年末年始  臨時列車で賑わっていた時代へ 〈1〉

大阪駅で夜行列車を撮る

誰もが想像すらしなかった一年が終わろうとしています。最大の書き入れ時である年末年始の鉄道界も、普段よりも空席が目立つとニュースが伝えています。臨時はもちろん定期列車ですら運休、終夜運転の取りやめと、長く鉄道に接してきた我々にとっては、信じられないような年末となりました。

少し前までは違いました。長距離移動は、新幹線、航空機、夜行バスに移行し、在来線の長距離列車はほぼ絶滅していたものの、年末年始になると、帰省客、スキー客のために、JR在来線に多数の夜行列車が運転され、国鉄時代の再来を思わせました。夜間の短時間に集中して発着するため撮影効率が良く、年末の恒例として、三脚持参で、始発駅の大阪駅へ向かったものでした。今から約20年前、年末の状況を振り返ってみました。スキーが絶頂期の時代、スキー場まで寝て行ける「シュプール」号が多数運転されていた。興味深い車輌ばかりだったが、これは正調ボンネットの485系で運転されていた神戸発「シュプール妙高・志賀11号」、ヘッドマークも愛らしい(1993年12月29日)。

年末年始に運転されていた九州方面への臨時列車、この時期限定で20系客車や581系電車が見られ、夜行列車の華やかな昭和時代の大阪駅に戻ることができた。

臨時急行「霧島」、かつては東京~西鹿児島の長距離急行として名を馳せていたが、昭和45年には583系特急「きりしま」となるが、昭和50年に廃止、1990年に新大阪~西鹿児島の臨時急行として復活した。臨時ながらサインが用意されていた(1993年12月28日)。

新大阪発西鹿児島行き急行「桜島」(新大阪にて)。日本一長い急行列車「桜島」「高千穂」として東京~西鹿児島に運転されたことで知られているが、昭和50年に廃止、そのあと、多客時の臨時急行として新大阪~西鹿児島に復活した。20系客車最後の働き場所で、テールマークも無いみじめな姿だったが、丸っこいナハネフ22 26はブルトレはなやかな時代を伝えていた(1995年12月30日)。こちらは臨時の「つるぎ」、定期としての特急「つるぎ」は、撮影前年の1994年12月改正で廃止されたが、繁忙期には、24系25形のままの編成で運転されていた(1995年12月30日)。

定期として残っていた「ちくま」。12系座席車+14系寝台車の編成で運転されていて、季節柄、スキー客の利用も多かったが、撮影の翌年、1997年10月改正から383系電車に置き換えられた(1996年12月29日)581系の臨時急行「あおもり」。大阪~青森の臨時急行として、1990年から多客時に運転されていた。当初は20系客車だったが、1994年から581系電車に置き換えられた。ヘッドサインは「急行」のまま、クハネ581-22ほか(1996年12月29日)。「くろよん」「ちくま81号」、165系の8連。長野方面には、帰省客、スキー客両面の臨時が運転され、「くろよん」は、大糸線に入る臨時として古くから登山客、スキー客に愛用された(1995年12月30日)。

 

多数運転されていた“シュプール”は、国鉄時代の昭和61年から運転されていたスキー客向けの臨時列車の総称で、平成時代に入って、折からのスキーブームを背景に各地で増発され、その多くにジョイフルトレインが使われていた。14系リゾート客車を使用した「シュプール白馬・栂池1号」、台帳を見ると牽引はDD51と書かれている。波動用として、ELよりDD51のほうが余裕があったのか、この列車は北陸本線経由、大糸線の南小谷行きである(1993年12月28日)。581系の寝台を使った西明石発の「シュプール妙高・志賀1号」、「シュプール」は各地からスキー場まで直行で行けるのがウリで、さまざまな出発地があり、一時は、岡山発、和歌山発もあった(1995年12月30日)。こちらは381系を使った姫路発の「シュプール白馬・アルプス」、クハ381-137ほか(1996年12月29日)。同じく姫路発の「シュプール妙高・志賀3号」、481系7連+581系7連の14両という長編成で運転された。塗装も違う2形式の編成をわざわざ組み替え、分割部の貫通幌も初めて使われた。ただ、この年の夏、大糸線で大規模な土石流の発生して、長期の不通が続き、北陸本線経由の大糸線南小谷行きは運休となった。スキーブームにも陰りが見え始め、年ごとに「シュプール」の本数は減少の一途をたどることになる(1996年12月29日)。

 年末年始  臨時列車で賑わっていた時代へ 〈1〉」への8件のフィードバック

  1. 総本家青信号特派員さま
    お~懐かしい。どの写真にも当時これらを撮るために走り回った想い出があります。どれもシーズン性のある臨時なので、年間スケジュールを作って次は何処、その次は・・と計画を検討したものでした。これら臨時に出撃した際にはそれに引っ掛けて、当時まだ定期でたくさん走っていた国鉄型原色車も撮ることができました。尤も現役サラリーマン時代でしたから、指定券や宿の予約を済ませていても、仕事の都合で幾度となくJRにキャンセル料を払ったことか。まだ体力のあった頃の懐かしい想い出が蘇りました。

    • 1900生さま
      年末年始の思い出、ありがとうございます。社会人の時代、年末年始の休暇は、せいぜい一週間でした。家族サービスもあって、なかなか遠方へ何日もという訳にもいかず、このように夜間だけ集中的に撮っていました。今から見ると、国鉄型、原色車ばかりですね。今からわずか20数年前の大阪駅です。

  2.  総本家青信号特派員様
     こんな時代がありましたね!金曜の晩に仕事が終わってスキーへ、月曜朝に直接会社に出勤といった強者が居りました。
     20系の丸いスタイルはよろしいですね!!
     総本家さんの撮影も然りですが、その記録を整理して残しておられる事に改めて敬意を表する次第です。
     今年も沢山の素晴らしい写真を拝見させて頂き、有り難うございました。コメントもちゃんと出来ず申し訳ありません。
     来る年も数々の名写真の掲載を楽しみにさせて頂きます。
     良いお年をお迎えください。

    • マルーン様
      いつもコメントをいただき、ありがとうございます。ちょうどこの頃はスキーの絶頂期でしたね。ネコも杓子も、スキー板を担いで、列車やバスに乗り込んでいました。あの熱狂ぶりも懐かしいです。
      私もいろいろ写真を撮ってきましたが、単に車輌の歴史を伝えるだけで無く、当時の社会を映し出すような写真も撮って、見ていただく方に懐古の念を持っていただければと思っています。来年も懲りずに、載せていきます。

  3. 新年おめでとうございます
    今年もよろしくお願い申し上げます
    「シュプール妙高・志賀3号」は何度も乗った列車で、懐かしく拝見しました。1989年から利用しましたが、横になって眠れる寝台車は有り難かったです。大晦日まで休みがなく、おまけに何時になれば仕事が終わるか予想できない中、発車時刻を気にしながら後片付けをしていたのも懐かしい思い出になりました。
    写真は撮らなかったのですが、1991年に乗車したのはモハネ582-73、1992年にはサロネ581-1に乗車したメモが残ってました。
    485系+583系で運転されたのは1996年でしたか。この年は寝台の指定が取れず、485系の座席車だったのですが、初めて見る珍しい混結編成に驚きました。車内の探検をしてクハ481の運転室まで行きましたが、クハネ581に乗り移った記憶がありません。貫通ホロは繋がっていたように思いますが、485系と583系間の移動ができなかったのではないかと・・・。
    1997年から自家用車に切り替え、1998年が最後の正月スキーになりました。
    2004年の1月1日に京都駅で「銀河」を待っていると、583系の「シュプール号」が入線してきました。車体色は変わり、ヘッドマークも変更されていました。

    • 紫の1863様
      本年もよろしくお願いいたします。「シュプール妙高・志賀」での485+583異形式運転は、調べて見ますと1993年から運転していました。1997年が最後で、5シーズンに渡って運転された訳ですが、年ごとに編成が違ったり、583系は途中で塗装変更されたり、変化していたようです。両形式の貫通ですが、クハ481(貫通形)とクハネ581は、下の写真のように幌でつながっていました。ただ、行き来ができたかどうか、私は乗ったことが無いので不明です。

  4. SL写真の特派員氏の直球に対し、こういう変化球投法もできる幅の広さは、会話のしにくいバリ鉄が苦手な小生が、秘かに思慕する所以かなと思います。
    私はこの時代、生活の変化が大きく、思い出も少ないのですが、平成2(1990)年の暮れは、こっそり極秘結婚中のパートナーと雪の東北を旅しています。急行「あおもり」に乗って東北に連れて行ってあげたいね、と言ったら、売り切れの切符のキャンセルが突然出てきて、旅支度もしておらず着の身着のままで20系に飛び乗りました。
    学生時代以来の東北、そして幼い日に憧れた20系。社会も自分も浮かれていましたが、こういう時代に戻れたら、戻ってみたいものです。

    • K.H.生さま
      秘蔵の写真、ありがとうございます。20系の「あおもり」は1990年から4年間だけの運転でしたから貴重です。こんなバックサインでしたか、左の若きお姿とともに、興味深く拝見しました。戻れるものなら戻ってみたいですね。鉄道写真、基本はきっちり記録写真を撮ることだと思っています。記録写真など意に介さず、いきなりイメージ写真に走る輩もいるようですが、やはり基本を押さえてからです。ことしも、直球、変化球で勝負しますよ。

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