昔も今も 紅葉は叡電で ②

デオ600さよなら運転

2008年には、叡電で最後まで残った、吊り掛け、非冷房、非ワンマン対応のデオ600の残り1編成が廃車になっています。これを記念した「さよならラストラン」が行われたのが同年11月1日(土)で、沿線では、早めの紅葉が見られました。この時は、乙訓の老人、ぶんしゅうさんと朝から出かけ、途中で、1900生さん、いまは亡きぷるぶるさんや、893-2さんとも出会い、クローバー会メンバーともに、秋の1日、たっぷり写し、デオ600を見送りました。宝ヶ池~八幡前の高野川鉄橋を渡るデオ600、比叡山もそろそろ色づき始めていた。この鉄橋での2連撮影は、立ち位置やタイミングに苦労する。

デオ600は、デナ500の下回りを利用して、昭和54年から601~606の6両が製造された。両運だが、実際は、2両編成×3本で、おもに鞍馬線で運用されていた。最後まで残ったのは603+604の編成で、叡電では2004年にワンマン化されており、同編成は予備的存在だったが、最後に晴れ姿を見せた。

 

当日は、出町柳で式典が行われたあと、出町柳10時12分に発車し、八瀬比叡山口まで3往復、そのあと出町柳→二軒茶屋→宝ヶ池→二軒茶屋→出町柳→二軒茶屋→出町柳→修学院と運転され、営業を終えた。木野付近

(左)八瀬比叡山口の2番ホームに入線する。(右)八瀬にまだプールがあった頃に使われていた円板を下げて運転された。昼食は修学院駅のホームのベンチで、近くで買った弁当とビールで、間近に電車の発着を眺め、ぷるぷるさんから「きらら」製造の裏話を聞いたのも思い出だ。

この日は天皇が入洛中で、ちょうど叡電沿線を車列が走った。市原にある川島織物への視察で、左は列車のすぐ後ろを先導車が迫って来るところ、その1分後に御料車「皇3」が通過(右)。色づき始めた木々を見ながら走る。たいへん珍しい「宝ヶ池」の行き先板を出している。木野付近

宝ヶ池で、撮影者に囲まれる。その横を、残り少なくなった初期色のデオ700系が八瀬へ向かって行く。

最終の1往復には「さよならデオ600形」のヘッドマークが付けられた。写真は、元田中の東大路通を渡って行く出町柳発修学院行きの最終電車。

 昔も今も 紅葉は叡電で ②」への1件のフィードバック

  1. この日、2008年11月1日、当たり前に過ぎ去った一日ですが、快晴のもと、いまは亡きクローバー会会員とともに、600形最後の姿を追って、天皇の車列まで見られた、忘れられない一日でした。ラストランの目玉として、「二軒茶屋」「宝ヶ池」「修学院」と、普段は見られない行き先板を掲出したことも思い出です。もうひとつ「臨」表示も見つかりましたので、貼っておきます。

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