先日発売された「とれいん」6月号のトップに、さきごろ釜石線「SL銀河」牽引用として、動態復元されたJR東日本のC58239の現役時代の写真が掲載されている。これら3点の写真は、ことし4月21日付けの当掲示板でも発表された、我らがクローバー会のtsurukameさん、奥山さんの撮影によるものである。詳しい内容は、その記事を見ていただくとして、Tsurukameさんの写真は、雪の山田線区界で貨物列車を牽く同機で、なんとカラー写真で撮られている。奥山さんの同機は、盛岡機関区で撮られたもので、独特の郡山工場式集煙装置の構造がよく分かる角度で撮られ、宮古機関区所属を示す「宮」の区名板も輝いている。いずれも昭和42年の撮影だが、両者は別の日に、それぞれが東北巡りの途中に撮影されたものである。
いかにして同誌に発表されたのか、その謎を解明すべく、私は大江戸線某駅より徒歩8分の編集部へ向かい、旧知の編集部Mさんから聞き取りを行なった。
▲誰も撮っていなかった現役時代のC58239の写真が掲載された。“写真発見!”と「!」つきでサブタイトルが付けられているように、その感激ぶりが伝わってくる。
C58239「SL銀河」運転の記事は、各鉄道雑誌ではトップ記事として大々的に掲載された。現役時代の同機の写真も各誌とも探索したが、発掘できなかったと言う。なんせ、当時の宮古と言えば、交通不便な土地、しかも、当時は至るところで見られたC58にあえて食指を動かす、もの好きな?人間は居なかった。宮古機関区のC58配属は16両もあったから、あえて行ったとしても、239号に遭遇する確率は低い。地元、東北のファン、また比較的行きやすかった東京のファンからも、撮影者は見つけられなかったと言う。私も万が一と思い探してみたものの、全く撮っていないことがすぐ判明した。
Mさんもなかば諦めていたところ、デジ青記事で同機のことを発見、“世紀のスクープ”となった。タイムリーにデジ青掲載されたTsurukameさんと、毎日デジ青を回覧されているMさんの慧眼が見事に一致した結果である。撮られたお二人も、同機が約50年後に動態運転で復活するとは、夢思われなかったことだろうが、関西から遠路はるばる山田線へ行かれ、C58239を撮られたtsurukameさん、奥山さんには、深い敬意を表するものである。
“西の方角に足を向けて寝られません”と、クローバー会との密接な関係?を吐露されたMさんは、当掲示板を毎日見られてチェックされている。実に細かいところまでよくご存じで、当代一の編集者がご覧になっているとは、心の引き締まる思いだ。でも、肩の力を抜いて、気負うこともなく、高頻度で更新していくことが肝要だと内心誓い、新宿のネオン街に繰り出す二人であった。
総本家青信号特派員様
記事のご紹介をありがとうございます。M編集長をはじめ意外な反響に、実は驚いている次第です。C58239のカラーは元々、拙著HPの山田線の項に2~3年前から掲載していたものでした。同機復元の話は聞いていて、完成時にデジ青投稿は考えていました。雑誌に投稿など全く考えてもいませんでした。そして完成時、「そうそう奥山さんにも撮影記録がないか」と思い立ち探しました。
ところが奥山さんのアルバムC58グループにはありません。逆に「撮影年月・場所不明」の項に偶然見つけました。サービスサイズの写真ですが、さて、ネガのどこにそのコマがあるか判らない。見当をつけて、他人のネガを探すこと数日、やっと北海道帰りに盛岡機関区に立ち寄った中に見つけデジ青に投稿した次第です。
そして2,3日後、先のM編集長からMail到着。「至急送られたし」とのこと。写真屋で焼いたキャビネ版を送ったのだが、銀塩写真にしては黒度も足りずどうかと思ったポジ。デジ青の画像にあった後部が切れているとのことで、M編集長から今度はネガの再送要請。慌てて夜間に、近所のクロネコに飛び込みネガを届けた次第。1か月後届けられたトレイン6月号には、黒色豊か、後部は切れずバッチしの写真印刷。
他方、デジ青のC58239、コメント無く、いつもの賑わいはなし。だが、一流のM編集長の目には留まった。特派員さんが表現する様に、デジ青の実に細かいことまでご覧になり、なおかつ記憶されている。筆者の母が亡くなり、かつパソコンの使い過ぎで右手がおかしく、左手マウス使用などを記憶されていて、お見舞いのMailまで頂く次第。営業活動も超一流です。
撮影当時、吹雪の前夜は区界駅の待合室でステーションホテル。明くる日、時折の吹雪の中、偶然に出会った機関車、半世紀後に復元動態保存や、雑誌に写真が掲載されるなんて、勿論のこと思いもしませんでした。只、記録ノートには、C58239【宮】と今でも明瞭です。
そのC58239、綺麗な軽量客車を曳き、古い建設歴史を持つ釜石線を、仙人峠を、たこトンネルを昇り降りするのですね。拙著HP釜石線には建設歴史、鬼が沢のトラスト橋梁の話、たこトンネルの図版などを掲載しています。図版は元釜石市長・菊池弘さんの「走れ銀河鉄道(実録釜石線物語)」(岩手新聞社刊行)という単行本から、岩手新聞社の許可を得て掲載したものです。
「銀河鉄道」の表現は、JRよりも先に、宮沢賢治の次に菊池さんが使用されたようです。
滝沢村に住む中学、高校での同級生から「わが町に保存されているSLが復活する、との文面で年賀状が来たのは昨年のことであった。2月に越生を訪ねた後、在京の諸氏と渋谷の王将で生中で乾杯後にこの話を持ち出したところ、準特急氏からそれは滝沢ではなく盛岡のC58であろうと教えてもらった。その後、新聞では大阪の鉄工所でボイラー再生工事のため送られて来たことが報じられ、C58ファンは胸をときめかせていると思った。実は老人もC59に次いでC58が好きなのである。洗練されたスタイルはC57以上だと思っている。物心ついたときに土讃線で急坂に挑み川沿いを軽やかに走る列車で土佐へ往復したことはこの世の思い出である。梅小路に保存される事になったC58の経歴等知る由もない老人だが、保津川沿いを走るなら1度乗ってみたいと思っていたが、復帰後の本線上の命は短く今後どうなるのでしょうか?
滝沢市民になった同級生とは高校学年同窓会で6月28日に3年ぶりに会うことになる。