JR貨物、不屈の鉄道魂 壁乗り越え被災地へ燃料

我らの仲間が復旧に善戦しているJR貨物、今日のネットニュース、ビジネス1に出ていたので転載します。末尾の記者さんの署名記事です。JR貨物、がんばれ!S君、がんばれ!

(以下転載)

 被災地の燃料不足が深刻化する中、ガソリンと軽油を積み込んだ「石油列車」が19日夜、盛岡貨物ターミナル駅(盛岡市)に滑り込んだ。震災後初めてとなる列車による燃料の大量輸送。輸送を担ったJR貨物には、被災によるルート変更、迅速なタンク貨車の手配などさまざまな課題がのしかかった。

◆正規ルートは壊滅

 新宿駅近くにあるJR貨物本社。1カ月前に移転したばかりの真新しいオフィスは、震災以来、沈痛な空気に包まれていた。首都圏と東北を結ぶ東北線、迂回路(うかいろ)の常磐線が深刻なダメージを受け、東日本がほぼ機能不全の状態に陥っていたのだ。

 テレビに映る被災地の惨状に社員は声を失った。さらにガソリンスタンドは長蛇の列、ストーブの燃料もない避難所には雪が積もっていた。燃料を早期に大量輸送できるルートが求められているのは明らかだった。

 14日夕、4階の会議室に各部署の主要メンバー30人が集まった。狭い室内に沈黙が続く中、誰かが声を上げた。「石油を運ぶぞ。日本海側から」。応じる声がすぐに上がった。社員の“鉄道魂”に火がついた瞬間だった。

 ◆「思いは同じだ」

 盛岡貨物ターミナル駅には、タンク貨車からタンクローリーに石油を移す施設がある。かろうじて“生きている”日本海側の線路を使い盛岡まで運ぶ。そこからタンクローリーで、被害の少ない内陸部の道路を南下、東に方向転換し、ピンポイントで最大の被災地、三陸沿岸集落に輸送する案が持ち上がった。

 昼夜を問わずに断続的に開かれた対策会議で、いくつもの課題が浮き彫りになった。運行管理の担当者は「日本海ルートで石油を運んだ実績がない」と天を仰いだ。

 重いタンク貨車に、レールや橋脚が耐えられないかもしれない。技術担当者がすぐに線路の管理者であるJR東日本に電話を入れた。「タンク貨車が通れるか、至急シミュレーションしてほしい」

 こうした試算は通常、長期間かかるが、JR東から返事が来たのは翌日だった。「大丈夫だ。いける」。答えを聞いたJR貨物の担当者はJR東の迅速な対応に「輸送にかける思いは同じだ」と胸が熱くなった。

 ■発送前倒し 応えたJX

 次は積み荷の手配だ。15日、営業担当者は、恐る恐る連絡を入れた。相手は元売り最大手のJX日鉱日石エネルギー。どの元売りも製油所が停止するなど、大打撃を受けていた。「輸送できます。いつから(石油を)出せますか」。相手は待っていたかのように応えた。「19日に出せる」

 その夜のJR貨物の会議で、ある幹部が思わぬことを口にした。「18日に出せないか」。その場に居合わせたある営業担当の男性社員は「政府の意向だ」と感じ取った。JXもあらゆる手を打ち、18日に間に合わせた。

 横浜市の根岸製油所で燃料を積み、丸1日かけて盛岡に運ぶ。青写真はできた。しかし、技術担当者は「できるだけ軽いタンク貨車を使うべきだ」と主張した。線路の耐性への疑念が消えなかったのだ。

 コンテナリース会社、日本石油輸送には40年以上前から使われ、退役間近のタンク貨車「タキ38000型」が36両残っていた。積載量は少ないが、一番軽い。「できるだけかき集めてほしい」。JR貨物の要請で、17日までに18両が集まった。

 18日午後7時44分、電気機関車「EF210型」に牽引(けんいん)され、ガソリン、軽油合計792キロリットル、タンクローリー40台分を積んだタンク貨車18両が、根岸駅を出発した。列車には8人のベテラン乗務員が交代で乗り込んだ。「乗務員は担当区間では踏切や信号はもとより、レールの状況も正確に記憶している」(同社広報)。不測の事態に備え、短い距離で運転を代わる万全の体制を敷いた。

 タンク貨車が盛岡駅に到着したのは19日午後10時過ぎ。待ちわびた多くのタンクローリーに石油が次々に充填(じゅうてん)され被災地へ向け走り出す。バトンは確かに引き継がれた。21日からは1日2便に増便しており、25日からは根岸→郡山(福島県郡山市)への輸送も始める。

 収益悪化や設備の老朽化などをたびたび指摘されてきたJR貨物だが、日本の非常時に鉄道輸送の存在感を見せつけている。(高山豊司)(以上、転載終わり)

JR貨物、不屈の鉄道魂 壁乗り越え被災地へ燃料」への2件のフィードバック

  1. この話、本当に目頭が熱くなりました。
    青森まで上がって盛岡へ下がる輸送をしているのは知っていましたが、こんな苦労については思いが及んで居らず、鉄道ファンの端くれとして恥じ入っております。
    因みに根岸は拙宅に至近で、何となく連帯感に似た気持ちがあります。

  2. 河様、
    いつもご覧いただきましてありがとうございます。
    会員の励みになると一同、感謝しております。これからも貴重なご意見をお願いいたします。
    さて、震災復興の記事ですが、東京在住の会員から別のニュースも来ております。これは日経新聞の記事ですが抜粋してご覧いただきます。

    >首都圏と郡山駅を結ぶ東北線が一部不 通なため、日本海側の新潟貨物ターミナル駅を経由し磐越西線を通る新ルート で運ぶ。 磐越西線は一部急な勾配があるため、新ルートは2段階に分けて輸送する。
    まず石油を積んだタンク貨車20両(約1200キロリットル)の貨物列車が 横浜・根岸駅から新潟貨物ターミナル駅に向かう。同ターミナル駅でタンク貨 車を10両ずつに分け別の機関車につなぎ郡山駅へ向かう。郡山駅には出発翌 日に到着する予定だ。
     根岸―同ターミナル駅間の石油専用列車は隔日、同ターミナル駅―郡山駅は 毎日運行する。 <

    この記事に付属して、彼は「上越~磐越西線経由です。DD51は、これに当てるのですね!
    もしかすると会津若松からは、ED75牽引になるのかな?
    あっ、会津若松に回送できないか、、、
    とすると、DD51でそのまま牽引か? あるいはプッシュプルかも。
    タキの10両は約700tですので、DD51 2両での牽引になりそう。
    ですが磐越西線の鉄橋は、DD51重連には耐えられないそうです。
    よってプッシュプルではないかと妄想。」
    と書いてきています。
    こんな事態は考えられなかったのですが、現実を見ると非常時用にDLの一定量の確保・配置は必要ではないかと思います。

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