鉄道、つれづれ草 ー北関東の電車たちー

乙訓の老人は現在終わりのない病と闘っておられます。
同志社大学鉄道同好会を設立してここまで大きくして下さいました。クローバー会も創り我々に第二のクラブ活動の場を作って下さいました。
学生時代から電車に、特に京阪電車への思い入れは特段のものがありましたが、私鉄の電車は全国何処でも見に行って写真を撮り、データを集めました。数々の本も出版されました。

それが最近は気力が無くなりつつあります。それと共に頭に貯めてあったデータが消えていくように感じているそうです。
そこで今のうちに撮りためている写真をみんなに見てもらいたい、と考えて写真の整理を始められました。でも、鉄道ごとに整理できてもナニ鉄道かが分からない、いつ、どこで撮ったのかが分からないのです。

そこで、分からなくても良い、皆さんが教えてくれるので写真だけをまとめて下さいとお願いして持参していただく事になりました。こうして数ヶ月かかって鉄道ごとにまとめた写真だけが届きました。

メモはほとんどなく、データは皆無の状態です。
そこで皆様にお願いです。「ここどこ?わたダレ?」に習って皆様から場所などのデータを教えて下さい。皆様の思い出もお教え下されば乙訓の老人の頭のリハビリになります。ご自分はパソコンを扱う事もままなりませんが、頂いた書き込みは何らかの方法でご覧いただきます。

ただいま表示画面が乱れております。しばらくご辛抱下さい。

北関東の鉄道から南へ下がります。


 

銚子電鉄

銚子電鉄へは姪っ子の結婚式へ出席のついでに行った、とメモにありました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

この日は結婚式を抜け出して銚子まで行ったとか。

 

 

 

 

最後に老人らしく正体不明の廃車体(だるま)を撮っていました。 左奥側は元近江鉄道のクハ23で上田丸子モハ2321を経て昭和42年に銚子に来てデハ501となった電車です。手前右手の車体は元相模鉄道のモニ2022(←モハ2022)で、いずれも平成11年に廃車後、デハ501は車体の2/3を、モニ2022はそのままの車体を犬吠駅前に据えて、レストラン、喫茶店として使われたそうです。(西村雅幸氏)

 

 


流山鉄道

 

 

 

 

 

 


つくばエクスプレス

写真の裏に「準特急さんと」とのメモがありました。

 


わたらせ渓谷鉄道
足尾銅山からの輸送ルートの役目がなくなり、いまは観光鉄道になっています。明知鉄道と共に朝ドラ『半分青い』のロケに使われていました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


都電

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

この電車は、赤塚不二夫画伯描くところの“レレレのおじさん”に見えて仕方がない。

 

 

 

南関東編に続く

 

 

鉄道、つれづれ草 ー北関東の電車たちー」への9件のフィードバック

  1. 乙訓のご老人のコレクションを楽しみにしています。関東には疎いのですが、銚子電鉄にコメントを。8/36の写真(廃車体2両)はデハ801が停車している3/36写真と同じ、犬吠駅です。犬吠埼灯台の最寄り駅で、最も観光客の乗降が多い駅です。2両の廃車体の左奥側は元近江鉄道のクハ23で上田丸子モハ2321を経て昭和42年に銚子に来てデハ501となった電車です。手前右手の車体は元相模鉄道のモニ2022(←モハ2022)で、いずれも平成11年に廃車後、デハ501は車体の2/3を、モニ2022はそのままの車体を犬吠駅前に据えて、レストラン、喫茶店として使われたそうです。しかし潮風が吹きつける岬近くのため傷みがひどく、平成24年7月には2両とも解体撤去されたようです。従ってご老体の撮影年月は平成24年7月以前です。私が訪れた平成30年7月25日の様子を添付しておきます。子供達が集まっている辺りが、廃車体のあった場所です。かつてここに廃車体があったとは知らずに通り過ぎました。

  2. 米手作市様
    寝ていたのに起こさんといてといった心境ですが乙訓の老人さんのメモに私の芸名が出ていたのらしゃーないですね。老人さんと言えば京阪ですが、元電車少年ということで全国津々浦々行脚されていたことはこれまでのデジ青投稿でもよくわかります。上京された時にはよくお供したものです。流山鉄道は2006年3月12日に訪問しております。線路が多く写っているのが馬橋で手前の線路はJR常磐線です。単線区間の走行写真は小金城趾付近、終点の車庫は流山ですが私はこの終点駅では撮っていない様です。つくばEXPもつくば終点まで行っていますが撮影メモがなく日付場所がわかりません。老人さんの知識について行けず場が持たないので上京された折にはいつもDRFC-OB東京支部の生き字引のような方も一緒に行っていただきました。この他、東武東上線、相鉄線、京急線、京王レールランドもご一緒させていただきました。銚子、世田谷線、わたらせ渓谷、都電荒川線は多分他の方、または単独で行かれたと思います。

  3. ご両人様、
    見にくい画面にもかかわらず返答して下さりありがとうございます。
    Jr.(JRではありません)に連絡してありますのでまもなく解決するでしょう。乙訓の老人の回復を祈ってお付き合い下さい。

  4. 小生のような若輩者が、乙訓の長老様の写真にコメントを寄せるとは、身の程知らずもいいところですが、銚子電鉄の撮影場所を考えてみました。
    2/36 銚子駅です。オランダの風車小屋をイメージして作られたとか。JKの紺ハイから、2000年代と思われます。
    3/36 西村様のご指摘通り、犬吠駅です。
    4/36 車庫の有る仲ノ町です。
    5/36 撮影場所は特定できませんが、犬吠付近では? 車両は元営団地下鉄のデハ1000形と、ユ101「澪つくし号」です。
    6/36 仲ノ町です。近江鉄道から来たデハ702と、旧鶴見臨港鉄道のデハ301が見えます。右手の巨大なタンクは、ヤマサ醤油の工場ですね。
    6/37 仲ノ町です。ドイツ・アルゲマイネ製のデキ3と、デハ301。
    6/38 西村様の仰る通りです。名物の「ぬれ煎餅」は記憶にあるのですが、電車レストランは見たような、見なかったような…。
    犬吠駅がポルトガル風駅舎に改築されたのが1990年で、電車の塗装も同年から行われました。経営権が千葉交通から内野屋工務店に移り、観光鉄道を目指したらしいのですが、間もなくバブルが崩壊し、上手くゆかなかったようです。
    犬吠駅の電車レストランをヒントに考えると、西村様のコメントから平成11年以降、24年7月以前となりますが、もう少し絞れそうです。5/36の「澪つくし号」の営業運転は平成18年までで、翌19年からは休車となりました。デキ3ですが、小生が訪問した平成14年には整備中だったのか、塗装がはがされていました。長老様が撮影されたデキ3は黒々としており、整備後と思われます。全ての写真が同じ日に撮影されたと考えますと、平成14年以降、平成18年までの5年間となります。しかし、デハ801が小生の撮影時よりもくたびれて見え、平成18年に近いように感じます。

  5. すんません。写真の番号を間違えました。
    6/37⇒7/36
    6/38⇒8/36
    異常のように訂正し、お詫び申し上げます。

  6. 銚子電鉄に引き続き、わたらせ渓谷鉄道へコメントします。17/36の301「あかがね」が大写しになっているコマは終点の間藤駅だと思われます。プラットフォームの短冊状のコンクリートパネルと線路脇の石積みからの判定です。私が高崎で単身生活していた平成11年8月22日の撮影ですが、この日は、わざわざ遠路駆けつけて来られたI氏と、熊谷で単身生活をされていたM氏と3人で全線乗車を楽しんだ日です。I様、覚えておられますか?「あかがね」とは「銅」のことで、車体は「紅銅色(べにあかがね)色」です。18/36「けさまる」の撮影場所は大間々駅です。2両のDCの屋根の上に、白い三角形の構造物が写っていますが、これは大間々駅近くの渡良瀬川高津戸峡に架かる「はねたき橋」です。従来の吊り橋が平成6年に架け替えられています。車両はわ89-200形の202号車で、もう1両は車体色から203号ではないかと思います。「けさまる」とは「今朝〇」ではなく、群馬県東村と栃木県の境にある「袈裟丸山」のことです。202の車体色は、このような塗分けから後年「紅銅色」一色に塗り替えられていますが、その塗り替え時期が不明です。ご老体の訪問時期は、はねたき橋架橋の平成6年以降、平成20年11月の廃車までの間ということになります。

    • 忘れはしません。西村さんには広島でも高崎でもお世話になりっぱなしで申し訳なく思っております。M助さんも懐かしいですが、お元気でしょうか。
      ところで、日付ですが、平成11年8月22日とのことですが、私の撮影メモでは平成11年9月23日となっております。8月22日は鷹取工場の一般公開に行って工場内で撮影した写真がありますが、自分の記録でも自信がありませんので捨て置いてください。

  7. 東京のS.N様から解析を頂きましたのでご覧下さい。
    なお、こちらの手違いで画像の配列が乱れております。ご指摘の写真と説明文がズレていたら当方のミスですのでお許しください。

    東京在住SNです。いつも掲示ではお世話になります。「鉄道、つれづれ草 ー北関東の電車たちー」分かる範囲でコメントします。乙訓様のデータとしてお役立てください。

    1.都電
    1コマ目:これはわたらせ渓谷鉄道の気動車の写真ではないでしょうか?
    2コマ目:王子駅前停留場に向け飛鳥山公園横の急坂(66‰)をそろりと下る貸切7516
    3コマ目:王子駅前停留場から飛鳥山公園横の急坂を上り切り飛鳥山停留場に到着する早稲田行き7004
    4コマ目:桜の名所飛鳥山公園横の信号待ちの三ノ輪橋行き(車番不詳) 春の夕方近い空気感を思い出しました。
    5コマ目:山手線連絡の大塚駅前停留場左三ノ輪橋行き8505左早稲田行き8501
    6コマ目(左):大塚駅北口付近(大塚駅前停留場~巣鴨新田停留場)を行く早稲田行き8505
    7コマ目(右):荒川車庫7510
    8コマ目:庚申塚停留場 三ノ輪橋行き7506
    9コマ目:荒川車庫のイベント日だったのでしょうか?「路面電車の日」毎年6月に車庫のイベントがあるようです。

    2.つくばエクスプレス
    つくばエクスプレスの北千住駅ホーム端筑波方から下り列車を撮影

    3.東急世田谷線(車番はWEBでは読みにくく原本で補足してください。)
    1コマ目世田谷区宮坂区民センターに保存される江ノ電601(元玉電デハ87(2代目))
    2コマ目若林からカーブを通過し松陰神社前に向かう72
    3コマ目松陰神社前より出発した下高井戸行き74
    4コマ目車庫のある上町駅を出発する下高井戸行き151
    5コマ目松原駅に到着する3〇〇下高井戸方面ホームより撮影
    6コマ目松原駅に到着する3〇〇三軒茶屋方面ホームより撮影
    7コマ目松原駅に停車し下高井戸に向け出発する3〇〇
    8コマ目山下駅に到着する三軒茶屋行3〇〇
    9コマ目山下駅に到着する三軒茶屋行3〇〇
    10コマ目山下駅から松原駅に向かう下高井戸行き306

    小生の50年前の思い出
    山下駅から松原駅に向かってカーブしながら緩い上り勾配になっており、当時は戸建ての家があり、のんびりした空気に包まれていました。菜の花や桜が咲いている時期に列車の写真を撮りにゆきました。

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