【続々々々26号】にこだわる 投稿日時: 2014年1月16日 投稿者: 乙訓の老人 新年早々【26】にこだわる話が出てきたのは往年のBOXを思い出す会員もいらっしゃると思う。老人も加わってみる。表紙となった京阪26号は、ピク695号82頁の写真が基となったかな?同じものを探すのは失礼だから、ある日、真横から撮ってやれと向かったのが四宮ー追分間の擁壁からである。レリーズが合わず少しスカタンとなったのは許されたい。そしてマキシマムトラックションも話題となったので20型のもの出しておく。 どっこい、秋田市電にもあったぞ 犬伏君、26+27とならずでごめんなさい。太秦広隆寺のこれしか見つけられず。 この記事を共有:TwitterFacebook印刷 関連 関連記事: ◆ た~ちゃんの電車めぐり ⑯ 天然色写真で巡る40年前の九州 (9)
乙訓の長老様 「26」の画像、有難うございます。 京津線の26tが四ノ宮に向かって軽快に坂を下っているシーンは懐かしいです。 「びわこ」は電制を掛けながら坂を駆け下りて行きました。 マキシマムトラクションの背後に元愛宕山電鉄の電車がさりげなく写っているのも素晴らしいです。 秋田市電の26は、旭川電気軌道の市内線から来た車両ですね。 市内線は昭和31年に早々と廃止されましたが、郊外線は47年まで運行されていましたので、我々団塊世代でも撮影できました。 もし廃止されていなければ、今話題の旭山動物園のアクセス路線として活用できたと思います。 返信 ↓
乙訓の長老様 嵐電モボ27とモボ26の2連の写真ありがとうございます。よく出来たレトロデザインの車両で2連となればより良いです。機会を見てぜひお目にかかりたいと思っています。茶色に金色と銀色の装飾帯の違いだけかと思っていましたが この写真を見させていただくと茶色の色合いも少し違うように見えますがいかがなものでしょうか? なおこのモボ21型26,27号車は基本的にはモボ621型の中に入り、625号車の続き番号で626、627号車となるところレトロデザインの車両となったため二桁の26、27号車となったそうです。 INUBUSE 返信 ↓
26+27の編成を西大路三条交差点で撮った覚えがあるのですが、L判入れの箱を3度点検したのですが探し当てられずとなりました。フィルムは残っておりますので、いずれプリントに出してみます。ただしフィルムは1995年のコダックR400ですから、どんな発色になるやら?です。 昨日1959年のNEOPAN SSを出してみてびっくり。ふるさと通信員氏から予告を受けてはいたのですが、日高昆布のみならず、全面にきび面となっており、再度衝撃を受けました。5年前に伊豆箱根鉄道大雄山線撮影に行ったのですが、富士フィルムの煙突を見付け、思わず電車を降りて煙突方向に向かい、田圃から「馬鹿やろう!」と怒鳴り、憂さを晴らして来ました。 返信 ↓
乙訓の長老様
「26」の画像、有難うございます。
京津線の26tが四ノ宮に向かって軽快に坂を下っているシーンは懐かしいです。
「びわこ」は電制を掛けながら坂を駆け下りて行きました。
マキシマムトラクションの背後に元愛宕山電鉄の電車がさりげなく写っているのも素晴らしいです。
秋田市電の26は、旭川電気軌道の市内線から来た車両ですね。
市内線は昭和31年に早々と廃止されましたが、郊外線は47年まで運行されていましたので、我々団塊世代でも撮影できました。
もし廃止されていなければ、今話題の旭山動物園のアクセス路線として活用できたと思います。
乙訓の長老様
嵐電モボ27とモボ26の2連の写真ありがとうございます。よく出来たレトロデザインの車両で2連となればより良いです。機会を見てぜひお目にかかりたいと思っています。茶色に金色と銀色の装飾帯の違いだけかと思っていましたが この写真を見させていただくと茶色の色合いも少し違うように見えますがいかがなものでしょうか?
なおこのモボ21型26,27号車は基本的にはモボ621型の中に入り、625号車の続き番号で626、627号車となるところレトロデザインの車両となったため二桁の26、27号車となったそうです。
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26+27の編成を西大路三条交差点で撮った覚えがあるのですが、L判入れの箱を3度点検したのですが探し当てられずとなりました。フィルムは残っておりますので、いずれプリントに出してみます。ただしフィルムは1995年のコダックR400ですから、どんな発色になるやら?です。
昨日1959年のNEOPAN SSを出してみてびっくり。ふるさと通信員氏から予告を受けてはいたのですが、日高昆布のみならず、全面にきび面となっており、再度衝撃を受けました。5年前に伊豆箱根鉄道大雄山線撮影に行ったのですが、富士フィルムの煙突を見付け、思わず電車を降りて煙突方向に向かい、田圃から「馬鹿やろう!」と怒鳴り、憂さを晴らして来ました。