あの日あの頃 ほぼ同月同日に還る  ~12~

日常を記録する② 阪和線で103系を駅撮り

日常の記録、つぎは阪和線へと移ります。当時、アーバンネットワークと呼ばれた関西の通勤線区で、輸送が逼迫していたのが阪和線でした。高架工事が進捗し、改正ごとに増発が進みますが、車両の中心は、まだ103系でした。昭和43年10月改正で、関西初となる103系が配属され、全国でも4番目の投入線区となりました。この時期、首都圏では一掃され、残るのはJR西日本と九州の350両程度、そのなかで、吹田総合車両所日根野支所の103系には、最大の90両が配置され、全車が青22号に塗られて、阪和線の主力として活躍を続け来ました。4扉電車には余り関心を示さない私も、日常の記録の要諦として、この時期に何度か阪和線を訪れたものでした。

ラッシュ時の阪和線、次つぎに103系がやって来て圧倒される。日根野区の103系は、「普通」はもちろん、和歌山始発の「快速」運用にも入っていた。前項投稿のコメントで、阪和線を、河昭一郎さんは「憧れの線区」と表現され、阪和線沿線で育った893-2さんは「掃きだめ」と表現された。どちらも至言だと思う。私自身も、高校生の頃、古臭い社型電車ばかりで、掃きだめ感のある阪和線に憧れて、高校2年生の時、はるばる鳳電車区を訪れたことを思い出した。左:天王寺行きクハ103-591ほか、右:鳳行きクハ103-127ほか(以下2010年5月、南田辺、長居、鶴ケ丘にて)。

クハ103-1先頭の天王寺行き、この車両こそ、3400両余りの103系の車歴表のトップに位置する歴史的な車両だ。ただし、初代の「1」は試作車で、そのあと901に改番されたため、二代目「1」に当たる。他車には無い、正面左の番号「1」が、その来歴を物語っている。2011年に廃車になったあと、現在ではオレンジ色に塗り替えられて京都鉄道博物館に保存展示されている。いまの阪和線は、快速と普通は、車両も区分されているが、当時103系は快速系統にも使われ、天王寺~和歌山の快速にも4扉の103系が入っていた。ただの「快速」だけでなく、「区間快速」、環状線に乗り入れる「直通快速」と、さまざまな字幕があった。2014年に103系は快速運用から離脱した。製造後、経年により、「体質改善工事」「延命工事」を受けた車両も多く、一枚窓、高運転台車も見られ、ほとんどは大阪環状線を担当する森ノ宮電車区からの転属だった。上:クハ103-193FのHK601編成で、延命NA工事施行車、右:クハ103-825FのHK608編成で、体質改善30N工事の施行車。

突然現れたオレンジ+ウグイスの混色編成、クハ103-97Fの編成で、その白帯から奈良区の103系だが、履歴表を見ると、日根野区に転属直後で、塗装変更もなく、阪和線で使用されていた。桜満開の山中渓に到着するクハ103-63Fの103系4連。日根野区103系には、6両編成だけでなく、このような4両編成、また羽衣線の3両編成の90両があった。225系の増備による、223系の普通への充当などにより、2018年には、羽衣線とともに、阪和線の103系の歴史を閉じた(2010年4月)。

 あの日あの頃 ほぼ同月同日に還る  ~12~」への6件のフィードバック

  1. 青色の通勤車ばかりでは、あまり色気がありません。同時に撮った、こだま色も載せます。阪和線のホームライナー、381系の「はんわライナー」です。1984年に、前身となる「ホームライナーいずみ」が天王寺~日根野に走ります。日根野区の特急「くろしお」の間合い運用でした。1980年に天王寺~和歌山となり、愛称も「はんわライナー」となります。撮影時点では、朝の天王寺行きが3本ありましたが、利用率も芳しくなく、撮影した翌年の2011年3月に廃止されました。

  2. 総本家青信号特派員様、
    103系は和田岬線からの引退で脚光を浴びたものの、10年以上も前に阪和線での活躍もしっかりと記録されておられるのには、頭の下がる思いです。
    1990年代の約10年間ほど、私も阪和線沿線住民だった頃があり、毎日のように103系を利用していましたが、流石に写真に記録しておこうという気は全くおきませんでした。それでも毎日利用していると運用番号や列車番号は覚えてしまうようで、いつもと違う運用番号の列車を見つけると、何かやらかしたな、と思えるようにまではなりました。
    日根野の103系で特筆すべきは、一時期だけでしたが6M2Tという最強の8両固定編成がありました。関西の103系でユニット表示灯を3まで使用したのは、恐らくこれだけかと思います(確か3編成ぐらいあったような)。
    6M2Tが3パンタ上げて走っているような写真があればよかったのですが、ある訳もなく、阪和線沿線住民をやめてから5年ほど経過した折の何かのついでに撮影した103系の写真を貼付しておきます。ちょうど、5番線から阪和下り線への短絡線の工事中でした(2007年6月10日、天王寺駅)。

    • 四方様
      コメント、ありがとうございます。103系の6M2Tのこと、苦手な103系ですが、調べてみました。番号は不明ですが、1999年に6連のMMユニットを抜き、6連4M2Tに挿入して8連化する組み替えが3本実施され、JR西日本では初めての6M2Tの8連3本ができたとのことです。その後、MMユニットが廃車されたり、Tと入れ替えたりして、6M2Tは消滅、8連そのものも2008年3月改正で消滅したとのことです。
      天王寺駅は何度も構内の改良工事が行われていました。写真の連絡線は、阪和線から大阪環状線へ直通する際の平面交差の回避のための連絡線ですね。工事の記録も、日常の大事な記録です。

      • 総本家青信号特派員様、
        6M2Tの件、調べていただきありがとうございました。8連では、ホーム長の関係で快速にしか充当できず、使い勝手が悪かったので、朝夕のみの運転でしたが、まさか9年間も運用されていたとは驚きでした。
        「はんわライナー」は、私の見る限りではいつも盛況で、単純に新車をライナーに使うのは気がひけたのだろうと思っていました。「らくラクはりま」や「びわこエクスプレス」のように乗車距離が長く、終着駅から本来の特急に運用できるのであれば特急として残った可能性もあったと思いますが。
        整理券の確認のためか通常のドア扱いはせず、従って電車列車では当然の車掌への出発指示合図が、機関車牽引列車と同様の電車運転士への出発合図となっていたのが興味深かったです。

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