“ビア電”乗って 昭和の近江鉄道を偲ぶ 【3】

複雑由来の電車

近江鉄道、電機のつぎは「電車」とします。ビア電の時も、“近江の電車、どこから来たんやろか?”の質問をもらうのですが、“西武鉄道のお古”としか答えられませんでした。近江鉄道の電車の出自は、実に複雑怪奇で、ひとくちでは言い表しようがないのです。たしかに最近導入の100形は、西武の新101系をそのまま使っており、来歴をたどるのは簡単です。しかし、ビア電で乗車した800形のように、下回り流用、車体新製のように見えても、内実は、“名義上”とか“書類上”とかの改造・更新が何回も複雑に行なわれています。ましてや昭和の時代にまでさかのぼると、理解ができないほどの複雑怪奇さです。

過去の趣味誌を見ても、近江の車両紹介は極めて少ないのが現状です。そんななか、1976年のDRFC現役生が、鉄道ピクトリアル「学鉄連研究シリーズ」で近江鉄道を採り上げています。ただ、現役生にとっては重荷だったようで、“過去の著作をかなり参考に”したと正直に述べていました。本欄では、2014年7月に、藤本さんが、すべて写真付きで来歴を調べられており、精力的、継続的な調査には頭が下がります。私も学習すべく、一度はメモしたものの、難解さのあまり途中で止めてしまいました。

日野駅で交換する上下の電車、左:モハ9、右:モハ5と、一桁の車番の電車が交換するのも、昭和の近江鉄道らしいところ(1978年)。

こちらはモハ1、モハ1形で1~6があった。大正12年神姫電鉄の9、車体のみ近江へ移り、複雑な経緯のあと、昭和38年に鋼体化された(彦根 1980年)。
モハ3+クハ1220、モハ1形1~6のうちの1両、自社の彦根工場で、正面2枚窓の近江形の車体を新製した。黄ベース色に太帯入りの新塗装になっている(近江八幡付近 1984年)。モハ9+クハ1208 宇治川電気1の車体を引き継いだデハ1を、西武クハ1214車体と振り替えた。旧武蔵野スタイルをよく留めていた貴重な存在だった(日野 1978年)。佐和山をバックに彦根駅に進入するモハ51、昭和3年製のデユワ102で、車体新製した。その後、銚子電鉄に譲渡されて、生き延びた(彦根 1980年)。貴生川を発車した、モユニ10を後部にした3両編成。近江鉄道では、米原を介して明治時代から米原~八日市~貴生川で郵便輸送を行なってきた。大津の86さんも撮られていたモユニ10は、昭和3年製の西武鉄道モハ232、両運転台にして、郵便・荷物車に改造した。モユニ10が老朽化で廃車になると、別のモユニ11に代わり、昭和59年に輸送廃止まで、私鉄には珍しい郵袋を積んだ電車が走っていた。

モハ137 京浜急行400形の車体を縮めて3扉→2扉改造、両運化し、モハ136形とした。同タイプのモハ136の2両がいた。いかにも京浜急行らしい、腰板の低い窓の大きな軽快な電車で、近江では異色だった。彦根駅に停車中で、「近鉄電車」のサインも見える(1969年)。雪をかぶった山を背に、高宮駅を出る、もと京浜急行400形のモハ137米原行き。左は、反対側の運転台で、改造を受けなかった京浜急行の面影を偲べる(彦根 1969年)。

 

 


クハ1218 クハ1213形で、モハ1形とペアを組む。昭和を代表する近江の顔だったが、順次、700系、800系へ置き換えが進んだ(貴生川 1972年)。クハ1214+モハ131 もとは西武鉄道の3扉木造車を車体更新した。この時期は、滋賀県のキャンペーンに、昆虫塗装になっていた(高宮 1984年)。

モハ201+クハ1201 モハ201は、もと東急デハ3151、のちに小田急の車体に振り替えた(彦根 1980年)。

クハ1503+モハ503 在来車の車籍を引き継ぎ、17m、側扉3枚、貫通型の500系となった(八日市)。

 

4 thoughts on “ “ビア電”乗って 昭和の近江鉄道を偲ぶ 【3】

  1. 家の掃除の前に総本家青信号特派員さんの投稿写真を見たのですが、掃除をしながら京浜急行からきた電車が気になって頭から離れなかったので、掃除の後にネガを調べるとありました。原型をとどめた135形の写真がありました。ちょっと光が入った跡がありますが、まあ大丈夫です。いつ頃の撮影かというと1971年2月にみんなで近江鉄道彦根工場の見学をした時のものです。他にも電機も撮影していました。

    • どですかでん様
      掃除をしながらでも、投稿のことを気にしていただき、ありがとうございます。どうぞ、家の用事を最優先にしていただき、コメントは、おヒマな時にお願いします。京浜急行400形の転入は、136、137の2両だけと思っていましたら、この写真で135もいたことが分かりました。調べますと、近江に来たのは4両で、1両はクハになり、残りが短縮されて135~137になったそうです。135は、撮影された時点で休車のようですね。

  2. 京王帝都から近江に行った車両です。近江モハ204が車体は元京王デハ1707で西武所沢工場で国電の部品等を組み合わせた様です。1978.03.20彦根で撮影しました。横山ホットブラザーズではありませんがお邪魔しました。

    • 準特急様
      写真付きでのコメント、ありがとうございます。横山ホットブラザーズでも、ちゃんばらトリオでも、お邪魔大歓迎です。近江は、西武の古ばかりと思っていたら、このように京王や小田急の車体流用も多いのですね。いつも彦根を通ると、隣の近江にどんな車両がいるのか楽しみでしたが、こんな楽しみも少なくなりましたね。

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