《近日公開》「ここはどこ?わたしはだれ?」鋭意制作中!乞、ご期待!

会員諸氏は宇出木信吾先輩をご存じでしょうか?
湯口徹先輩や重澤崇先輩、沖中忠順先輩らと共に鉄道同好会を立ち上げたお一人です。私が入った頃には既に卒業されていて、ときどきEVEなどでお顔をお見かけする程度でした。

その宇出木信吾先輩から卒業以来の電話を頂いたのです。
何事か?と身を清めてご指定の場所に伺うと、「青信号の1号からの初版本と杵屋栄二氏が京都で撮った写真を許可を取って複製したものを重澤君が持ってるが、これをクローバー会に寄付したいので渡して欲しいと託された」とのお話しでした。
青信号は事務局で公開方法をお考え頂くとして写真は私がスキャンしてデジ青に投稿することになりました。
改めて拝見しましたが明治時代と思われる国鉄と、京都市電、開通時の京阪電車の写真ですが場所が分かりません。
そこで実績のある「デジ青探偵団」の皆様に①撮影場所 ②車両車種 ③撮影時期について推察をお願い致します。

予告編

近日 当館で封切りロードショー!ご期待下さい

《近日公開》「ここはどこ?わたしはだれ?」鋭意制作中!乞、ご期待!」への5件のフィードバック

  1. 米手作一様
    お久しぶりです。このところすっかりご無沙汰でしたが、お元気でしたか?
    この2点は石井行昌氏の撮影ですね。私の好きな分野ですので、楽しみです。

  2. 紫の1863さん
    ご無沙汰しておりました。
    乙訓の長老様が西方へ旅立たれてからは介護の仕事がなくなり、暇をもてあましておりました。
    もう紫の1863さんには場所がお分かりと思いますが、こんな写真が100枚以上もありますので整理してご覧頂きます。
    お楽しみに!

  3. 謎解き大好きです!予告編とのことですが、もう書いてもいいのでしょうか?
    1枚目。ここは正に同志社のおひざ元、烏丸今出川。北向きに撮っています。石垣は御所。後ろの方に同志社も写っています。この写真では不鮮明ですが、オリジナルでは「烏丸七條」行きの69号と確認できます。車両はもちろん広軌1型ですね。大正2~6年の撮影だそうです。
    2枚目。五条大橋と京阪五条駅。京阪1型。明治末期、開業まもない頃の撮影ですね。

  4. 米手作市様
    お名前の文字を間違えてしまい、申し訳ございませんでした。伏してお詫び申し上げます。
    乙訓の長老の甥様に先を越されてしまいました。おっしゃる通りです。
    一枚目の写真について少々・・・。
    烏丸今出川を中心に、東西南北それぞれの開通時期が違うことから、撮影された時期がわかります。拡幅前の烏丸通が写真のように狭い道だったとは、とても信じられません。背景の時計台は、同志社の彰栄館ですね。
    さて、オリジナルには100年以上も昔に撮影されたとは思えないほど、鮮明な画像が記録されています。市電広軌1形の方向幕の文字も読め、乗務員が詰襟の冬服を着ていることもわかります。彰栄館の時計は3時35分を指しているように見えます。
    ここからは私の推論です。撮影者の石井行昌氏は近くに住まわれ、無類の新しい物好きだったようです。新線が開業するとスグに飛んでゆくという、現在の撮り鉄も顔負けの行動力です。
    撮影の時期を絞り込んでゆきます。烏丸今出川以南の開業は大正2年5月26日です。オリジナルには素足に草履をはいた子供や、「氷」の文字を書いた旗が写っています。季節は初夏でしょうか? ところが乗務員は詰襟の冬服を着用していて、矛盾しているようにも思えます。ふと気づいたのが「衣替え」です。時は大正の初め、今と違って規則はきちんと守られていたはずです。10月1日から翌年の5月31日までは、冬服を着用すると定められています。すると、遅くても5月31日までになり、石井行昌氏の性格を考えると大正2年5月26日から31日までの6日間になります。
    事の真相はわかりませんが、こんなことを考えるのも楽しいものです。

  5. 乙訓の老人の甥さん、
    紫の1863さん
    フライング、大いに結構です!
    ですがこれはサンプル、いわばレストランの前に並んだ見本です。
    本番はこんなものではありませんから覚悟して掛かってきてください。

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