参宮急行デ2200は新京阪デイ100、阪和モヨ100とともに当時の関西の代表的電車と言われた。走行距離、車両の大きさ(20m車長は大阪鉄道デニ500、南海電九301系2001形に次ぐ)、大出力電動機に発電ブレーキ併設で連続33パーミルのアップダウン走行、省線の2等車並みのシート等からも日本最高電車と言われた。近鉄2200系は1930(昭和5)年から製造された57両と1939(昭和14)年から製造された2227系26両に分けられる。尚、晩年は1930年製2200系57両はほとんどが3扉化され、さらに2200系は1953(昭和28)年製造の元特急用の2250系20両(元貴賓車2600含む)を加えて同一の編成(悪く言えばガラクタ編成)で走っていた。私の撮影は1967年11月29日上本町駅である。
急行宇治山田行きの列車種別行先板を誇らしげに上本町駅発車待ち2306の端正な姿である。2306は元デトニ2306で特別室と荷物室を持っていて晩年は特別室は一般開放していたのでよく乗車したが、伊勢商人の担ぎ屋さんが占領したのか魚の匂いが残っていて閉口したものである。▼
最後まで2扉で残っていた2205。扉が大きく離れている車両は私鉄ではあまりなかったものと思われる。運転室横の片目は皆さんご存知の通りトイレである。修学旅行は関東は日光、関西は伊勢が定番だった。私も修学旅行のスナップ写真に残っている車内は2200でこれで伊勢に行った。▼
2205の横に荷物か新聞の袋詰めの様なものを載せた台車が見られる。長距離列車のターミナルの雰囲気である。▼
2227形の2243を横から見たもので特徴ある張り上げ屋根や扉の位置などから新旧2200はまるで別形式である。ホームには列車種別行先板が収められているケースがあるが関西ターミナル駅にはよく見られた。大きな竹かごは近鉄特有のものなのかはわからない。大阪の有名校に電車通学でもしているところか品の良さそうな小学生が二人写っている。近鉄も番号を誇らしげに切り抜き文字で大きく表示してくれるのは有難い。▼
上の2243の正面は異色のツーライトである。1968年9月29日名古屋線白塚駅での2243である。▼


準特急様
蒸機は遠くなりにけり、それ以上に昔に感じられる2200系です。学生時代は生野区に住んでいましたので、今里駅で見かけていた車両ですが、軌間が国鉄より広いので、一層大きく安定感がある印象で、かつごっつい台車や濃い塗色で重たそうやな、と感じながら眺めていたものです。
小学校修学旅行は、もちろんお伊勢さんですが、次の時代のツートンカラーの車両だったような記憶です。鮮魚電車の鶴橋駅での荷おろし風景も懐かしいですね。
高田幸男様
DRFCの中では最も2200系を見られた方ですね。奈良線も大阪線も身近にあり近鉄が日常生活の中にあったのは羨ましい環境だったと思います。その2200もP-6も過去のものでそれを知る人も少なくなり、こういう内容を投稿するのはいつも気が引けます。この日本一の電車は書き漏らしましたが当時の技術では軽量化にも工夫したそうです。私の記憶では2200は20m車で重量47トン、P-6は19m車で52.4トンあり単位当たりではP-6の方が重いです。見た目にもP-6は重量フォワードの前3列ですが2200はNo8と言ったところでしょうか。デトニ2306の正面は端正な顔立ちと書きましたが、幌を外したP-6は見られたものでありません。しかしリベットだらけの横から見た感じは重そうで魅力的でした。私のようなDRFCの化石人間はこれからも出る幕は少ないですが先日2025年11月10日最近の大阪線の新型電車1A102を撮りました。正面は試運転TestRunと読めます。最近の電車あまり好きになれませんがこの車両は正面3枚窓貫通扉幌付きで先にデビューした奈良線、京都・橿原線の新車共々納得が行きますので走行写真でも撮りに行きたいと思っています。