2020年 奥三河に残る絹雲母鉱山トロッコ鉄道訪問

皆様、明けまして:おめでとうございます。年末までに2020年の旅日記は投稿しておこうと頑張っていましたがいろいろと都合が発生して年を越してしまいました。遅くになり誠に申し訳ありませんが、只今より投稿させていただきます。よろしくお願い申し上げます。

上越鉄路から帰ってから6日後、今度は奥三河に残る絹雲母鉱山トロッコ鉄道を訪問します。案内講師は神谷さんですが今回はクラブツーリズムが主催されています。従って申し込みはネットからでした。当初申し込み人数は20人だったそうですが、コロナ感染拡大に伴い各地で緊急事態宣言が発出され、GoTo キャンペーンが全国一斉に12月28日~1月11日まで中止される事態となってからはキャンセルが相次ぎ15人になっていました。
参加費用は豊橋駅集合で日帰りの28,000円、旅行代金への給付金は7
,000円で差引の支払い額は21,000円、地域クーポンは3,000円で紙クーポンを受けとりました。実質の支払額は 18,000円ですね。

12月20日

① 長岡京 7:44⇒7:56 京都 8:00(新快速)⇒8:55 米原 9:18⇒11:27 豊橋

今回も青春18きっぷを利用して6日前に通った鉄路を逆方向に向かいます。所要時間は3時間43分、新幹線で行くと1時間30分~44分ですので約2倍半かかりますね。その代わりにゆっくりと鉄道の乗り鉄旅を味会えます。運賃も7,470円が2,410円となって5,060円もお得です。節約分で好きな日本酒をたっぷりと飲めます。

9:27 彦根辺りから積雪が多くなってきました。醒ヶ井⇒近江長岡走行中、伊吹山が見事に見えましたので先頭前面から対抗列車とすれ違わないかとカメラを構えましたがそんな偶然は無理ですね。
ちょっと外した頃に来ました。

 

9:43 ホームにタップリの積雪の関ケ原に到着、三脚を構えた鉄ちゃんがいるのにびっくりしました。
どうせ撮るのなら伊吹山バックが良いですよ。

9:47 車内の様子です。まぶしいぐらいに明るい車内でした。

11:25 終着駅の豊橋手前走行中です。名鉄と並走します。

▲ 11:27 定刻に豊橋到着です。集合時間は12時ですので十分に食べる時間があります。橋上駅2階のフードテラスに稲荷ずし発祥で有名な壺屋さん経営の駅そば屋がありました。380円のきしめんを注文、美味しくいただきました。

▲ 12:15 豊橋駅前より大型バスに乗車して出発です。

バスの車内では今日の行程の説明があって 3,000円の紙クーポンが渡されました。ただ道中には使用できるのは店はなく、豊橋駅に戻ってからです。


▲ 13:30 1時間15分走ってトイレ休憩のJA愛知東 東栄直売所に到着。ここからは道路幅が狭いので小型バス2台に乗り換えます。
▲ 豊橋駅からは約71㌔、バスで約1時間40分ほどです。
▲ 13:55 鉱山を運営する三信鉱工株式会社に到着、三崎社長がお待ちでした。

絹雲母鉱山とは 】
三崎社長から会社設立の説明から話が始まりました。当初は祖父が祖父が、三信鉄道(飯田線の前身・三河川合~天竜峡)の鉄道マンだったということで、沿線開発のため武田信玄時代にあった金山の再開発を夢見て山を購入、金の鉱脈を見つけたくて始めたのが最初です。 しかし、出て来るのは金とは全く違うもので「さあこれはなんだろう」と言っていたのが「絹雲母」だと教えていただき、そこから本格的な開発のスタートです。1946年(昭和21年)設立の絹雲母の採掘精製会社で、粟代鉱山で採掘される良質なセリサイト( 絹雲母 )を精製し「三信マイカ」という商標で世界中の化粧品メーカーに供給しているそうです。高純度かつ不純物の少ないセリサイトは主にファンデーションの原料となります。ただ今年はコロナの影響で女性の化粧が少なく需要が減っていると言っておられました。しかし、日本の片田舎の小さな鉱山が世界一の高品質で50%以上の占有率を誇り、世界中の女性の美貌を支えているとは驚きです。

▲ 三崎社長は奥中山越えのSL撮影にも行かれたという生粋の鉄ちゃんです。我々と気持ちが一杯になるように紙芝居を使って鉱山の歴史と現状を語っていただきました。


▲ 14:22 社長の案内で捨石鉱に来ました。今日は日曜日で採掘は行われていなく貸し切りです。鉱石を積載したトロッコはこのように人力で坑道から運び出されます。機関車は使用されていません。


▲ 入口を入った所は複線で広くなっていました。また湿気がすごくレンズが曇ってしまいました。

▲ 所々に分岐した横穴があります。その先でも採掘が続けられています。


▲ 「拾石坑」の入口から約300mを進み最深部へ行くとなんと年代物のローダーがありました。エアー駆動のリーダーは創業以来の車両でもう部品が無くなって困っている。閉山になった他の鉱山に問い合わせては部品を集めているとのことでした。 採掘は鉱脈を見つけ、上下へ手掘りで進み手押しの鉱車で運搬していくという原始的な方法です。従業員はわずか9人で3班に分けて採掘を続けておられるそうです。

▲ 最深部には岩盤に多くの穴があけられています。この穴にダイナマイトを入れ爆発させてセリサイトを掘削するそうです。

▲ 入口に戻ってトロッコの見聞です。何と簡単に枠が外れました。
▲ 充電ロコがありました。坑道を立坑にするために購入されたそうですが不要となって捨て置かれて放置されています。これも貴重な年代物ですね。この鉱山を観光地化するなら動かして欲しいものですね。
▲ 捨石鉱を出て本社前まで行くとインクラインがあるもう一つの日向鉱に着きました。何といってもこの転車台が良いですね。各地の炭坑やローカルナローゲージ鉄道で使用されていました。この坑道にも入って見ました。
▲ こちらの坑道は湿気がなくレンズが曇りません。少し離れただけですが石質によって違ってくるそうです。

▲ 16:13 再び小型バス2台に乗って着いたのは廃校なった、かつてののき山小学校跡です。
東栄町で採れたセリサイトを贅沢に使い、肌触りなめらかで透明感のあるミネラルファンデーションを手作りする教室が開催されています。
通常は女性のツアーが多いそうですが、今回の参加女性は一人だけであとは中年以降のおじさん連中です。
▲ 16:17 事前に鉱山見学と化粧品を手作りするこういったツアーがある事は調べておいたのですが実際に体験までするとは思っていませんでした。しかしこれも経験と講師の言われる通りやってみる事にしました。

▲ 結果、それなりに作れました。帰宅後、ジュニアの奥さんにプレゼントしましたら思いのほか喜んでいただけました。パウダーは結構女性には必需品なのだそうです。▲ 16:58 ボディパウダー造りが終わった頃には夕日が沈んでいました。
▲ 17:18 JA愛知東 東栄直売所に戻って往路とは逆の大型バスに乗り換えです。
▲ 18:39 予定よりは早く豊橋駅に到着しました。皆さんとお別れした後、私は駅そば屋へ直行です。朝も食べたきしめんを夕食としました。
地域クーポン 3.000円は、美味しそうな地酒2本を選びました。

② 19:02豊橋(新快速)⇒21:09 米原 21:13(快速)⇒22:36 長岡京 

▲ 22:36 今回は米原での1回乗換えだけ、長岡京到着で2020年最後の鉄旅を終えました。12月は旅が重なりましたがいつもご一緒させていただくO氏はじめ海外鉄仲間たちとの久しぶりの対面に感激でした。来年も元気な姿でお会いできるように祈るばかしです。

 

投稿できたのは2021年となりましたがよろしくお願い申し上げます。
2021年はもっと旅日記が投稿できますように頑張って鉄ちゃん活動を続けたいと思っております。コロナ騒動が終息するのを祈るばかりです。

2020年 奥三河に残る絹雲母鉱山トロッコ鉄道訪問」への2件のフィードバック

  1. ぶんしゅう旅日記 様、本年もよろしくお願いします。
     
    同じ鉱物でも、雲母と石綿じゃ天地の差があります。
    片や化粧品や顔料として珍重され、もう一方は発がん性の元凶として忌み嫌われています。
    ところで赤穂浪士の敵役、吉良上野介の “キラ” は、雲母に因むそうですね。
    (念のため、浪士は石綿製の火事場装束を着ていません:苦笑)
    【閑話休題】
    日本ではセメント造りに石灰岩が、コンクリートの骨材として砂利が採取されています。
    その他、菱刈の金鉱とか七輪の製造に珪藻土を採掘していますが、それ以外に鉱物資源の採掘は現在、どの様な物が有るのでしょうか?

  2. 戦後、日本各地には無数の鉱山があったようですが海外からの安価な鉱石類が輸入されるようになってからは採算が合わずに閉山する鉱山が相次ぎ、現在も稼動中は若干になっているそうです。ただ、この方面は興味外ですので知識が全くありません。ごめんなさい。
    ご紹介した絹雲母鉱山のように人知れず活動している鉱山もあるのかも・・。
    鉄朋友のO氏はこの道の達人ですので今度お会いした時に聞いてみます。

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