こんなん出てきました

京阪3000の見学会のネガを探していたら、同じネガのなかに模型運転会のスナップがありました。これも日時、場所不明です。昭和47年4月から8月のあいだです。どこかのお寺を借りて運転会を行った記憶はあるのですが、どこだったのでしょう?「明治チョコレート」の工場と言えば茨木、高槻あたりにありますが、そんなところまでレイアウトを運んだのか・・・?だれか覚えておられませんか。

こんなん出てきました」への4件のフィードバック

  1. 青信号26号の記録によると京阪3000見学会の前日に「模型運転会 紫野保育園にて」とあります。たぶん、3000見学会と同じネガであればこの時の見学会でないでしょうか。ただ、昭和46年となっていますので、年が合いません。この写真を見ると大津の86さん、INUBUSEさんが写っているので昭和46年ではないかと思います。わたしの調べられる範囲ではこのぐらいです。しかし、京阪3000見学会といい、この写真といいみんな若いですね。ちょと、はずかしいです。

  2. どですかでん様
    青信号の活動報告欄を見るところまで考えが及びませんでした。確かに青信号26号によると 昭和46年6月5日に紫野保育園で運転会、翌6月6日に守口車庫見学会となっています。3000が営業運転に入る前に見学させてもらったのでしょう。ところで私のネガでは守口のあとに運転会のコマがあるのです。運転会の他のコマを見ても保育園らしくありません。そこで青信号の活動報告欄を検索してみましたら、28号に「昭和47年6月25日に東山区の佐藤氏宅で模型運転会、参加多数」とありました。そう言えば家がお寺の後輩がおられたような・・・、記憶が定かではないのですが この写真は昭和47年ではないかと推察されます。そうなると「明治チョコレート」はどこにある? また疑問が広がりました。

  3. 西村雅幸様
    見学会の後であれば西村さんが書かれているように佐藤さんのところで運転会をしたものだと思います。後に写っている襖からもどうもお寺のようです。そして、地図を調べてみると青信号にある名簿の住所からここにお寺が2ヶ所あり、その近くに明治製菓京都支店があります。どちらのお寺かわかりませんか、どのあたりに並んで撮ったのかわかりませんが、西村さんが言われるように昭和47年6月25日に行われた佐藤さん宅での運転会と思います。この様にわからないものをいろいろな資料から調べるのは面白いものです。青信号も補機もDRFCの「古文書」みたいなもので読んでみると、当時の行動や考え方を知るのに参考となります。そして、その変遷を考えてみるとなかなか興味深いものです。どうもこのあたりが地歴部的でいまだに抜け切っていません。刷り込みは恐ろしいものです。

  4. どですかでん様
    ご明察です。別のコマには経机のようなものが写っていて いかにもお寺です。明治製菓京都支店でしたか。恐れ入りました。地歴部的アプローチはよく判ります。一生抜けないと思います。かく言う私も中学のときは地歴部でした。今も郷土史にはまっています。迅速かつ適切なコメントありがとうございました。

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