謹賀新年/竜ヶ崎線



年の初めは辰(=竜)年に因んで、昨年開業111周年を迎えた関東鉄道竜ヶ崎線の近況等をお伝えしたい。
竜ヶ崎線は常磐線佐貫駅と竜ヶ崎市の中心部を結ぶ僅か4.5㎞の路線で、ほぼ中間地点に入地駅(棒線のため交換不能)がある。全線の所要時間は7分で朝夕のラッシュ時間帯は約20分、それ以外は約30分間隔で運行されている。一列車の往復運行のため、20分間隔の時は両端駅での折返し時間が3分しかなく極めて慌ただしい。
配置車両はキハ532、2001、2002の3両で、ラッシュ時2連、それ以外の時間帯は単行でワンマン運転を実施している。
龍ヶ崎市内に大規模団地や大学が出来たため人口は増加しているが、竜ヶ崎駅から離れているため乗客の増加には繋がっていない。竜ヶ崎~取手間にはバスが運行されており、常磐線の本数が少なかった時代は、バスで取手に出て本数が多く確実に座れる国電に乗り換える人が多かった。常磐線交流区間の運転本数が増加して佐貫駅に停車する電車が増えると竜ヶ崎線の乗客も増加し、バスは1~2時間に1本程度にまで減少している。

歴史は古く明治33年8月14日に762㎜の龍崎鉄道として開業し、大正4年7月に1067㎜に改軌、戦時中の昭和19年5月13日鹿島参宮鉄道に移譲、昭和40年7月1日鹿島参宮鉄道と常総筑波鉄道が合併して関東鉄道となり同社竜ヶ崎線となった。
昭和46年8月1日よりワンマン運転を開始したが、普通鉄道としては日本初と言われている。

竜ヶ崎駅の看板 
(H23-11-23)


竜ヶ崎駅(H23-11-23)

〔現有車両〕
キハ532(キハ532形)
旧国鉄キハ20の台車、機関、主要機器を流用して昭和56年新潟鐵工所製で新製した。キハ2000形が登場するまでは主力として活躍した。現在は予備車的な存在となったが原則として第1、第3土曜日と第2、第4日曜日の9時~14時頃まで定期運用に入っている。キハ2001と2002のいずれかが検査に入ると朝夕ラッシュ時にキハ2000形と2連で走る。

竜ヶ崎駅進入
(H9-5-5)

竜ヶ崎駅進入/2両目はキハ2002 
(H23-11-23)

キハ532+キハ2002/竜ヶ崎~入地 
(H23-11-23)

キハ532+キハ2002/佐貫~入地 
(H23-11-23)
竜ヶ崎に向かって左側/後ろのキハ2002には乗務員室扉が無い。

車内は新京成の800形と似ている。蛍光灯は30
Wの短いものが間隔を空けて設置されている。

 キハ2001、2002(形式キハ2000形)
平成9年新潟鐵工所製の新製車である。竜ヶ崎線はホームが竜ヶ崎に向かってすべて右側のため、竜ヶ崎寄りの運転台が右側にあり、左側には常務員用扉がない。朝夕2連、昼間単行で主力として活躍しているが、前述のようにいずれかが検査に入るとキハ532との混色編成が登場する。

キハ2001/竜ヶ崎 
(H23-11-23)

 
キハ2002+キハ532/竜ヶ崎~入地 
(H23-11-23)


〔過去の車両〕
自分で撮影した車両のみ紹介する。
4号機関車
大正14年川崎造船所製のC形機関車で、現在は龍ヶ崎市歴史民俗資料館に保存、展示されている。

竜ヶ崎 
(S50-1-3)

DC201
常総筑波鉄道時代に昭和28年新三菱重工三原製作所製のL形機である。常総線で貨物列車を牽引していたが、昭和43年竜ヶ崎線に転属した。47年貨物列車廃止後は保線工事列車に使用されていたが49年に廃車となった。

佐貫 
(S45-3-15)

キハ305
昭和10年日本車輌で常総鉄道キホハ61として新製、窓が小さく幕板の広いスタイルはお世辞にもスマートとは言えない。昭和30年に筑波線に転属、31年にキハ305に改番、昭和40年に竜ヶ崎線に転属した。
湯口先輩の「内燃動車発達史/上巻」のP72に新製時の写真が掲載されているのでご覧頂きたい。



竜ヶ崎 
(S41-3-12)

キハ40202
昭和6年日本車輌製で、牟岐線の中田~羽ノ浦間の前身阿南鉄道キハ201として新製、昭和11年7月1日鉄道省に買収されてキハ40510に、更に改番でキハ40307となった。昭和23年鹿島参宮鉄道に売却されてホハフ402となり鉾田線で使用、昭和27年気動車に復活して竜ヶ崎線に転属した。
「内燃動車発達史/上巻」のP279に湯口先輩が昭和30年に竜ヶ崎駅で撮影された写真が掲載されているのでご覧頂きたい。


竜ヶ崎 (S45-3-15)

キハ41302
昭和9年川崎車輌で鉄道省キハ41070として新製、昭和27年エンジンを日野DA55に換装してキハ41599に、昭和30年DMF13に換装してキハ41355に、昭和32年4月の称号改正でキハ0436となった。昭和35年4月25日付け武蔵五日市支区で廃車になり、同年12月に鹿島参宮鉄道が譲受け、竜ヶ崎線に配置された。
昭和46年8月のワンマン化の際も改造され昭和57年1月まで在籍した。

竜ヶ崎 
(S41-3-12)

竜ヶ崎駅進入 
(S41-3-12)

竜ヶ崎 
(S50-1-3)

キサハ41801
昭和8年日本車輌製で鉄道省キハ41070として新製、昭和27年エンジンを日野DA55に換装してキハ41502に、昭和29年DMF13に換装してキハ41322に、昭和32年4月の称号改正でキハ0423となった。昭和37年3月31日付勝浦機関区で廃車になり、昭和39年に鹿島参宮鉄道が譲受け、エンジンを撤去の上竜ヶ崎線に配置された。昭和45年に常総線に、その後筑波線に転属して昭和54年3月に廃車になった。

竜ヶ崎 
(S41-3-12)/塗装は黄色一色であった。

筑波線転属後/真鍋
(S49-8-26)

キハ521、キハ522
元江若鉄道キハ18→キハ5121→キハ521、キハ19→キハ5122→キハ522の車体乗せ替え後。車歴等は11月25日付【16203】「今でも気になる江若鉄道」をご覧いただきたい。

キハ521/竜ヶ崎 
(S63-5-18)

キハ522/竜ヶ崎 
(S63-5-18)

キハ522/竜ヶ崎 
(H9-5-5)
この時は前面に貫通幌が付いており3連運用があったのかも知れない。

キハ531
元江若鉄道キニ6→キハ5123→キハ531の車体乗せ替え後。

竜ヶ崎 
(S63-5-18)

キハ531の銘板

車体乗せ替え後も「昭和6年川崎車輌」の銘板が残っていた。

〔「竜ヶ崎」と「龍ヶ崎」〕
「竜」と「龍」の使い分けを考察すると極めて曖昧であることが判る。市名は「龍ヶ崎市」で「龍」を使用しており、市立の小学校は「龍ヶ崎小学校」と「龍」を使用しているが、県立高校は「竜ヶ崎第一高校」と「竜」を使用している。私立の幼稚園、保育園は「龍」と「竜」が入り乱れている。警察は「竜ヶ崎警察署」JAは「JA竜ヶ崎市」、都市再生機構(元日本住宅公団)は「竜ヶ崎ニュータウン」で、その中に「龍ケ岡」と「北竜台」と2つの地域があり、「龍」と「竜」が入り乱れている。

更に最も不可解なのが竜ケ崎駅の看板で、「崎」をよく見ると「﨑」を使用している。古い切符を見ると「龍ヶ崎」となっており、いつのまにか「龍」の字が複雑なため簡単な「竜」にしたというのが真相ではないだろうか。駅の看板の「﨑」を不思議に思う人はいないのだろうか。

〔竜ヶ崎ニュータウンのバス〕
竜ケ崎ニュータウン行のバスは佐貫駅から出ており、「竜」のイラストのバスが使用されている。但し専用車ではないため標準色のバスが使用されたり、「竜」のバスが他の路線に使用されることもある。
元々関東鉄道と茨城観光自動車の共同運行であったが、茨城観光自動車が平成13年6月に廃業したため関東鉄道の単独運行になった。関東鉄道は「いすゞ」茨城観光は「日野」を使用していたが塗装は共通で、茨城観光廃業後は関東鉄道が車両を引き取った。

土浦22か1711/関東鉄道赤竜/7
式U-LV324K(
H8-1-15) 佐貫

土浦22か1710/関東鉄道青竜/7年式U-LV324K
(H8-1 -15) 佐貫

土浦22か1715/茨城観光自動車赤竜
/7年式U-HT2MMAA(H9-5-5)正直車庫

土浦22か1714/茨城観光自動車青竜
/7年式U-HT2MMAA(H8-1-15) 佐貫

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