2013年 春の中国鉄路の旅 Part18 北満一人旅 その2 迎春駅、東方紅を歩く

第17日目 5月17日
① 延吉 前々日20:55(2038次)→前日9:06哈尔滨(ハルピン)

② 哈尔滨 前日15:49(K7081次)→6:10東方紅

01_車窓1乗車3日目
朝日が上がると共に目覚めますと、列車は水田が広がる稲作地帯を走っていました。この辺りはかつて日本政府の国策によって多くの満蒙開拓団が入植した地域です。00_牡丹江~東方紅

02_虎林駅14:54、虎林に到着しました。
列車は眠っている間に牡丹江から分岐したジャムスへの牡佳線に入り、林口からは東方紅へ向かう林東線を走っていました。
駅名板を見ますと、なぜか駅名表示に「站(駅)」がくっ付いています。多分初めて見た表示です。どこからこういう表示になったのか分かりませんが、どうしてなんでしょうね。
02_虎林駅2今回は駅名や現在位置確認のために日本鉄道旅行地図帳満州編を持ってきました。
満鉄全盛時代では、この虎林からソ連国境の要塞があった虎頭までの線路があったはずですが車窓からは見当たりません。列車は大きく左に曲がって北へと方向を変えます。

00_牡丹江~東方紅地図1【 満鉄虎林線と虎頭要塞 】
林口からのこの路線は、171キロ先の東安までが昭和10(1935)年12月15日に開業していました。そして、昭和9(1934)年から建設の始まった、ソ連国境にある虎頭要塞への物資輸送のために延伸工事が急ピッチで行われましたが付近一帯は沼地が多く難工事となりました。
懸命の作業の末、昭和11(1936)年11月10日には仮営業(本営業は12月1日)されています。要塞建設時のセメントや鋼材等の建設物資や兵員輸送、及びその後の補給物資輸送に重要な役目を果たしたと思われます。

山崎豊子が著した 『大地の子』 の冒頭にあるソ連軍侵攻により集団自決にまで追い込まれた “清和開拓団” が入植したのは、虎頭要塞の直近でした。

虎頭要塞は日本帝国陸軍最大の41センチ砲を備えた南北10キロ東西8キロの鉄筋コンクリート構造の頑丈な要塞で、約10,000人の守備兵が守っていました。しかし、昭和20(1945)年8月9日未明の突然のソ連軍侵攻時には、兵士は戦線悪化により南方戦線に取られて、要塞にいたのは約1,400名でした。
付近の開拓団農民たちも要塞に避難し、約1,800人が籠城しましたが、攻めるソ連軍兵士は約10,000人強と圧倒的で苦戦を強いられました。玉音放送も敵の戦法とみなし終戦後も戦い続けましたが、8月26日にわずか53名を残して全員玉砕となりました。

満鉄虎林線もソ連侵攻で徹底的に破壊され、現在なおも復旧には至っていないそうです。

03_迎春駅

▲ 5:44、次の駅「迎春」に到着しました。ズバリ、お目出たい駅名ですね。
名前の経緯はこの地が迎春鎮という地名だったからだそうです。日本だったら名前だけでフィーバーしますね。
虎林から東方紅までは、この地区の開発と運材輸送のために中国建国後に建設されました。最初はこの迎春までの37.4キロが1959年に開業され、1962年5月に東方紅までの24.5キロが延伸開業となりました。

05_東方江105_東方江2
▲ 6:15、ちょっと晩点でしたが終着駅の東方紅に到着しました。終着駅ですが、殆どの乗客は途中で降りたようで、ここまで乗車した乗客は多くありません。駅前広場で客待ちをしていたTaxiもパラパラです。駅前くらいは、もう少しビルもあって賑やかなかなと思っていましたが拍子抜けでした。
06_食堂▲ 6:27、まずは腹ごしらえです。駅前大通りにはお店が並んでいますので1番近い早飯屋にしました。定番の朝粥、肉まんと後はバイキングになっていましたので適当に取って10元(約170円)でした。

食後は宿探しです。食堂のおばさんに聞くと、駅前通りをまっすぐに街の中心部に向かって行くとこの町では1番の大きな宿、林業会館があると申されます。宿が決まらないと落ち着けません。早速に向かいました。

07_街_林業会館

▲ 駅から約10分で教えてもらった林業会館がありました。フロントで空き室を聞きますとOKです。料金も100元(約1,700円)と手ごろでしたが、インターネットがありません。興隆鎮や綏林と同じで、どうも林業会館はインターネットの設備をしないようです。
他を探してダメならもう一度来ますと言って街を歩きますが、キャリーバックを持っての移動はしんどくなりました。Taxiを止めて運転手にこの町のホテルを案内してほしいと頼みました。5軒当たって条件をクリアできたのは、さっき朝飯を食べた隣の旅館でした。

07_街_宿▲ 部屋を見せてもらいますと、中々綺麗で2階と合わせると10数室あります。清掃整頓されたシャワートイレ付の部屋は100元(約1,700円)、PCも備え付けがあって私のPCをつないでのテストをやりましたが問題なくつなげます。OKを出しました。
宿が決まればほっとします。今日も天気は最高ですので、いつもの街角散歩をすることにしました。

最初は降りたった東方紅駅です。閑散としていました。

05_東方江305_東方江5▲ この駅に発着する列車は、朝と夜に各1往復です。先ほど乗ってきた列車は折り返して、出発していました。ガランとした待合室には切符売り場だけが営業中です。開業当初は小清河と名付けられましたが1966年に東方紅に改称されています。

07_街_バスターミナル▲ 駅前通りにはバスターミナルがありました。大型バスはなく殆どが中型バスで1日24本が発車しています。バスサイズと本数をみれば町のスケールが大体分かります。ここは、典型的な小さなローカル都市です。

07_街_お店07_街_お店5
07_街_お店408_街角107_街_お店_温度
▲ 気温は22℃と暑くもなく寒くもなく、そして心地いい春風がそよぐ中、東方紅の町を散策しました。
町は、車が走っているのが疎らな割には道路幅が広く取ってありますので、ゆったりとしています。
街の北の方は小高い山が続く森林地帯です。かつては森林鉄道があったそうですが、そんな痕跡は見当たりませんでした。

07_街_お店3

 

昼食は中華風クレープといううか、野菜が入った「煎餅」を食しました。
これで6元(約100円)です。
中に挟む材料が地方によって多少違っていますが、中国のどこでも食べられる屋台のファーストフードです。

09_東方江4▲ 16:00、ホテルに戻ってHP投稿を済ませてから、明日に備えてロケハンです。
駅を発車すると大きくカーブします。先にも行ってきましたが、直線区間に入ってフカンもできませんので明日はこの辺りでの撮影と決めました。
10_夕食10_夕暮れの街▲ 18:15、東方紅の餃子は変わっているかなと思い、宿の支配人?のお姉さんに聞きますと、駅のまわりは不味いと町中の餃子屋さんを紹介してくれました。
北満は変わった餃子屋さんがあるのでどんなものかと行ってみましたが、どこにでもある水餃子でした。これでビールを入れて18元(約300円)、値段は納得です。
店を出る頃には夕暮れが近づいていました。車も人もわずかです。ゆったりとするには良い所です。今日も早目の就寝でした。  Part 19 へ続く

2013年 春の中国鉄路の旅 Part18 北満一人旅 その2 迎春駅、東方紅を歩く」への2件のフィードバック

  1. 小西兄、
    いつも楽しく拝読させて頂いております。
    質問を一つ
    貴兄が「東方江」と書かれている駅名は「東方紅」が正しくはありませんか?
    中国の国歌も「東方紅」ですし、記事中の時間表にも「東方紅」とあり、一緒に書かれている「牡丹江」とは明らかに別の文字表記です。

  2. 米手作市様、コメントをいただきまして、ありがとうございます。
    その通りです。変換する時に誤って登録していました。訂正します。

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