関 三平氏は大の近鉄ファンと思われる。
今まで登場した近鉄の電車は、モ2303、モ1→モ200、モ6800ラビットカー、モ5201、モ6601、モ5805、10100系ビスタカー、そして今回の6201系、次のモ5621形、奈良電のクハボ600とデハボ1200を加えると11形式に及ぶ。
特に興味深いのは、南大阪線が4形式あり、近鉄の中でも南大阪線がお好みなのであろう。近々モ5821形「かもしか号」が登場するかも知れない。
元伊勢電の車両は今回が初めてで、関 三平氏の解説の通り、昭和3~4年にかけて、M車2両(改番後のモ二6201、6202)、T車6両(改番後のク6251~6253→サ6251~6253、ク6261~6263→サ6261~6263)新製され、イラストの通り窓上にはアーチ形の飾り欄間が設置され、ステンドグラスがはめられていた。
車内はロングシートながら扉横の柱の上部に彫刻がされている等凝った作りであったが、欄間は戦後鉄板張りになり、車体更新時になくなってしまった。
モ二6201形
昭和3年12月日本車輌製で、制御器の相違から当初形式はデハ二201形とデハ二211形に分けられていた。7年に記号を変更してモハ二になり、16年3月関西急行成立時の改番で実質的に同じであることからモニ6201形に統一され、モハ二201がモ二6201、モ二211がモハ二6202に改番された。
昭和34年名古屋線改軌時に改軌されたようであるが、36年に伊賀線に転属となり、主力車として活躍した。49年6200番代を南大阪線の新型車に譲ったため、モニ5201形に改番されたが52年3月廃車になった。
モニ6201/上:(48-4-8)下:(46-1-24) 上野市
伊勢電の電動車は乗務員室扉がないのが特徴であった。上の場合は荷物室扉から出入りすればよいが、下の場合は客室扉から出入りしなければならず不便であったと思われる。
モニ6202/(48-4-8) 上野市
ク6451形→サ6451形
昭和3年8月日本車輌でハ451形付随車として3両新製された。上り側には乗務員室扉が設置されており、翌年には制御車化されクハ451形(451~453)となり、関西急行成立時の改番でク6451形(6451~6453)となった。
戦後は昭和32年に座席の扉間転換クロスシート化、34年広軌化に伴う新製台車(日本車輌製ND-8)に履き替え、車体更新と運転台撤去による付随車化が実施され、その際サ6453は両開き扉になった。
サ6451/(43-4-29) 冨吉検車区
サ6452/(43-4-29) 冨吉検車区
サ6453/(41-11-28) 米野検車区 撮影はINUBUSE氏
ク6461形→サ6461形
昭和4年5月日本車輌でハ461形制御車として3両新製され、直ぐにクハ461形(461~463)となり、関西急行成立時の改番でク6461形(6461~6463)となった。
以降の経過はク6451形とほぼ同様である。
ク6461形時代の画像を貼り付けた。
ク6461/ (40-5-25) 四日市
ク6462/(41-11-28) 米野検車区 撮影はINUBUSE氏
車体更新前で窓上の飾り欄間の痕跡が残っている貴重な写真である。