だいぶん前の、ちょっと前の、ついこないだの路面電車

乙訓の長老様が投稿されていましたが、6月8日の日に阪堺電車あびこ道にある車庫で「路面電車まつり」がありました。目的はデト11の台車でしたが、イベントの舞台に使っていたので写真撮影や詳しく調べることができませんでした。しかし、乙訓の長老様から資料や写真を提供していただいたので調べたい内容はほぼわかりました。また、ここでお会いした日本路面電車同好会関西支部の皆様にはいろいろなことを教えていただきありがとうございました。この場をかりて厚く御礼申し上げます。

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「路面電車まつり」に因んで、今までに撮った路面電車の写真を新旧おりまぜて少しばかり。まずは「だいぶん前の路面電車」から。といっても45年ぐらい前と思いますが、見ていただきたいと思います。

まずはトロリーバスと阪神北大阪線の電車から

大阪市トロリーバス-B

上の写真はいつ頃に撮ったのかわかりませんが、高校生の時だと思います。大阪のトロリーバスで大阪駅前-神崎橋の系統が廃止されたのは1969年(昭和44年)10月1日ですので、廃止が間近になったので写真を撮ったのだと思います。どうせ撮るなら阪神電車と一緒にと思っていたら、うまい具合に撮れました。しかし、天気が悪く小雨が降っていて、またガード下でしたので暗く、写真が撮れたのが不思議です。高校生で写真を撮り出して間もない頃ですので、腕が未熟でピンボケで手ブレの写真です。しかし今となっては貴重な写真となりました。

次は和歌山軌道線の写真です。撮影時期はわかりません。場所はたぶん国鉄和歌山駅前だと思います。

和歌山駅前

この時、鉄道友の会に入っていたので見学会に参加したときに撮ったものと思います。ネガをみると和歌山駅で撮った蒸気機関車と貴志川線、野上電鉄の電車の写真があります。するとこれは国鉄和歌山駅前ではないかと思います。そして、ベンチの所に立っている少年の衣服から冬ではないかと思います。この少年も今は50代のおじさんになっているでしょう。これまでは撮影時期不詳です。1970年ごろから撮影時期を記録するようにしていましたが、それ以前は大まかな時期しかわかりません。写真の記録性から考えると撮影時期と場所ははっきりとわかった方が良いにこしたことがありません。最近のデジタルカメラですと撮影時期は確実に記録され、機種によってはGPSで撮影場所まで記録されるようです。便利になったものです。

さて、次は阪神国道線です。これは阪神国道線西灘-上甲子園間が廃止となった日の前日の1974年3月16日に撮ったものです。

阪神国道線-01

写真でわかるように西灘の停留所にたくさんの人が集まっています。廃止間近になるといつの時代も同じようです。ところが、道路の状況を眺めてみると、今と違って自動車も少なく堂々とこの広い道路を横断している人がいます。そして次の写真を見てください。

 阪神国道線-02_edited-1

 こうもり傘を杖にしておばあさんが国道を渡っています。すでに電車は西灘を出発して向かって来ています。自動車もどんどん走ってきます。しかし、おばあさんはあわてるような様子もなく渡っていきます。さて、無事に渡れたのでしょうか。はい、無事に渡れました。1970年代は今と比較すれば、まだこのようなのんびりした時代であることがわかります。

もうすぐ、祇園祭です。ところで祇園祭の頃は京都市電四条線はどのようだったのでしょうか。

京都市電四条線祇園祭-01_edited-1

この写真は1971年7月15日に撮ったものです。当時、私は2回生でした。1年先輩のT氏と一緒に行った時、鉾にのぼる事ができたので、そこから撮った写真です。一人で行ったのではこのようなことができるとは知らないので、まずこの写真はなかったでしょう。そして祇園祭の雑踏の中の京都市電です。

京都市電四条線祇園祭-02_edited-1

うしろに月鉾が見え、「スナック喫茶 鉾」の看板が祇園祭の街らしさを感じます。今もこの店はあるのでしょうか。7月15日ですので宵々山です。いっしょに行った先輩曰く、「祇園祭に行くんやったら宵々山か宵々々山がええで」、しかし今ではいずれも大混雑のようです。関西の夏といえば、そうです。「鱧の湯引き」を食べないと夏ではないのです。関西は鱧が食べられてホンマにエエ。富山にいた頃は鱧を探すのに一苦労したものです。

四条線は南座の前を走っているので南座のちょうちんをいれて、市電の写真を撮りたかったのですが、なかなかいいポジションが見つかりませんでした。何とか考えた末に撮ったのが、この写真です。1972年1月21日の撮影です。

京都市電四条線-01_edited-1-1

市電と自動車が被っていますが、70年代にはこのような形の自動車が走っていたのでした。ところが、京都市電といえばまだ広島で現役で走っていることを考えると昔の電車は寿命が長いと感心する次第です。

次に「ちょっと前の路面電車」ですが、この時の路面電車はほとんど富山の路面電車です。ちょうど、富山に単身赴任していた頃です。生活しているところで身近に路面電車が見ることができるのは気持ちが落ち着くものです。では、最初はライトレールです。

ライトレール富山カナル会館

富山港線がLRTのライトレールになってから2007年11月4日に岩瀬浜駅近くのカナル会館から撮ったものです。富山港線としてディーゼル単行の写真も同じところから撮ったものがあります。列車本数が増えたので撮りやすくなりました。

富山ライトレール富山駅前-04 これは2009年1月20日の午後7時30分ごろに撮ったものです。ご覧のように全く雪がありません。昨年から今年の冬は雪が多かったようですが、雪がないと生活するには楽ですが何か物足りない感じがします。写真を撮ってから眺めていると電車が交差点を曲がりはじめた時、車体が白く輝いたのであわててカメラを構えてシャッターを切りました。ほんの一瞬のことでした。撮れているかモニターで見ると写っていたので、うれしくなってしまいました。ラッキーです。

IMG_0634 松川に架かる桜橋を渡る南富山行地鉄電車です。2009年4月11日の撮影で、松川沿いは桜の名所で満開でした。下の写真のように川の両側が桜並木になっていて、夜も大勢の花見客でにぎわいます。松川には遊覧船もいつもより多く運行されます。 満開の松川を渡る

ところでこの桜橋は1935年(昭和10年)竣工で国登録有形文化財となっています。そして、4月はチンドンコンクール、8月は富山まつりで富山市の中心部はにぎわいます。その富山まつりを見た帰りに撮った写真をがこの下の写真です。

富山地鉄桜橋 080802-01_edited-1

これも街路灯のあかりで電車が浮かび上がって、ちょっと気に入っている写真です。VVVF制御のデ8000形はLRTではありませんが、なかなかいい電車です。ところで、富山地鉄の路面電車の運転手には若い女性の方がおられます。電車の運転もしっかりされているので頼もしい限りです。

夏が過ぎて秋に、そして冬の準備になります。道路の融雪設備があるところでは噴水のテストが始まります。

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この写真は2010年11月20日に撮りました。歩道でもご覧のように勢いよく水が出るのでうまく避けて歩かなければなりません。実際に融雪として動作している時は間欠に噴出するので、いつ水が噴出するかわかりません。そして噴出する勢いも、それぞれ違うので歩くのに少しコツがいります。このようなことも雪国に住んではじめて知ったことでした。

安野屋電停前

今は新しい富山大橋ができて、複線化されたために安野屋電停での電車の行き違い待ちはなくなりました。そして、次の写真は富山大橋を渡るデ8000形です。

富山大橋を行く-1

安野屋電停の写真は2007年11月で、富山大橋の写真は2003年ごろではないかと思います。ご覧のように片側1車線で軌道は単線です。その為に渋滞が発生しやすく、また昭和10年(1935年)の竣工で老朽化のために片側2車線軌道複線とした新しい富山大橋ができました。私は完成した新しい富山大橋は知りませんが、橋が新しくなる前は地鉄のLRTサントラム(T100形)の運行はありませんでしたが、新しくなってから運行が出来るようになりました。これによって2系統運行(富山駅前-南富山、富山大学前-南富山)が2012年4月よりおこなわれています。

次はライトレール以外の富山にあるLRTの写真を少しばかり・・・ まずは富山市内の環状線を走るセントラムです。

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2010年5月15日に撮影したのですが、まだ立山連山には雪が残っています。4月ごろですと満開の桜のバックに残雪の立山連山が見ることができます。夕方になると夕日で残雪がピンクに染まり、桜のピンクと重なり富山独特の風景を見ることができます。その桜ですが春になると、セントラムの車体に描かれていました。それが下の写真です。

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こんな感じで季節ごとにデザインを変えています。これもなかなかいい感じで街を歩いていても眼を楽しませてくれます。これは2011年4月24日に撮影したもので、富山最後の春でした。

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富山城をバックに走るセントラムです。右側がANAクラウンプラザホテル富山でその向かいは富山国際会議場です。この辺りは大手町といって他に市民プラザなどがあります。全体に落ち着いた雰囲気があります。大阪のように人が多くないのでそのように感じるのではないかと思います。

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富山市立図書館を背景に走るブラックのセントラムです。そうです。富山ブラックの路面電車です。車体が真っ黒な路面電車は今までにあったのでしょうか。ひょっとしたら日本最初のブラック路面電車では?そして、次は地鉄の新しいLRTサントラム(T100形)です。最初に見たときは真ん中の車体が浮いているのでびっくりしました。これは純国産で豊橋鉄道にも同じ形式のリトルダンサー(T1000形)があり、富山地鉄はLRT導入にあったてアルナ車両製のこの形式を選択したようです。

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このサントラムは今年の2月にさらに1編成が入線して2編成の運用となりました。富山市のような規模の街では路面電車が向いているのではないでしょうか。富山に住んでいた時の感想ですが、もう少し郊外に伸びていればよいのではと思いました。とにかく、ほとんどが車通勤です。事業所が分散していることや富山独特の散居村が車通勤が多い理由なのではと思います。これらのことも含めて、富山市がこれから公共交通機関をどのように構成していくか興味深いところです。

富山には富山市以外に高岡市に万葉線が路面電車として走っています。この万葉線の写真を2枚ほど。撮影は2011年9月23日でした。

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万葉線越ノ潟は富山県営渡船連絡です。富山に住みだした当初は地図に越ノ潟フェリーと書いてあったので車が乗れると思っていましたが、行ってみると人とバイク(250cc以上はだめ)、自転車だけでした。以前は射水線でつながっていましたが、新港ができた時に分断されました。写真には巨大なチップ運搬船が通過していくのが写っています。

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上の写真に写っている橋は建設中の新湊大橋で現在は開通しています。そして、越ノ潟富山県営渡船は廃止となるはずでしたが今でも運行しているようです。最終的にはどうなるのでしょうか。

さて、富山から戻ってくると近くに路面電車が走っていないので、出かけていかなければならないのが、ちょっとつらい。しかし、大阪では阪堺電車が走っているし、京都では嵐電が走っているのですが、実はどちらも写真をあまり撮っていなかったのです。そして、ついこないだから、信貴電に関する調べものの為に梅小路公園のN電と阪堺電車を訪れ、久しぶりに路面電車を撮りました。その時の写真を少しばかり。まず、N電から・・・

 

なぜ、N電なのかというと「信貴電の不思議 村田式台車を考察する その1」でどうしても単台車の電車に乗って、乗り心地を体験してみたかったのと、実物の単台車を観察したかったためです。乗り心地は乗車時間が短かったのであまり参考にはならなかったのですが、実物の単台車を観察してわかったことがあったので全く成果がなかったのではありませんでした。来て良かったと思っています。それとやはりN電は架線がないとどうもという感じです。この後、阪堺電車を訪れています。これも何か信貴電に関するヒントがないかと思って行きました。

 

恵美須町でうまい具合に172号に乗ることができたので、旧型電車の乗り心地と音を楽しみました。阪堺線の駅はこのような旧型電車が似合うのでいい感じです。まさしくここは昭和なのであります。あびこ道で恵美須町行を見送って天王寺駅前行に乗車しましたが、これは終点まで結構混んでいました。堺方面から来たのですが、すでに多くの乗客が乗っていました。阿倍野再開発で上町線の電車も乗客が増えるのではないでしょうか。運賃が200円というのが乗りやすい感じがします。

そして、「路面電車まつり」で撮った写真から2枚を・・・

人が多かったのと、普通に撮っては面白くないのでこんな写真を撮ってみました。ヘッドライトとテールライトが懐かしいです。子供の頃の電車はこれが普通にありました。2枚目の写真は実際は電車の前面に立入禁止の黄色いテープとポールがありましたが、デジタル画像処理で消したものです。撮影時にテープやポールを取って撮影はしていません。誤解のないように。

さて、最後のほんとについこのあいだ撮った阪堺電車です。

IMG_3821 ハルカスの通路から上町線の電車を撮りました。この電車は一見すると車体の色がブラックのようですが、よく見ると群青色(ぐんじょういろ・・最近あまり聞かなくなった色の名称ですが)というか色の濃い紺色または藍色のようでした。透明なガラスのフェンスに通行している人が宙に浮いているように映ってシュールな面白い写真になりました。

さて、今度はどこで写真を撮ってみようか?

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