鉄道、つれづれ草 ーエイデン編ー

じっとしていても倒れそうになる7月の午後、乙訓の老人はアルバムを小脇に抱えて、四条大宮の木陰で、律儀に待っていてくださいました。
今回は京福電鉄です。この電車には、一時期、介護士もお世話になりましたが、福井地区と叡山・鞍馬地区と嵐山地区に分かれるため、京福電鉄へのなじみは叡山・鞍馬地区(線)に限定されます。
それなのに老人様は「写真はここから選んで!当時の記録は火事で焼けた(老人の丸投げ時の常套句)のでわからへん」と言いながら、昭和61年発行の「れいる17号」をテーブルに投げ出しながらコーヒーをすすられました。
これではリハビリにはなりませんがやむを得ません。引き受けました。

デナ1型 5+6 八瀬

さて、始めて見るとこれが大変です。「京福電鉄」は現在では分割されて、車輌もすでにないものや、新たに作られて昭和61年の本には載っていないものなど介護士の知識では説明できないものがたくさんあります。そのため、曖昧な説明になりますが、間違いがあればご指摘ください。訂正致します。記号、車番など現在と違う表記は、老人の時代のものとご理解ください。また、嵐電は、老人の好みに合わないとかで収録されていません。

簡単に京福電鉄の説明をしておく。
京都電灯の電鉄部門として発足した会社で、叡山電鉄、越前電鉄、嵐山線・北野線が昭和17年に合併して京福電鉄となった。同時に鞍馬電鉄、三国芦原電鉄も吸収合併した。後に永平寺鉄道と丸岡鉄道も合併した。
昭和61年叡山本線・鞍馬線を叡山電鉄に。平成15年(2003)福井鉄道線をえちぜん鉄道へ譲渡。

▼デナ1型は開業時に新製されたもの。車体は日本車輌、電装品はドイツのシーメンス、台車はドイツのマン、ブレーキは同じくドイツのクノール。6両作られた。

デナ1+デナ2 修学院

デナ21の原型 吉川文夫氏撮影

最後の頃のデナ21

デナ122

▲デナ21型とデナ121型は同じ物だが、叡山電鉄が作ったデナ21と区別するために鞍馬電鉄が作った車輌は100番を加えて121型とした。昭和39年に火災のため121号と123号は全焼して欠番。昭和53年に連結するため連結部に貫通扉を付けた。
▼122号のみ両端に貫通扉を付けたため“顔”が違う。

上 122号
下 124号

 

▼デオ200型(201~204) 201号
昭和26年新製。当時は「将来は大阪直行」と新聞に書かれたという。

デオ201

▼デオ300型(301~302)昭和34年日立製

デオ301

 

▼デオ600型(601~606) デナ1型6両と焼失したデナ21型2両の補充に、阪神電鉄から831型10両を購入してデナ500型として使用していたが、デナ500型の電装品と台車を利用してデオ600型を作った。車体は武庫川車輌

デオ601

デオ603

 

▼デオ700系は三系統に分かれる。711型(711~712) 720型(721~724) 730型(731~732)
711型はデナ21型から電装品を譲り受けて武庫川車輌で製造された。
721型はデオ200型の電装品を利用して同じく武庫川車輌で製造された。
731型はデオ300型の改造名目で製造されたが、使われたのはパンタぐらいだった言う。いずれも製造当時は旧型からの吊りかけ駆動だったが、阪神や京阪からのカルダン駆動の台車に履き替えている。なお、732号は今年「ひえい」と称して楕円形の顔になっている。川崎重工

デオ731

 

▼デオ800系 801型 1990年(801+851、802+852) 810型 1993年(811+812、813+814、815+816)
すべて2両固定編成 武庫川車輌

デオ801

デオ851

デオ815+816 “こもれび”

▲デザイン電車「こもれび」は、自然・環境の大切さを呼びかける車両として2003年7月に登場

▼デオ900系 (901+902、903+904)2編成とも「もみじ」をイメージした塗装で、901-902号車は「メープルレッド」、903-904号車は「メープルオレンジ」となっている。

デオ903+904 “きらら”

きらら車内

 

▼デト1000型(1001)1974年 京都市電600型の電装品と台車を利用して武庫川車輌で作られた。

デト1001

 

▼デナ21の運転台を切断して、天狗の面と共に「鞍馬山」詣でのお客様を歓迎する鞍馬駅
これで鞍馬線・鞍馬電鉄の写真はおしまいです。
長老様はこの投稿を楽しみに待っている様子です。「◯◯君がこんな事を書いているな!」とか「反応が薄い」などと介護士の苦労も知らず、勝手なことを仰っていますが、介護士冥利!徐々に回復の兆しありです。
ご覧になったら何か反応をしてあげてください。皆様の忌憚ないイヤミがリハビリになることを申し添えます。

次回は福井本線の巻

 

 

 

11 thoughts on “鉄道、つれづれ草 ーエイデン編ー

  1. 乙訓のご老人さま (介護士の)米手作市さま
    待ってました。小生も3年間通学でお世話になったり、ぷるぷるさんときららに関わったりしましたので、懐かしい写真が嬉しいですね。なお気の弱い小生は米手さまのように忌憚のないイヤミはとても申せませんが、想い出だけはたくさんありますから、これを機会にまた想い出してみます。以前のコメントと重複することもありますが、ご容赦下さい。
    最初はまずデナ1型です。登校時の電車は殆どこの1型でした。あるとき何故か車輪(だと思う)が少々エキセンだったらしく、走るとちょっと上下に揺れることがありました。満員になると恐らく木造車体が軋んでいたのでしょうか、窓枠とガラス窓が左右に食い違って振れてくるのでした。市電では300型・500型には乗っていましたが、郊外電車では初めての木造電車でしたから、大丈夫かなとちょっと不安を覚えたものでした。とここで500型でも似たようなことがあったことを想い出しました。今まで気が付きませんでしたが、まさか木造車特有の揺れだったのではと思わないでもありません。木造車にご造詣の深いご老人さまと米手さま、ご存知でしたらお教え下さい。
    デナ21型はいい電車でしたね。122号車が両貫通スタイルというのは初めてしりました。非貫通車のスタイルはいささか田舎っぽい(個人の感想です)ように思いましたが、この貫通型は中々垢抜けしたように感じます。
    デオ200型と300型は形式「オ」が示すように叡電では大型車の部類で、乗客としては収容力の大きいのが有難かったですね。200型の想い出ではその電制音ですね。後に電制に改造された21型はごく普通の音でしたが、200型のはかなりすさまじく、遅れた時の修学院→一乗寺→茶山停車時の音を聞くのが楽しみでした。
    300型には昭和38年に初めて乗りました。発車時の加速力がとにかくハンパなく強く、初めて乗ったのが後部運転台(車掌台)の前でしたから、満員の乗客がドッと寄りかかってきて押し潰されそうになりました。この電車に乗る時は必ず吊り手かなにかに掴まっていないと、倒れてしまいそうになったものでした。この300型はぷるぷるさんが好きな電車で、日立が地方私鉄向けに開発した高性能車であること、加速度は4.0くらいとのことだが実際にはもっと出ているのではないか、機器の重量配分のミスで正面からみると少し傾いていること、等々を教えてもらいました。何度か一緒に修学院まで見に行ったものでした。そういえば彼はHOでも作っていましたね。
    あとはきらら以外は余り印象に無く、長文にもなってきたのでこの辺で終わりにします。今後も貴重な写真のご紹介、並びに介護士さまのご介護をお願いして、感謝の想いに代えさせていただきます。

    • 1900生様、
      私は準特急さんとは違い、先輩に対して「イヤミ」どころか「ご意見」も言えない内気さを一生後悔しております。
      それと戦前生まれの乙訓の老人様と違い、戦後生まれの、都会育ちの私が木造車に造詣が深いとは失礼にもほどがあります。木造車にたっぷり浸かっていたのは京都へ来るまで電車を知らなかったというマルーンさんでしょう!
      でもデオ300はいい電車でした。

      • 米手作市さま
        木造車にお詳しいとばかり思っていました。それはたいへん失礼を申し上げました。お詫びいたします。しかし米手さまの大好きな客車の中に「木造客車」はなかったでしょうかねえ。
        ところでマルーンさんが電車を知らなかったとはいささか聞き捨てなりませんね。越前鉄道の前身が「京福」と称して走っておりましたが。
        300の良さには同感です。ブタ?に真珠、掃き溜め?に鶴、ヒナには稀な艶姿、馬子にも衣装(ちょっと違うか)でした。鴨東線と直通しておれば宇治や淀まで走っていたかもしれません。

  2. 乙訓の長老様 富山から戻ってきて撮りに行ったのは叡電でした。2011年12月のことです。運転台だけのデナ21同じように駅の待合室から撮ったのですが、今でも現役でデナ21がお客さんが待っているような感じで撮りました。ご覧ください。

  3. 乙訓のご老人様
    叡山電鉄デオ600型にはちょっと思い出があります。2008年11月1日「さよなら600型ラストラン」が走りました。当時まだ在職中で忙しくしていた折でしたが、急に思い立って撮影に行きました。沿線にはたくさんの人がカメラを構えていて、その中にいると学生時代を思い出し、この時をきっかけにまた鉄道趣味に戻ったように覚えています。この日は撮影者もそうでしたが、だれか皇族方が京都に来られていて警備の警官も多く、やってきた600型を撮って、振り向いて後追いを撮ったところ後ろに警官がいてびっくり、しっかり画面に入ってしまいました。

    • 大津の86さま
      小生もぷるぷるさんと撮りに行きましたよ。途中で乙訓のご老人・総本家特派員さまとあとお一人(井原さんだったような?)の別動隊の方々と会い、皆さんにご案内してもらいながら一緒に行動しました。午後、木野付近で警戒の警官を見ました。ほどなく天皇ご夫妻が車で通られ、窓越しにお顔を拝見しました。

      • 1900生様
        そうでしたか。やはり皆さん撮りに行かれていたのですね。どこかで遭遇していたかもしれませんが、その当時でも卒業以来30年以上たっていたのでお会いしてもわからなかったのではないでしょうか。
        警備の警官は天皇、皇后両」陛下がこられたからだったのですね。ヘリコプターも飛んでいましたがどちらの取材だったのでしょうね。

        • 大津の86さま
          ヘリは天皇ご夫妻の方だったのではないでしょうか。まさかデオ600にヘリが来るとは信じられません。
          叡電は鴨東線が繋がりきららが走ってからこそ脚光を浴びる事が多くなりましたが、それまでマスコミに出るのは鞍馬の火祭の時くらいだけで、京都の片田舎洛北(宮本さん失礼!)をひっそりと地味に走っていた600型が引退するからといってヘリでの取材は無いように思いますが。

  4. 乙訓のご老人様、米手作市様
    エイデンの思い出は数多くありますが、懐かしく思い出すのは いつも宝ヶ池駅の側線で昼寝をしていたデワ101です。走っているのを見かけたのは数度しかなく、ましてや走行中の写真を撮ることはかないませんでした。多分、レールなどの長尺物も積むことがあるため運転台の幅が狭くなっているのでしょうが、その顔つきが後継車のデト1001に引き継がれていて、親子だなあと感じさせられます。デワ101を模型で作ろうと考えたこともありましたが、あばら骨が見える屋根が難しそうであり、以前は床下に収まる小さなモーターも手に入らなかったため、結局模型化も実現していません。

  5. みなさま、
    ご投稿ありがとうございます。
    本日、乙訓の老人様から呼び出しがあり、ごひいきの四条大宮の喫茶店へ出向きました。お話は「さっそく載せてくれたな、引きはどうや?」と意欲的です。「はよ、福井もたのむわ」「先日一人で一畑電鉄見に行ってきたんや、まとめてるからよろしゅう!」とのこと。なかなか意欲的で、無印不良品先輩や大阪通信員先輩など、半分青い、と言わんばかりの鼻息でした。リハビリ成功です!

  6.  ちょっと目を離していたら、米手さんらしい突っ込み?イジメ?もう堪忍して下され(泣)!? 1900生さん、お助け有り難うございます。感謝。
     ところで、以前総本家さんの叡電シリーズでも申しましたが、デナのデザインが沿線情緒に非常にマッチしていると思います。素敵ですね !
     このデザインをされたのはどなたのでしょうか?ある意味日本人離れしていると思いますが・・・ご教示頂ければ幸いです。

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