乙訓の老人 鉄道、つれづれ草 《三八豪雪のこと》

※このシリーズは、乙訓の老人より依頼されて米手作市が編集し投稿いたします。写真と記事の版権は、すべて乙訓の老人に所属します。

〔ご挨拶〕
老人は中学3年の秋、兄の友人に奥野利夫さんを紹介され、鉄道趣味の第一歩を踏み出した。そして“仲良し三人組”が出来ました。

1962年1月21日杉津で

仲良し三人組は、敦賀から2駅目の杉津なら京都から近い豪雪地だということで、出かけたのでした。しかし、午後になると駅員から「そのうち不通になるから」と言われました。

老人の勤務先は、富山県福岡町(富山県西礪波郡福岡町→2005年11月1日より高岡市福岡町)で、工場は自宅は北陸線の向かいの線路沿いで隣接しており、とても便利だった。

津幡~倶利伽羅間 1961.10.

津幡~倶利伽羅間 準急行は名古屋を中心の循環運転によるものだった。

 

⇩ 北陸本線は複線化を進めていたが、その工事の一端は津幡~高岡間に及ぶもので、倶利伽羅~石動間は複線化工事に加え隧道工事も含むものであった。

旧線時代の石動方で、列車は単線隧道をくぐり抜けた「特急・白鳥」

 

⇩ 大雪の中、デゴイチ先頭の列車は倶利伽羅駅に向かう。

倶利伽羅駅東方 1963年1月13日

 

⇩ 重量貨物列車はディーゼル機関車が補機となり先頭に立つ。

倶利伽羅駅構内 下り貨物

 

⇩ 小やみの中を、津幡方面から特急白鳥が倶利伽羅峠を目指してやってきた。

 白鳥が走り去った後、駅助役に「まもなく運休になると思う。次の列車で帰宅するよう」に勧められた。アタリであった。

⇩ 列車の窓からパシャリ!倶利伽羅峠に近いところで撮影できた。

金沢局 キ222

 

⇩ 福井駅構内で作業に向かう女性たち。報酬は8時間で600円、ただし朝夕に握り飯2個が支給された、とのことであった。
以上は、3人が豪雪に至るまでにウロツイタ時のものである。

※参考として編集者の責任で当時の新聞記事を添付する。

1963年(昭和38年)1月26日付京都新聞

1963年1月25日付

1963年1月24日付

 

 

   

 

 

 

 

 

4 thoughts on “乙訓の老人 鉄道、つれづれ草 《三八豪雪のこと》

  1.  乙訓の大老様
     三八豪雪、もう55年も前になりますか! 丁度中三でした。
     学校で午後の授業中、雪が激しくなり、あれよあれよという間に雪が積み上がっていきます。学校から「早く帰りなさい」と指示。一週間休校になりました。
     確か福井市内で積雪2メール36センチだったかと思います。埋もれて、玄関から雪の階段で外に出ました。北陸線は不通、C57牽引の週末準急「ゆのくに」が閉じ込められたのではなかったでしょうか?
     陸の孤島になり、野菜がないということで、自衛隊のヘリコプターでキャベツをということもあったように記憶しています。車が少ない時代、にわか作りの「そり」やミカン箱や石油缶を荒縄でくくってそのまま引きながら運んだこと等を思い出します。
    その後は56豪雪、そして先日の豪雪、かないませんね。雪は嫌い!
     何でもほどほどが一番。京の都の「枕草子」の世界は素敵ですが・・・
     ところで、大老様、杉津駅でのお姿、防寒体制ばっちりですが、せっかくの男前が隠されて残念ですね。

  2. 米手作市 様
    古~い話で、尚且つこの『乙訓の老人 鉄道、つれづれ草』とは無関係な事柄で申し訳ありませんが、2月9日に貴殿が投稿された『【93467】散歩道で見つけました6』に対して小生が2月10日5:25PMにコメントさせていただいた件に、大きな過ちがありましたのでお詫びして訂正させていただきます。
    本日、過去の投稿記事を読み返していますと、小生の当該コメントの後半部分に非常識な間違いを見付け、このまま放置するのは我が良心が許さず、貴殿を始め会員読者の皆さまにこの欄を借りて『お詫びをすべき』と思った次第です。
    間違いは⑰のクモハ51010のクダリで、2度も『グロベン』を連発していますが、これは『ガラベン』の誤りでした。
    これは、常識ですので、どうやら記述時に『勘違い』したようです。(ボケが来た?)
    この様な『知ったかぶり』なコメントはヒンシュク物にも関わらずDRFC会員の皆さまの寛大さに感謝致しますと同時に、今後は注意深くコメントしたいと思いますので、ご容赦下さいますようお願い致します。

  3. 河 昭一郎様、
    恐縮です。
    「グロベン」とはグローブ型ベンチレーターのこと、「ガラベン」とはガーラント型ベンチレーターのことですが私は気がつきませんでした。
    お詫びなど必要ございません。訂正だけで十分でございます。
    ご丁寧にありがとうございました。

  4. 冒頭のご挨拶で「中学3年の秋にお兄さんの友人の方から奥野利夫さんを紹介され、後に仲良し3人組が生まれた」とあります。
    手元に鉄道ピクトリアル1962年1月号から7月号がありますが、その中で「私鉄車両めぐり京阪電気鉄道」を同志社大学鉄道同好会の名で連載され、その奥野利夫さんを始め仲良し3人組が出てこられます。特に原稿は乙訓の老人さんが書かれておりますが20歳前半で既にこのような知識、文章力、洞察力、企画力がおありであったことを今あらためて感心しております。私も大学入学の際はこのことが既に頭に入っておりラグビー部やグリコ-ラスに目もくれずひたすら鉄道同好会の入会受付に走り今日に至っております。

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