昭和の電車 改訂版(205)ー旭川電軌モハ1000型ー

前回掲載時(2016年7月)には写真の投稿がありませんでした。関先生によると車体をはじめ、駅舎まで保存されているとのこと。どなたか訪問して写真ぐらい撮っていないのですか?
と、思っていたら、「偶然見つけました!」でご紹介した『日本映画の鉄道シーンを語る』にチラッと出ているのを発見したのでご紹介します。

http://tetueizuki.blog.fc2.com/blog-date-201205.html

№21 「疾風小僧」1960年日活作品でモハ1001号が出てきています。

昭和の電車 改訂版(205)ー旭川電軌モハ1000型ー」への11件のフィードバック

  1. 沿線で育ちました、懐かしいですね。
    追分駅最寄りの中学に入ったのが廃線の翌春、残っていれば通学に使うはずでした。
    徒歩通学になって、1001号が停まっているその場所で102号の解体
    を朝晩横目で見ながら通ったことを思い出します。
    追分駅舎ですが、残念ながら老朽化が進み数年前に解体されました。

  2. 米手作市様
    旭川機関区にC55を求めて行ったついでに撮った旭川電気軌道の車両で関先生お描きの1001ではなく501でした。路面に雪の塊が残る1969年3月16日の撮影で旭川四条を出たあたりです。

  3. ころぽっくる様、
    証言をありがとうございました。
    そうですか、駅舎は解体されましたか。私には、北海道と言えば蒸機というのが常識で、電車があるとは思いませんでした。定山渓や札幌市電を見て驚いたものです。でも旭川まで電車があったのを知るのは大学へ入ってからでした。行ってみたかった鉄道の一つです。

    と、書いてアップしたら、準特急さんが写真を見せてくださってました。改めて
    準特急さん、
    ありがとうございます。私には1001と501の違いすら分かりませんが、路面を大型の電車が走る姿は北海道を感じさせてくれます。

  4. 廃止直前の昭和46年3月に旭川四条で501+クハ(キハ05)を撮っています。3月も中旬になると雪解けが進み、道路はベチャベチャでクルマに泥水をかけられて写真どころではなかったように思います。電車の本数も少なく、早々に引き上げたのが悔やまれます。

    • 期せずして、同じ地点での“定点観測写真”ですね。
      わずか二年違いですが、それでも街は変わっています。クハの向こうには大きなビルが建ち、右端の歯科医も看板の位置が変わっています。
      おもしろい写真を二人に見せて頂きました。

  5. 米手作市様
    「1001」は最近では昨年8月に現車を確認しております。旭川市東旭川公民館(旭川市東旭川町上兵村544)に保存。Googleのストリートビューでも確認できます。ただ、屋根がない屋外展示のため、車両の屋根に傷みがあるのではないでしょうか。写真は、2015年7月、至近の旭山動物園からの帰り道に立ち寄って撮ったものです。なお、現役時代は旭川四条で501は宗谷本線から車窓撮りしたものの、1001は撮影しておりません。

    • クモハ73106様
      やっと本物の1001に出会えました!
      書きましたように、私は旭川の電車は見たことがありません。このようにスマートな電車が北海道で活躍していたとは驚きでした。
      意識的に訪問しておくのだったと今さらながらに悔やんでおります。

      • 米手作市様
        恐れ入ります。もう一度人生やり直しても同じような人生を繰り返すでしょうからそこは悔いておりません。

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