京都駅にまつわる小ネタ集 (2)

三代目京都駅の塔屋にあった食堂街

もうひとつ、コメントに対するご返答を‥。河さん、米手さんから、三代目京都駅の塔屋にあった、食堂街についての思い出や解説がありました。私にも思い出があります。京都タワーもポルタも何も無かった時代の京都駅前、家族でマシに食事すると言えば、京都駅塔屋の食堂街か、丸物百貨店の食堂しか無かったと思います。京都の北部に住んでいた私ですので、旅行以外で、京都駅前に行くことはほとんどありませんでしたが、これらの食堂は数少ないハレの場でした。お知り合いの方から、この食堂街を運営していた京都駅観光デパートの年史・新聞記事を見せていただきましたので、この中から、少し様子を探って見ました。

京都新聞に載った京都駅観光デパート開業(昭和27年10月)の全面広告、右下に食堂街の店舗が紹介されており、3階から上へ、輿太呂、ハマムラ、江戸川、若狭屋、丸物食堂が入っていた。2階には、都ホテル直営のレストランがあったと思う。2階の売り場の店舗名も懐かしい(京都駅観光デパート20年史より転載)。

 

内部の様子、料理サンプルを見ながら、エレベーターで上がって行ったものだ。店から見ると、烏丸通の市電がまっすぐ伸びていくのが見下ろせた(同社年史より)。
昭和30年代中頃の京都駅前。8階建ての建物など京都にはなく、そこからの展望を楽しんだものだ。(京都定期観光バスのパンフレットから複写)
昭和50年代前半、地下鉄工事が始まった京都駅前、周囲にビルも建ち始めた。

 京都駅にまつわる小ネタ集 (2)」への3件のフィードバック

  1. 総本家青信号特派員さんは『京都駅観光デパート20年史』と書かれていますが、正しくは『20年の歩み』です。とても良い資料です。
    その中に興味を引く記事があります。11ページ下に「お稲荷さんへおうかがい」と題して、新京都駅2階の出店者の選定にあたった、ゑり善社長亀井辰次郎氏の著書からの引用があり、京都らしい模範店の選定をするため数十回も会合を重ねたメンバー2人のうちの1人が、「坂田房次郎氏(五条通りで扇子問屋を経営)」というお名前なのです。
    坂田氏-五条通り-扇子問屋とくれば、北欧関係(最近は東南アジア某国?)のあの人しかいないのではないでしょうか。現役時代にそのような話を聞いた記憶はないのですが・・・

    • 井原 実さま
      恐らく間違いないでしょうね。親戚の方の店という可能性もないではないですが。小生と彼とは列車の「増結車」を巡って「ゾウケツ」だ、いや「マシ」だと新町BOXで熱い論争を親しく渡り合った間柄ですが、やはり現役時代にはそういう話は聞きませんでしたね。ただその後の彼の流転?の人生を考えると、親父さんと跡継ぎのことで揉めたか何かで、大きな扇子で北欧へ飛ばされたのではと推察しています。ご本人に聞くのがいちばんでしょう。

      • 1900様
        親戚の方といいましても、「五条」に「扇子」の店があるところまで同じでなけれはなりませんので、やはりこれは少林寺のあの人に間違いないのではないかと思います。50年前、青森で野垂れ死にしかけた私の命の恩人です。今度会った時に聞きましょう。ありがとうございました。

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