私が出会った「ロ」付き貨車

井原様の熱塩訪問記で話題になった「ロ」付き貨車ですが、私のDRFC現役時代のヨンサントウでの誕生とは言え 当時は貨車にカメラを向けることは殆どなく、調べてみると私が撮影した「ロ」付き貨車は保存車両が殆どでした。今どきの子供たちは貨車と言えばコンテナ車のことだと思っているのでしょうが、あのバラエティーに富んだ貨車をながめて楽しんだ時代をなつかしく思い出しています。

さて撮影時にはまだ現役車両だった「ロ」付き貨車からご紹介します。

シキ291  平成14年7月26日 高岳製作所専用線にて

同上

高岳(たかおか)製作所は栃木県小山市にある変圧器メーカーで、小山駅から専用線が伸びていました。工場近くの留置線で撮影しました。上の写真で、向こうにもう1両見えるのはシキ613ですが、これは「ロ」付きではありませんでした。形式シキ290は2両あり、290は明電舎所有。291は昭和39年6月 日車支店製、高岳製作所所有の荷重115Tonの分割落とし込み式大物車で、全長32.3m、小山駅常備でした。平成16年4月に車籍除外されたそうです。

次も大物車ですが、以下は保存車両です。三岐鉄道丹生川駅そばにある貨物鉄道博物館に保存されているシキ160です。

シキ160 平成29年5月12日 貨物鉄道博物館にて

同上

富士電機が昭和30年3月に日車支店で製作した130Ton積み、1形式1両の吊掛式大物車です。常備駅は落成時は安善、工場移転で昭和38年9月以降は京葉臨海鉄道京葉市原でした。昭和30年当時は全溶接構造に不安があったのか、荷受梁はリベットと溶接の併用です。上の写真のように貨物(変圧器)がない空車時の全長は22.6mですが、積車時は変圧器も車体の一部として荷受梁の間に挟み込むため、全長は22.6m+貨物の長さになります。平成10年には現役を引退し、平成14年2月に廃車となり、平成22年には「重要科学技術史資料」に指定され、貨物鉄道博物館に保存されました。

続いて大物車をもう1両。形式シキ550のシキ555です。シキ550は私有貨車ではなく、国鉄が計12両を浜松工場で製作した50Ton積み低床式大物車です。12両すべてがJR貨物に引き継がれましたが、平成17年度末に残っていたのはこのシキ555を含む5両で、現時点ではすべて消滅したと思われます。シキ555に出会ったのは平成28年3月で、場所は亀岡市の大堰川河川敷でした。

平成28年3月15日 亀岡市保津町にて

シキがいるのを知っていて訪ねたのではなく、遠くから蒸気機関車らしきものが見えたので近づいてみると、怪しげなB型テンダー機関車とヨ8000にはさまれて、シキ555があるのを見付けました。ここは「保津川ライブスチームクラブ 京都運転所」というライブスチーマーが自作の蒸機を持ち寄って運転を楽しむ場所であることがあとでわかりました。その敷地内にシキ555があるのですが、この日は入口が閉まっていて 柵の外から写真を撮って引きあげました。シキ555は梅田貨物駅常備だったようです。この場所は、亀岡駅から歩いて行ける場所で、保津川下りの船乗り場の少し上流側、商工会館の北側です。なお小型蒸機はインドで使われていたイギリス製の機関車だそうです。ヨ18119の他に梅小路機関車館の野外で子供たちを乗せていたトロッコ客車と同型のオープン型客車?(但しボロボロだった)もありました。興味のある方は同クラブのホームページをご覧下さい。この運転所には会員以外でも入場できるようです。

次なる「ロ」付き貨車は控車です。

令和元年8月21日 青森港八甲田丸車両甲板にて

形式ヒ600には大きく分けて構内型と航送型がありますが、ヒ834は青森桟橋で使われていた航送型の控車です。入換えの蒸気機関車が重いために可動橋や船内に入れないので、軽い控車を何両もつないで航送貨車の押し込み、引出しに使われていました。航送型控車にも青森型、函館型、高松型、宇野型があったようです。青森型31両のうち28両はテム300形からの改造でした。青森港に係留されている八甲田丸は船内を見学でき、何度かお世話になった青函連絡船の雰囲気を味わうことができます。現役時代には立ち入れなかった車両甲板や機関室、操舵室なども見学できます。ヒ834は車両甲板にありますが、狭い場所なので写真は撮りづらいです。桟橋近くの公園にヨ4493とともにもう1両 ヒ600が保存(放置)されていますが、潮風に晒されて傷みがひどく、車番は読み取れませんでした。これも「ロ」ヒだった筈です。

同日 ヒ600とヨ4493

さて、津軽海峡を渡って小樽に行ってみましょう。小樽市手宮にある小樽市総合博物館で多くの「ロ」付き貨車を見ることができます。まずラッセル車が2両あります。

平成25年6月15日 小樽市総合博物館にて

小樽のキ270は熱塩のキ287と同じ形式キ100に属しますが出自が違います。形式キ100の中には、昭和28年に苗穂と新津両工場で木造キ400を鋼体化改造された18両が含まれています。熱塩のキ287が正統派のキ100なのに対し小樽のキ270は鋼体化改造グループです。キ287の台車がTR41なのに対し、キ270はキ400時代のTR20を履いています。

もう1両のラッセル車はキ1567です。形式はキ550ですが、キ550の中にも出自の違うグループがあります。本来のキ550は最初から複線除雪用に生まれた形式ですが、小樽のキ1567は単線用キ100を複線用に改造してキ550の仲間に編入された31両のうちの1両です。

同上

単線用ラッセル車は線路上の雪を左右に押し出すのに対して、複線用キ550は雪を進行方向左側に押し出すような先端形状になっています。なお除雪翼の開閉は空気圧ですが、熱塩のコメントの中で このエアの供給源は?というくだりがありました。エアの供給源は推進する機関車のコンプレッサから供給され、ラッセル車にはコンプレッサを搭載していません。もうひとつ余談ながら、熱塩のキ287の写真で、「熱塩駅常備」となっているのですが、機回し線しかない小さな終着駅に常備されていたとは考えにくく、ここに保存すると決まった際に地元に気を遣って「熱塩駅常備」と書いたのではないでしょうか。古くは両頭の雪かき車もあったようですが、一方向しか除雪できないラッセル車にはターンテーブルと機関車が必需品で、多くの場合機関区のある場所が常備駅だったと思います。井原様、いかがでしょうか?

続いても除雪車ですが、駅や操車場など広い構内用の広幅雪かき車です。通称「ジョルダン式」と言われるものです。形式キ700、キ718とキ752が展示されています。

同日、キ718

同日、キ752

キ700は24両在籍していたそうですが、その中の8両が翼の駆動を空気圧から油圧に変更し、動力源にディーゼルエンジンを搭載し、運転室を広くするなどの近代化改造を施され 750番台になったようです。キ718は滝川、砂川、赤平などに常備され、昭和57年7月に廃車になっています。キ752は滝川で活躍したそうです。滝川、砂川、赤平と言えば石炭車が並ぶ広い駅構内が思い出されます。

最後の「ロ」付き貨車は操重車、いわゆるクレーン車です。小樽には岩見沢客貨車区に配置されていた形式ソ30、ソ34が保存・展示されています。

同日、ソ34

ソ30は昭和11年から22年にかけて7両作られ、全国の各鉄道管理局に配置されていました。当初の動力源は蒸気機関で、低速での自走も可能で、うしろに2軸炭水車を従えていましたが、後にディーゼルエンジンに変更されました。吊り上げ能力は主巻が65Ton,補巻が15Tonでした。炭水車の代わりに、ブームを預けるチキ6141とセットで保存されています。ソ30はJR貨物に引き継がれることなく、国鉄時代にすべて廃車になりました。

以上が私が出会ったロシキ、ロヒ、ロキ、ロソです。ヨンサントウで「高速化不適格車」に指定された「ロ」付き貨車たちですが、自分自身も70歳代に突入し、歩行速度も何となく遅くなっているような気がしていて、「ロ」ならぬ「ロウ」、「高速歩行不適格者」に指定され、黄色いハチマキを締めて歩く日も近いかもしれません。

私が出会った「ロ」付き貨車」への38件のフィードバック

  1. スプーンとストローと尿取りパッドを愛用している米手作市です。
    井原さん、西村さん、ゴメンナサイ。
    ロ付きの車輌を撮っていました。
    写真データを精査していたら大阪通信員さんと福知山客貨車区へ客車を撮りに行った時に撮していたのです。数枚ありますので連投になります。
    まずは、ロキ152

  2. 続いて
    ロソ111です。
    ところで井原さん、西村さん、「ロ」は何の略ですか?
    また、黄帯は急行貨物ではなかったのですか?

    • 米手作市様
      ろくじゅうごのロです。
      急行貨物はヨンサントウ以前に表記がなくなっていますので、時期的に被ることはなかったようです。

      • ほへほへさん、
        ありがとうございます。
        わかりました。
        でも、「ろくじゅうご」のロとは!こじつけもいいところ。

    • 米手作市様
      福知山のロキ152、ロソ111の写真ありがとうございます。退色もないきれいなカラー写真ですね。ところで急行貨物の帯は、黄色と言うよりオレンジ色だったと思います(実車を見たわけではありませんが)。

      • おほめの言葉、ありがとうございます。
        これは私としては珍しくコニカカラーを使いました。
        「帯」の色は、言われてみればもう少し濃かった様な気もします。オレンジではないが濃い黄色だったかも知れません。
        これで安心しました。操重車が高速で走ってもよく、グリーン料金を払えば乗せてもらえるのか?という疑問が解消できました。

      • Davis氏撮影のカラーに、急行貨物の帯付きワキが写っているものがありました。でも逆光で、漂う蒸気に邪魔され、厳密な色の判定は出来ぬと思います。ご参考までに貼りますので、お楽しみください!

      • もっと良いのがありました。西村さまのおっしゃるように、オレンジ色に近いですね。

        • 宮崎繁幹様
          これは完敗です!西村さんの言う「オレンジ」でした。
          ところで上の写真はどこでしょうか?
          D52が貨物を牽いて、しかも非電化ですから御殿場線でしょうか?それとも電化前の西の方の東海道本線でしょうか?

      • 画像はデジタル化され、ハードディスクに在るので直ぐ出ますが、撮影記録は手書きなので、直ぐに出て来ません。写真を見ると結構な都会で、D52も集煙装置付きですから、御殿場線ではなく関西です。小生の得た感じでは、灘周辺の貨物駅では?画面左奥の遠方に広告塔が写っています。拡大し貼っておきますが、「ハクツル」は、灘のお酒ではありませんか? デジ青で、この辺りに詳しいベテランの方、どうぞ御助けを!

        • 白鶴酒造をこの角度で遠望できるとなると、住吉になると思うのですが…。1984年まで貨物の取り扱いもあったようです。

          • 架線がありませんが、阪神間の電化はいつからでしょうか?

        • 米手作市さまから架線が無いとの指摘を受けました。東海道本線吹田~明石間の電化は1934(昭和9)年ですから阪神間の本線ではありませんね。

        • 手前はD52ですが、うしろはC12だと思います。これは梅田貨物駅の入口付近ではないでしょうか。昭和12年頃から昭和34年頃まで梅田支区には多い時で11両のC12が配置されていたようです。D52がいる線路も本線ではなく、非電化の貨物駅の出発線ではないかと考えました。但し、ハクツルの一角を除いて背景に高い建物が見当たらないので、おかしいようにも思えます。

  3. 乙訓の老人の甥様、西村様、
    気になって眠られません。そこで写真を拡大しましたが、元画像が小さいため画質が低下してあまり変わりません。あの看板は「ハクツル」の看板でしょうか?左の宇宙船のような看板はどこかで見たような気もするのですが、阪神間にお住みのどなたか、知りませんか?
    私も梅田貨物駅を考えましたが、近くにハクツルの工場や会社はありません。住吉か灘付近ですから梅田からは見えません。ストリートビューで見ましたが、灘付近は震災で壊滅したためすべて新しくなっていて、古い看板は見られません。

    • 米手様
      戦後、米軍撮影の航空写真で住吉、灘から神戸港臨港線、兵庫あたりをチェックしましたが、D52が入線し、左側にカーブして奥に貨物駅?があるような地点がみつかりません。名古屋の笹島貨物駅でもなく、吹田工場でもなく、私も眠れない夜が続いています。ハクツルは工場と本社が少し離れていることもわかりましたが、工場や本社と関係のない場所にあった広告塔だったかもしれません。こうなると、白鶴酒造へ「ここはどこ?」と聞きにゆくしかないかも。

    • 梅田、芝田町にあったものと思われます。
      上に貼りましたが、トリミングしたものを再掲します。

      • 梅田コマ劇場が写っていますね。阪急梅田駅も写っていますね。そして新阪急ホテルの建物がはっきりと写っていますね。右下の幅の広い道は私のなじみのある道です。どのあたりからDavis氏がどこから撮影されたかわかりました。それはのちほど。しばらく、お待ちを

  4. 乙訓の老人の甥様、どですかでん様、米手作市様
    白鶴酒造へ三原の酒でもぶら下げて聞きに行こうと思っていたところでした。今夜はぐっすりと眠れそうです。私がいつもお世話になっているホームページ「懐かしい駅の風景~線路配線図とともに」から「梅田駅」の昭和25年4月の配線図を引用させて頂いて、添付致します。

  5. 梅田貨物駅ですね!
    私も来週、住吉の白鶴酒造資料館まで行こうと写真をプリントするところでした。
    大鉄局と新阪急ホテルの前にあったのですか。道理で見たことのある看板だと思いました。
    でも、どの角度から見たのかが知りたいですね。どですかでんさんの報告を待ちたいです。

    • 乙訓の老人の甥様
      こうなるともう一つの事が気になります。
      あの宇宙船のような看板は何の看板でしょうか?
      拡大したら読めないでしょうか?

      • わかりましたよ。米手さん。「大阪駅北側の広告塔」で検索したら「朝日電装株式会社」が施工した帝人株式会社の広告塔で高さが51mで1955年に竣工したそうです。繊維会社なのでナイロンとかアセテートとかテトロンとかのネオンサインだったようです。

  6. Davisさんがカメラを向けた方向は図の赤い矢印だと思います。まだ新阪急ホテルもない頃なので遠く離れていてもハクツルの広告塔が見えたのだと思います。大きな建物といえば大阪鉄道管理局のビルです。私は鷹取駅辺りと思っていたのですが、背景に六甲山の山並みが写っていなかったのでわかりませんでした。乙訓の老人の甥さんの写真のおかげでわかりました。たぶん、間違いないと思うのですが間違っていたらごめんです。

    • どですかでんさん
      ありがとうございます。
      「テイジン」の看板でしたか!
      国電で京都へ帰る時に見ていたのですね。
      それと、撮影方向も間違いないでしょう。
      これで西村さんや宮崎さんもよくお休みになれることでしょう。私も・・・おやすみなさい!

      • どですかでん様、乙訓の老人の甥様
        撮影地点の特定までできるとは、クローバー探偵局の総力結集ですね。ところで「国電」ではなく「省線電車」の間違いでは?

    • 線路をやや見おろしていますので、R176の中津陸橋からの撮影ではないでしょうか?
      阪神北大阪線を背にして、、、

      一番手前は本線で、吹田方面へ向かう上り列車かと思いますが、止まっているように見えるのは停止信号?

  7. この度は、小生が撮影情報なしに画像を貼ったため、デジ青の皆様には、たいへんな混乱を招来し、まことに申し訳ありませんでした。今後は、慎重を期し撮影情報を吟味のうえ、投稿するように致しますので、お許し下さい。しかし、クローバー探偵局の探究力には恐れ入りました。それにしても梅田(貨物)駅の電化時期さえ知っていれば、皆さまを誤って灘方面に誘導することもせずに済んだものをと、反省しきりであります。良い勉強になりました。これに懲りず、今後とも宜しくお願い申し上げます。

    • 宮崎繁幹様
      とんでもありません。
      楽しいひとときを作っていただき、感謝しかございません。
      我が探偵団は最近腕がなまったとかで無聊をかこっており、いい訓練になりました。ぜひとも第二弾をご投稿ください。

      • 宮崎繁幹様
        米手作市様のおっしゃる通りで、私も大変楽し時間を過ごさせて頂きました。もう1枚のきれいなオレンジ帯のワムのカットはさすがに場所の特定は難しいですが、吹田ヤードの端っこの方かと思ったりしています。第2弾を楽しみにしております。

  8. 西村さんのおっしゃる通りです。こういうのは大変楽しいものです。ああでもない、こうでもないと考えてるのがいいと思います。ところで西村さんも場所を推測されているきれいなオレンジ帯のワムの写真ですが、私も吹田操車場ではと思います。ワムの手前のレールが少し左側に登って行く勾配のように感じます。(一番手前のレールと比較して)もしやハンプの一部が写っているような気が・・・しかし、決め手があまりないのでそれ以上はわかりません。

  9. 宇都家さんがR176の中津陸橋からの撮影とおっしゃっているのが正しいのではないかと思います。たしかにカメラの目線が高いので間違いないとおもいます。この辺りに大阪市バスの営業所があって定期券を購入するのによく行きましたのでよく知っています。三叉路の交差点から野田阪神の方へ下っていくので交差点近くが一番高い所なのです。再度、地図に示しておきます。これが本当の一見落着となりますように!

  10. ご無沙汰しております。
    背景のビル群を手掛かりに調べておりましたが、宇都家様がおっしゃる通りR176中津陸橋だと思います。
    遠くに見えるビル群は左端が阪急百貨店で、ハクツルの広告塔の後ろは阪神百貨店のようです。黒っぽく見えるのは工事中で、シートがかけられていたのではないでしょうか。右手の背が低いビルは大鉄局です。これらのビルと広告塔の位置から、R176中津陸橋に辿り着きました。
    阪神百貨店は昭和33年3月に5階~8階が増床されておりますので、撮影は昭和32年ではないでしょうか。
    後だしジャンケンになって申し訳ありません。

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