第4日目 3月2日
今日は、待ちに待った鉄道写真の巨匠広田尚敬先生が参加されての神谷武志さん企画の弘南鉄道{雪飛ばしツアー」の開催です。
朝、ホテルのレストランで皆さんとご挨拶です。今回は、いつも海外鉄でご一緒させていただくO氏も久しぶりにお会いできました。心強い限りです。
ロビーで参加15名の方々と対面しました。半数は面識ありますが、初めての方も半数おられます。じっくりとご挨拶することなくレンタカー5台に分乗しての出発となりました。皆で一緒に行動するのかと思いましたが、最初の目的地大鰐駅だけが決まっていて後は車別での自由行動です。私はO氏、O氏の鉄ちゃん朋友と3人乗車となりました。しかし、3人とも撮影ポイントと道筋を熟知していません。前に行く車に付いていくしかないのですが、出発早々に見失いました。車のナビの言うとおりに行くしかありませんでした。
▲ 9:06、何とか大鰐駅に到着することができました。先を行かれた神谷隊長も大鰐駅近くで迷走されたようで後からの到着です。構内では、雪が降りしきる中でED221+キ105は、出動準備をされていました。
ED221は、まだ日本の鉄道車両製造技術が未成熟だった1926年(大正15年)にアメリカより輸入された電気機関車です。車体と台 車はボールドウィン社製、電気機器はウェスチングハウス社製です。最初は、信濃鉄道(現;大糸線)で使用され、1937年国有化後ED22-1となり1943年には飯田線に転出しました。その後西武鉄道→近江鉄道→一畑電気鉄道と譲渡され弘南鉄道には1974年に参りました。日本各地へと移動を重ねた波乱万丈の人生だったのですね。弘南鉄道では大鰐線に配属されて、キ105とタッグを組んでの冬期のラッセルが担当業務となっています。年齢は87歳、元気ですね。
キ105は、1929年(昭和4年)国鉄苗穂工場で誕生しました。国鉄時代はキ157で、1927年旭川工場で改造されています。弘南鉄道には1975年に譲渡され、キ105となりました。同型車は、苗穂・大宮・浜松・土崎・郡山の各国鉄工場と、飯野産業(飯野重工業)・立山重工業において製造が行われ、全194両が存在しました。現役で活躍しているのは極めて少なく、弘南鉄道の大鰐線と弘前線の2両、今回DL不調で運行されなかった津軽鉄道のキ101(国鉄時代;キ120)と思われます。
[googlemap lat=”40.52865881974615″ lng=”140.55552005767822″ align=”left” width=”300px” height=”180px” zoom=”17″ type=”G_NORMAL_MAP”]青森県南津軽郡大鰐町[/googlemap]▲ 9:34、ラッセル列車の最初の撮影地は、みんな一緒に宿河原~鯖石です。ラッセルでできた雪山によじ登って撮りましたが、犬走りにできている土手に阻まれて線路は見えず、ラッセルカーの雪飛ばしも同じ白い雪ではっきりとしませんでした。
[googlemap lat=”40.54188457516326″ lng=”140.5508852005005″ align=”left” width=”300px” height=”150px” zoom=”15″ type=”G_NORMAL_MAP”]青森県 石川プール前駅[/googlemap]▲ 9:44、追っかけ第2地点は昨日ロケハン済みの鯖石~石川プール前に向かいましたが、ラッセルの方が早くに来ました。取りあえずアングルが確定できる位置でのショットでした。
▲ 10:10、第3地点は、津軽大沢駅直前です。ここしか間に合わず、後手後手になりました。
そしてラッセルして雪飛ばしを撮りたいがためにどうしても撮影ポインを線路近く正面を選んでいましたので、どこで撮っても同じ写真にしかなりません。かといって遠方からでは、雪が降りしきっていますので、ぼやけてしまいます。どうしようもありません。[googlemap lat=”40.55923228483909″ lng=”140.50565242767334″ align=”left” width=”300px” height=”150px” zoom=”15″ type=”G_NORMAL_MAP”]青森県 津軽大沢駅[/googlemap]
10:17、津軽大沢駅からはリンゴ園の中の踏切に直行して待ち受けました。この辺りまでは10月に来て歩いていますので土地勘はあります。
道路橋がある辺りから連写ですが、横にあるウイングは開いてくれません。これがもっと開くと豪快な雪飛ばしが見られるのでしょうが・・・。
ここからの撮影地が分かりませんので、前に走る車に付いていくしかありません。
[googlemap lat=”40.56725245060391″ lng=”140.4805040359497″ align=”left” width=”300px” height=”150px” zoom=”16″ type=”G_NORMAL_MAP”]青森県 千年駅[/googlemap]
10:30、千年駅にたどり着きましたが、すでに遅くラッセル列車は発車していきました。
ここから先は市内地を走っていきます。もう追いかけるのは時間的に無理ですし、道路も狭く駐車は不可能です。後は折り返しを狙うことにしました。
[googlemap lat=”40.52741112607532″ lng=”140.5561798810959″ align=”left” width=”300px” height=”150px” zoom=”16″ type=”G_NORMAL_MAP”]青森県 千年~宿川原[/googlemap]
11:29、みんな一緒で来たのは、第1地点近くの踏切に戻っての撮影でした。
これにて午前中の大鰐線撮影は終了、午後からは弘前線でのラッセル列車の撮影です。出発駅の黒石へと向かいました。
市内に入るとナビで案内された道路は極めて狭く、まだ除雪が道路中央部だけで車がやっと1台が通れる程度です。
おばちゃまがスコップを持って人力作業をされておられました。
後方には火の見櫓がみえました。市内にはこうした木造の消防団詰所、消防倉庫の屋根には珍しい火の見櫓(望楼)を備えた「屯所」と呼ばれる建築物が多く見受けられました。
11:55、黒石駅に到着。かつて学生時代に訪れた時とは雲泥の差で駅前広場は都市開発で一転していました。
下は、1971年(昭和46年)当時の黒石駅です。当時は国鉄黒石線も走っていて津軽鉄道の黒石駅から少し離れて、立派な駅舎がありました。今は駅前広場に吸収されて痕跡は残っていません。
当時の写真はこちらをご覧ください。
▲ ぼちぼちお腹も空いてきました。黒石といえば「つゆ焼きそば」がB級グルメとして有名ですが、以前も食しましたので今日は本格的な生粉打ちそばが食べたいと駅員さんに紹介してもらって造り酒屋内にある「金の銀杏」に参りました。注文したのは100%そば粉のせいろう(もりそば)で、そば本来の香りを楽しみました。
▲ 12時過ぎに黒石駅に戻りますと皆さん何処からともなく集まられておられました。
弘前線のED333は、1923年(大正12年)にアメリカのウェスチングハウス社より輸入された電気機関車です。最初は、武蔵野鉄道(現;西武鉄道)で使用され、デキカ10形11号機と名称されました。西武鉄道に合併後はE11形に名称変更され、1961年(昭和36年)に弘南鉄道に譲渡されてED333となりました。当初は貨物輸送にあたっていましたが、貨物輸送廃止後はキ104とタッグを組んでのラッセル活動が担当業務です。
弘前線はさほどの撮影地がありません。冬は特に分かりません。先導する車に離れずについて行くしかありませんが、郊外に出た途端に地吹雪が待っていました。道の両脇にラッセルされた土手に吹雪が当たると雪が舞い上がり勢いを助長します。フロントガラスから見る前方は真っ白でまさにホワイトアウトの世界です。集落の中に入ると、ようやく前方が見えるようになりますが、出ると東西南北が全く分からず、道すら見えなくなります。ナビを頼りに方向を確認します。時々誤って吹き溜まりに突っ込んでしまった車もいたようです。対向車はライトがかすかに見えるのみ、最徐行で進みました。よくスキーに行きましたが、こんな道路を走るのは初めてです。
▲ 13:33、やっとのことで第1地点の田舎館駅に到着しました。急いでホームに向かいますが、遅れていたラッセル列車にも間に合わず、ホームから見るのみでした。無事に着けただけでも良かったといったところでした。
13:58、第2地点。地吹雪の道を激走して着いたのは、柏農高校前駅です。ラッセルされてうず高くなった約3m余りの山によじ登って撮影です。地吹雪は風速15m以上ですが皆さんビクともされません。猛烈な鉄ちゃん軍団でした。
私も後ろから登って構えましたが、カメラのオートフォーカスが効きません。マニュアルに変えざるを得ませんでした。
▲ 13:59、すぐにラッセル列車はやってきました。降り積もった雪を飛ばしているようですが、みんな真っ白ですのでよく分かりません。
▲ 14:13、第3地点。平賀~館田に移動してラッセル列車を待ちました。線路脇のわずかな土手でひしめき合っての撮影でした。
▲ 14:38、第4地点。運動公園前~新里の踏切で皆さんで揃って待ち受けましたが、先に新里駅で交換する電車が積もった雪を巻き上げて行ってしまいました。
▲ 15:17、弘前にて折り返したラッセル列車を館田~平賀の線路際にできた雪の土手山で待ち受けました。
▲ 17:37、大鰐線に戻って大鰐駅構内での夜撮です。皆さんは三脚をセットしての撮影ですが私はムービーは止めているのと、移動に足かせとなるので極力三脚を使わない主義です。今回は、代わりに軽い55㎜F1.4の昔使っていたニッコール単眼レンズを持ってきましたので、これでお手軽に手持ち撮影です。まだ明るかったので、F2.8、-0.3段、ISO6400でシャッタースピード1/160秒で切れました。他にF2~5.6、1/200~1/30でも試してみましたが、A2程度の引き伸ばしなら問題なく見られます。800Eの成せる技です。ただ画像の滑らかさを求めるなら絞った方がいいに決まっていますので推奨できませんが、私のようにまあまあで済ます方にはお手軽です。
▲ 17:48、撮り始めてわずか10分経過後ですが、暗くなってきました。シャッタースピード1/13秒に落としての撮影です。丁度発車前の電車からの前照灯を後方からもらえましたので側面が輝いていい感じでした。
▲ 18:00、前照灯を点灯後、丁度入線してきた電車の前照灯を少しもらっての撮影です。シャッタースピードは1/15でした。前照灯が糸を引くような画像を求めましたが、こんな時には演出できる粉雪が降ってくれませんでした。
使用したニッコール55㎜F1.4は、古い単眼レンズですので、オートフォーカスは付いていません。
一連の撮影でのピント合わせは撮影位置を固定して、ライブビューを使って拡大して求めました。昔は三脚にカメラを固定して、ファインダーから見ながら合わせていましたが、夜撮は暗くていい加減でした。F8~11に絞って被写体深度を作ってから長時間露光をしてピントを合わせていましたが、今のデジカメにはライブビュー機能がありますので、多少暗くとも簡単にピント合わせができます。またとても軽いので、ローシャッターをしても三脚なしの手持ち撮影でも手振れの心配が少ないのは強みでもあります。これでVR機能でも付いていれば無敵でしょうが、それではレンズが重くなります。
今回の夜撮で古くともF1.4の明るい軽いレンズがあれば十分に代用できることが確認できました。今後ともこのコンビでいきたいと思いました。35㎜F2.8もまだ持っていますので、撮る位置によってはこれでも代用できます。旅の移動には邪魔な三脚とは完全におさらばすることにしました。
これにて今日の撮影は終了です。一旦ホテルに戻った後は弘前駅前の居酒屋で広田尚敬先生を囲んでの皆さん揃っての大宴会となりました。今日は初対面だった猛烈鉄ちゃんの皆さんともゆっくりとご挨拶ができました。
外は雪です。弘前市民の皆さんには歓迎できませんが、我々にとってはラッセルの雪飛ばしが期待できます。あまり降りすぎると追っかけに支障をきたしますので適当に降って欲しいなと願いながらの就寝となりました。 Part5へ続く