2011年冬から春への中国鉄路の旅 Part14 芭石鉄道 菜子埧~躍進

第12日目 3月5日

①蜜蜂岩6:47(芭石鉄道)→7:07菜子埧
②菜子埧站(徒歩)→12:30蜜蜂岩站
③蜜蜂岩站(徒歩)→14:50躍進站
④躍進17:56(芭石鉄道)→18:12蜜蜂岩

昨日は芭沟~蜜蜂岩間を行ったりきたり、ふかん撮影のための山登りも含めると約20キロは歩きましたので、足の不安は消えました。今日もしっかりと歩こうと1番列車で芭沟を目指しましたが、車窓から見る天候は昨日以上の霧です。予定変更をせざるをえないと判断して菜子で降りることにしましたが、降りてすぐに石につまずいて転んでひざ下を強打してしまいました。

これはえらいことになったと緊急用の湿布をしてサポーターを巻いてから、しばらく様子を診ることにしました。最近は老いてきたのかこういったアクシデントが多くなってきました。先日も長浜で一緒に撮影に同行させていただいた総本家さんにもご迷惑をおかけしました。そのために一人で動く時には常に緊急用品を持ち歩いていましたので役にたちました。
場合によっては民宿の陳さんに連絡して迎えの要請をしなければと覚悟しましたが、痛みが治まってきたので芭沟方向に歩くのは諦めて、民宿方向の撮影地としました。

▲ 7:49、芭石鉄道では3本指に入る撮影地ですが、今年は棚田に菜の花はありません。これからのためでしょうか棚田は区画整理されて菜の花は植えられていませんでした。それでも運転手はドレインのサービスは続けてくれました。来年は絶景が広がることを期待しました。

▲ 9:53、山間にドラフトを響かせて最初の4両編成の観光列車が上がってきました。
▲ 10:17、今回菜の花が線路の両側にそこそこ満開だったのはここだけでした。観光列車を追うように5両編成の第2次列車がS字カーブを駆け抜けてきました。車両の窓からはたくさんの顔が見え手が振られていました。

▲ 11:21、昨日夕方と同じ撮影地ですが、今日は白煙をたなびかせての2番目の観光列車の到来です。

▲ 11:53、ここには、耕運機はありません。牛と人が田畑を耕します。沿線のあちこちで見受けられる光景でした。

今日は朝飯抜きです。一旦民宿に引き上げると、同年輩の白人2名が来られていました。通訳兼案内人と一緒でオーストラリアから来た。今日から10日間撮影予定だと言われました。昨年はイギリス人親子でした。皆さん中々来ることができない辺境の地ですので、滞在撮影日数は長く取っておられます。これなら天気の良い日もあたります。また花も咲きます。ゆっくりと腰を落ち着けて撮れます。見習うべきと思いました。

但しこの民宿に泊まられるのかと思っていましたら、この民宿のシャワーとトイレは馴染めない。特にバスタブがないのは受け入れられない。下の犍為にあるホテルから毎日1番列車に乗って来て、最終で帰ると言われていました。日本人でも馴染めることができない民宿の設備です。我慢できないのは分かります。

一緒に昼食をとった後、痛めた足を再治療しました。まあ5キロは歩けたので、大丈夫そうです。彼らと反対方向に分かれて下の躍進まで歩き、帰りは最終列車で上がって帰る方が楽だなと思い歩き始めましたが、楽を選択すると良い事はありません。予定していた撮影地に着く前に列車はやってきました。今日にかぎって列車がことごとく早点(早着)します。これには参りました。ご紹介できる写真は1枚もありません。

▲   代わりに元気な子供たちの笑顔を紹介します。躍進駅に向かって歩いていると子犬を抱いた少女たちに私達も写真を撮って欲しいと呼び止められて撮りました1枚です。疲れている時の子供たちの笑顔ほど嬉しいものはありません。元気がでました。


▲ 16:02、気を取り戻して躍進駅からの電化区間で撮影をしました。この凸型ELの在籍台数は調べていませんが3号機と表示されていますので3台はあるのかも・・・。製造は2000年6月です。


▲ 16:27、躍進で交換して下りてきた第3次。最長の7両編成です。ここでは、成都から車を運転して来たという現地鉄ちゃんと一緒に話しながら撮影をしました。


▲  18:12、躍進駅からは予定通りの最終第4次で蜜蜂岩駅に戻りました。
今日も石炭ガラ集めが行われていましたが、今日は子供たちが寄宿舎から実家に戻った日です。いつもよりたくさんの住民が燃料を集めておられました。

いよいよ明日は芭石鉄道とお別れの日です。今回は日本人には会えなかったなあと思っていましたら、駐在先の大连から来られたという同年輩に近い方が民宿に来られていました。昨日仕事が終わってから飛行機で成都空港に着いたがホテルがなかった。仕方なく客引きのおばさんについていったが、連れていかれた先のホテルでは0時を回っていて部屋はないと言われた。交渉してロビーのソファーに1泊40元(約520円)で寝ましたと言われました。こんな猛者もおられるとびっくりしました。

この方、茨城県の大手H社からの2度目の駐在で、そうすぐ転勤帰国するので最後の中国撮影旅行ですと言われておられました。住いの地は今回地震で被災されておられます。帰国後に連絡をしましたが連絡取れません。無事におられるのか心配しております。 Part15へ続く

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