに行きました。ところがです。

 まず、伝法に行くことにしました。ところが迷ってしまったのです。なぜ、迷ったかというと駅に旧鴻池組本店の建物があるという看板があり、それを見に行こうとしたのですが場所がわかりません。とにかく歩いているとありました。鴻池組の本店がこんなところにあるとは知りませんでした。さらに歩いていると鴻池組の試験センターがありました。その後がいけなかったのです。阪神淀川橋梁と並んでいる伝法大橋に行こうとしたのですが・・・

 歩いているとなぜか鴉宮(からすのみやと読みます。)という神社のところに来ました。変わった名前なので境内に入ってみると由緒ある神社だったのです。

 

 

 

 拝殿の正面に船の舳先があります。この伝法は水上交通の要衝の地でした。そのようなことから拝殿に舳先があるのでしょう。さて、地名の由来など面白いことがあるのですが、ここではこの手の話はやめておきましょう。さらにうろちょろしていると知らない間に千鳥橋の駅にたどり着きました。なんと目的の地と反対の方向に歩いていたのです。

 やっと伝法大橋に着きました。走ってきたのは阪神電車ではなく近鉄電車です。ここで写真を撮っているとカメラを持った人が自転車でやって来ました。しかし、同業者とは雰囲気が違います。どうも地元の人ではないでしょうか。その方は少し離れたところで撮っておられました。別れ際にこの方とちょこっと挨拶。この淀川橋梁は1924年(大正13年)に阪神伝法線(大物-伝法)が開業した時から使われています。そうです。94歳の橋です。今となっては水面ギリギリなので大雨による増水で危険な状態になってきました。そして、いよいよ架け替えとなりました。それでは場所を変えて、福の方へ普通電車で行くことにしました。この時に電車から伝法大橋をみた風景を動画で撮影することにしました。

 それでは福へ向けて出発です。

福駅に着きました。ここは橋のところへ行くのは簡単です。線路沿いの道へ行けばよいのですから。伝法大橋の淀川橋梁を見渡せる所に居ると、伝法の方からおじさんが自転車でやって来ました。どうも見かけたおじさんだと思っていたら、伝法で写真をおじさんでした。軽く会釈すると向うも気が付いたようです。さて、写真を何枚か撮りましたが、対岸のビル群が見渡すことができるのですが、少し陽が陰ってきました。何とか撮りましたが、

ちょっとした光の具合でイメージが変わってきます。ここで鉄橋を渡ってくる電車を動画で撮ろうと挑戦してみました。手持ちで撮影です。

望遠で伝法からの電車を追うがうまくいきません。少しずらしてしまうとどこに電車があるのかわからなくなってしまいました。難しい。電車がどこに行ったかわからない場面はカット。そして、悲痛な叫び声も・・・何とか見つけて撮影を続けたのですが、ブレないように小さいカメラでもせめて一脚を使用しないといけないと思いました。帰りは福より尼崎から梅田へ。遅い昼食を阪神百貨店のスナックパークで。

さて、以前に神戸方面から帰りに大物から伝法まで動画を撮影しました。淀川の上流を見る方向です。電車は快速急行ですので西九条まで停まりません。淀川を渡る時は高速艇に乗っているようです。それではその動画を。

伝法の町も面白そうなのでまた撮りに行こうと思いました。

今年の投稿はこれにておしまい。皆さんよいお年を

4 thoughts on “かつての阪神伝法線だった阪神なんば線の淀川橋梁

  1. どですかでん様
     言われれば、確かに高速艇に乗ってるようですね!
    鉄橋の橋脚が写らなかったら、完璧かも!?
     近くでこんな楽しみが味わえるのですね。
     本年一年、いろいろご教示を有り難うございました。
     来たる年も、よろしくお願いします。

    • 阪急の淀川橋梁も楽しいですね。神戸線から見るもよし、宝塚線から見るもよし、京都線から見るもよし。十三大橋から見るもよしです。淀川をみて海みたいな川と言っていた人がいたと聞いたことがあります。その逆に関門海峡や尾道と向島の間の海は川みたいな海ですね。たぶん、淀川(実はこれは新淀川と言います。)より幅の広い川があると思うのですが、ただし水の流れているところの部分ですが。どこでしょうか。

  2. どですかでん様
    年を越しましたが、伝法訪問記、拝見しました。私も洋風建築に興味があり、30年以上前に鴻池組本店も撮影したことがありますが、いまは、ずいぶん派手な色になっているのですね。
    さて、水面ギリギリの鉄橋もいよいよ架け替えですか。堤防より低く、防潮扉がありましたが、昨年の豪雨、台風にもよく持ちこたえました。
    乙訓老人の写真の中から、当時の鉄橋の写真が出てきました。まだ千鳥橋までの伝法線の時代で、そのあと西九条まで伸びて西大阪線、さらに難波まで伸びて阪神なんば線になる、二世代前の時代です。

    • 貴重な写真ですね。今はこの位置で撮るのは難しいようです。ところで伝法線について調べようと図書館に行ったのですが、ピクトリアルの阪神についての臨時増刊号をみました。そこには準特急や総本家青信号特派員さんの写真があり感激の極みでした。伝法線については記事によると「阪神間増設線構想の一環として建設された伝法線(現在の阪神なんば線)は、大型車両の入線を見越した規格で建設されたいた。」とあり、阪神念願の大型車3011形は大型車走行の許可が下りた伝法線で試運転を行ったと書かれていました。なるほどそう言いうことなのかと。もう少し伝法線についてはもっと知りたいと思いました。その念願の大型車の模型がこれとはああ~知らなんだ。(添付写真参照)

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