2013年 春の中国鉄路の旅 Part17 北満一人旅 その1 延吉から東方紅へ、「北亜号」発見!

第16、17日目 5月16日、17日
① 延吉20:55(2038次)→翌日9:06哈尔滨(ハルピン)
② 哈尔滨 翌日15:49(K7081次)→翌々日6:10東方紅

今日からいつもの一人旅です。前回今年1月では、切符が確保できず途中で断念したことを教訓にして、20日前には切符が買えるように日程を組みましたので今回は、ほぼ確保できました。
今日の目的地はロシア国境に近い東方紅です。ここへ行く確固たる理由はなく、ただ終着駅だっただけの理由で目的地に選びました。地球の〇〇方にも載っていないのでどんなところなのか分かりません。行ってみて、見てみようとのぶらり旅です。01_延吉~東方紅_地図01
02_切符2上の乗車した路線をご覧のように東方へ行くには北へ上がって牡丹江に行き、ここで乗り換えて向かうのが最短ルートです。
しかし調べますと、延吉から牡丹江までの列車は1日1本のみ、牡丹江からは2本の接続が可能ですが、それより延吉発はあまりに早過ぎます。これでは延吉にもう1泊しなければなりません。

東方に着くのもK7077次では遅すぎて宿を探すのに支障があります。K7081次となると哈尔滨始発の列車ですので、途中乗車切符が限られていて確保が難しいと思いました。
一方、遠回りにはなりますが2038次に乗車しますと、未乗車区間の拉浜線を通りますのでこちらに魅力を感じました。よって、こちらを選択しました。

哈尔滨までは530キロ、所要時間は12時間11分、哈尔滨~東方は796キロ、所要時間は14時間21分です。
乗車後は疲れていましたので、ビールを飲んで直ぐの就寝としました。

5月16日 乗車2日目
目覚めると列車は吉林の手前拉法から分岐した拉浜線へと入り耕作地が広がる大地をゆっくりと走行していました。拉浜線は昭和9(1934)年9月1日に全線開業した265.5キロの路線です。車窓は満州のどこを走っているか分からない同じ光景が続いていました。
03_孙家2哈尔滨手前の孙家(孫家)に到着しますと半数の乗車客が降りて行きました。向かいのホームでは大勢のお客がホームで入線する列車待ちです。若い人の服装はTシャツ姿もあります。車内では分かりませんが外は暑くなっているようです。03_孙家12038次哈尔滨を前にして孫家で15分の停車、次の停車駅香坊でも24分の停車をします。この区間の線路は3線もあるのですが、貨物が複線で使用しているので旅客線は単線で交換待ちのためです。
浜綏線拉浜線が交差する孫家は駅名板も複雑ですね。
01_ハルピン_地図1▲ 哈尔滨市内の鉄路路線図です。列車は孫家から左に曲がり浜綏線に入って哈尔滨へと向かいます。左下にあるのは昨年12月1日に開業した哈大旅客高速鉄道の哈尔滨西駅です。大連や北京・天津への動車(高速電車)は以前は哈尔滨発着でしたが、全て移されました。

哈尔滨の在来線には哈尔滨哈尔滨東と2つの始発駅があり、それぞれ126本と22本の列車が発車しています。この駅間はぐるりと1周できる環状線になっていて、哈尔滨東を発車した列車は哈尔滨を経由する場合は停車しますが、中には通過する列車もあります。また経由せずにそのまま終着駅へと向かう列車もありますので、哈尔滨東からの切符を買っておいて都合で哈尔滨から乗車できるだろうと思い込むとトンデモナイことになります。
列車ダイヤは最近よく不定期に変更されます。駅の掲示板に前もっては貼り出され公表はされていますが、駅にいかないと分かりません。実は今回も危ない目にあうところで、寸前に気が付きましたので事なきをえましたが、まあやってくれますね。この国の鉄路は活発化したので時刻は要注意です。
06_2628▲ 下車後に撮った行先表示ステッカーです。大きく延吉~青島(往路K1056/1053・復路1054/1055)とありますが、延吉→図們の短距離ローカル(4289)、この図們→哈尔滨(2038/2035)、その返しの哈尔滨→延吉(2036/2037)にも使われています。メイン以外の運用に使っている時は分かりにくい表示ですね。中国鉄路ではこういった例がたくさんあります。

哈尔滨へはほぼ定刻に着きました。哈尔滨に来たなら絶品のスープ入り餃子を食べたいといつもの駅前のホテル1階に入っている東方餃子王に参りました。しかし、朝は焼き餃子定食だけで肝心のスープ入り餃子は10時半からでした。
移動も面倒なので食しました後は前回見つけておいたインターネットが使えて安い(60元=約1,000円)北北大酒店に参りました。部屋に入り備え付けのPCのIPアドレスを調べて、持ち込みPCをセッティングしますが、なぜか前回同様には接続できません。店のインストラクターを呼んでみてもらいますが今回は無理でした。なぜなのでしょうか。07_国際列車時刻表諦めて道路跨線橋からの国際列車撮影に切り替えました。上海で仕入れた2012年7月号には、モスクワを出発したK20次は、中国には満洲里から入り、毎週金曜日(星五)に北京に到着すると掲載してあります。哈尔滨発車は前日木曜日12:52です。

07_ハルピン発車107_ハルピン発車_12:40、跨線橋に到着しますと丁度ディーゼル機関車と電気機関車の付け替え作業中でした。哈尔滨から満洲里はまだ未電化区間です。哈尔滨でこのように機関車が交代します。
今日の温度は26℃、そよ風が吹き心地よい春の日です。ゆっくりと待つことにしました。
07_ハルピン発車2▲ 13:00、青島行きのK704次が先に発車しました。ホームの向こうには発車待ちの機関車の付け替えが終わった列車が見えますので次かなと思っていましたが→
07_ハルピン発車3→13:17、続いて発車してきたのは、チチハル発の北京行K40次です。改めて時刻表を見ますと国際列車K20次と全く同じダイヤです。何かの都合で今日の運行は取りやめになったのか、駅で確認すべきだったと思いましたが後の祭りです。ダイヤが変わっている可能性も否定できなかったので30分間待ちましたが来ません。
08_昼食ホテルに戻ってから以前に撮った国際列車の撮影曜日を確認しますと金曜日です。中国鉄道倶楽部のHPでも確認しますとやはり金曜日です。時刻表が間違っているのです。これは初歩的な確認ミスです。ちなみに金曜日のK40次の運行はありません。

今日は朝から失敗続きです。こんな日は気を付けないといけません。早目に東方餃子王でリベンジのスープ入り餃子を食べて仕切り直しをしてから駅の軟座待合室に行って改札を待つことにしました。

09_東方江行き列車09_東方江行き列車2▲ サボですが、この列車も東方~牡丹江にも使われています。牡丹江客車区の列車です。今日の編成は、
DL+硬座8両+軟臥1両+硬臥5両の14両編成でした。

11_尚志駅牡丹江まではかつてロシアが建設した東清鉄道の1部を走ります。乗車しています浜綏線は東清鉄道全通に先立つ明治34(1901)年に開業しました。もちろん当時は1,525㎜ロシアゲージでウラジオストクと結ばれていました。そのために沿線駅舎はロシア風建築が残っています。
北満鉄路乗り鉄旅のちょっと違ったところです。
尚志(珠河)哈尔滨~牡丹江では中間にある町です。
11_尚志駅2

▼ 次の駅は一面坡です。こちらの駅舎はドイツ風でもありました。この後、列車が発車して車窓を見ていますと、こんなところに、びっくりが→12_一面城2
→ 廃車体群が放置されています。これは、「北亜号」ではありませんか!

12_一面城3

【 中国のディーゼル動車(柴油動車組) 北亜号 】
中国鉄路ではわずかであるがディーゼル動車が存在します。その殆どは両端に動力車を、中間に客車を挟んだプッシュプル式の編成です。現在、北京北から万里の長城への観光列車が有名になっていますが、一昔前には北京~天津に12両編成がL特急のごとく頻繁に走行していまして、私もよく仕事で利用していました。

上の写真は1998年12月から地方都市間を結ぶ短距離輸送用に製造されたNYJ1型で、中間に4~8両の客車を挟んで運行されました。期待された車両でしたが、動力車の故障が相次いで現在では殆どが廃車になっています。中間車は電気またはディーゼル機関車に牽引されて使用されているようですが、見たことはありません。
哈尔滨鉄道局では耐寒設備を施して1999年末から4003~4006の4編成が投入されました。そして「北亜号」と名付けられて、哈尔滨~チチハル・牡丹江・佳木斯・綏化の都市間高速列車として走り始めました。
当時の1999~2000年度版時刻表からこの区間に走っていたD列車を抜粋したのが上の表です。哈尔滨~哈尔滨東まで延長されている列車は哈尔滨に10~20分停車しているので若干平均速度が落ちますが、哈尔滨~チチハルは平均速度が110km/hを越えています。当時としては画期的なスピードです。
NYJ1型は電気式ディーゼルで両端の動力車は出力2,000kw(2両計)、最高運転速度は140km/hを誇っていました。動力車は1/3が客室になっていましたが騒音・振動が激しかったため、一般客乗車はさせず列車乗務員の休憩室になっていたようです。

この表を作成しながら思いましたが、配置4編成では運用できるのか問題です。中国の列車は予備車を置きませんので、一旦ダイヤが狂ったり故障が起きると運休の連続だったろうと容易に想像できます。酷使がたたってか動力車が不調となり、2011年には廃車になりました。わずか11年間の生涯でした。
一面坡駅構内には丁度4編成の動力車のみがありました。一般の客車より10㎝車幅の広い特徴的な中間客車はどこで使われているのでしょう。硬臥・軟座や硬座・軟座の合造車もあったと聞きますので一度乗ってみたいですね。
13_車窓
大地が眠る時間が近づいてきました。すっかりと慣れてきました軟座寝台は我が家も同然です。夜の帳が下りた後には夢列車になっていました。

Part 18 へ続く

 

2013年 春の中国鉄路の旅 Part17 北満一人旅 その1 延吉から東方紅へ、「北亜号」発見!」への2件のフィードバック

  1. ぶんしゅう様お久しぶりです団長です
    哈爾濱駅の様子とても懐かしいです
    前進の重連が次々に発車して行った南側の誇線橋が今はこんな風景なのですね
    駅北側にそびえるマンション郡も隔世の感があります。
    考えてみれば25年以上も前になってしまいました。

  2. 団長様、お久しゅうございます。コメントをいただきまして、ありがとうございます。
    私も跨線橋ではなかったですが、哈爾濱駅で前進を見ていました。その時は写真を撮っていません。こんなに早くになくなるとは思いませんでした。
    前回はCRH2、CRH5が発車するのを撮りましたが、これももう見ることができない光景になりました。やはり「また撮れるや」と思ってしまうと後で後悔が出ますね。

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