新年は雪を求めて叡電へ

クローバー会の皆さま、またデジタル元祖青信号の読者の皆さまに、新年のご祝詞を申し上げます。私こと、昨年後半からは、本欄とはご無沙汰が続いていましたが、忘れ去られないうちにと新年早々の投稿と相成りました。60何回も正月を経験していると、月日が変わっただけで、何の行事もせずに無為に過ごす正月ですが、気持ちのなかには新たなものがあるようです。
そんなことを思い巡らせていると、京都は、正月早々から雪となりました。見る見るうちに雪は深くなり、数十年ぶりとかの16センチの積雪となりました。この時ばかりは、家に引きこもりの毎日から決別し、早朝からの外出となりました。行き先は、雪の多さに惹かれて叡電にしました。写真に添えて、ご無沙汰の本欄へ新年第一号としました。

syo150102_037雪は結局、元日の晩には止んだものの、冷え込んだ分、溶けずにそのまま2日の朝を迎えた。手にしたのは叡電一日乗車券「ええきっぷ」、これで主要駅に下車することにする。
最初は定番の八瀬比叡山口、雪の日も、桜の日も、紅葉の日も、数年前から懲りずに通っている。ドーム屋根を通して見る入線・発車のシーンは、いつ来ても惹かれるものがある。今回は、反対側から駅舎をバックに発車する姿も写してみた。723号に付けられたヘッドマークは、テレビアニメ「有頂天家族」のキャラクター電車の終了を記念したもの。
八瀬の駅前は、遊園地、博覧会場、プール、リゾートホテルと、時代、時代でその姿を変えてきた。子どもの頃からよく行った、思い出と重ね合わせていた。

syo150102_086つぎは、三宅八幡駅、朱塗りの駅ホーム・待合所が、雪によく映えている。よく見ると、下りホーム横には南天の実もたくさんある。三宅八幡にも思い出がある。鞍馬線八幡前駅近くの高校への通学は、出町柳8時2分発の鞍馬行きが遅刻せずに登校できる最終だった。ところが市電がよく遅れ、しょっちゅう電車に乗り遅れた。そうなると、最後の手段、出町柳8時5分発の八瀬行きに乗って三宅八幡で下車する。ただし、三宅八幡に降りるや高校まで全力疾走しなければ間に合わない。そんな高校時代、息も絶え絶えに走った駅前を通って、撮影地へ向かった。syo150102_126宝ケ池で乗り換え、鞍馬線市原へ。ここは下車10秒で鉄橋そばの撮影地へ行くことができる。少し降りると歩行者用の橋があって、やや見上げることになるが、「こもれび」号を撮ってみた。橋の欄干に積もった雪を計測すると、ちょうど30センチだった。syo150102_159貴船口は、外国人も含めて雪見物の観光客があふれていた。陽が差し込んで、山全体が輝いていて、通り過ぎた「きらら」のカラーが、よく映えていた。鞍馬街道が拡幅されて、以前より撮りやすくなった。

syo150102_180最後は鞍馬へ。終点まで来たのは、相当に久しぶり。以前は鄙びた駅前だったが、駅に移動店舗があったり、叡電グッズが置かれていたりで、駅内外が賑やかになっている。到着した「きらら」には、京阪特急のハトマークに叡電と書かれたステッカーが貼られている。これは出町柳までの鴨東線が開業し、京阪と叡電が結ばれてから25年を記念したもの。
そうか、鴨東線開業からそれだけ経過したか。開業の日に大西顧問にばったり会ったのが、顧問との最後の出会いとなった。そう言えば、叡電600形が無くなる時、メンバーで撮影にも行ったなぁ。その時も亡くなった澤村さんと一緒に行ったのが、元気だった姿を見た最後だったような気がする。叡電の思い出と重ねて、まだ若かった頃の思い出や、天国へ召された方のことを思う、正月早々であった。

新年は雪を求めて叡電へ」への8件のフィードバック

  1. 罰当たりの老人は北近畿タンゴ鉄道に背を向け、「蟹退治」の為に元旦正午にして息子が運転するワンボックスカーで網野へ向け出発した。京都縦貫道路は快晴の沓掛ⅠTを順調に入れたが、園部を前にして吹雪となってしまった。須知の山形屋でトイレ休憩と昼食にそば一杯の後に再び吹雪に挑戦、走行速度は30/PMとなるが和知を前にして再び縦貫道路となり4~50/PMで綾部上林のトンネルを出たところで前方に低速車ありで20/PMにダウン。綾部インターを前にして低速車を追い抜き、由良川PAでトイレ休憩。この頃吹雪はきつくなる。やっとこさ宮津橋立インター到着が15時前。予定では網野町内に到着の筈だった。前途、与謝ⅠTまでが先行開通となっており、しめしめと先行車にくっついてみたがゲートは1ヶ所のみ可動、それも手動とあらばでるまで15分かかってしまった。それから順調に野田川町石川なる交差点まで順調であったが、渡っても前に進まず。対向車は1群5~15台ぐらい列をなしてくるが、こちとらは動かずで、30分ばかりポカーン。4時を過ぎた頃やっと水戸谷交差点に向けポツリポツリ。北近畿タンゴ鉄道との交差(高い橋梁)点過ぎたところで対向車線のパトカー3台と出会う。息子が「なんかあったな、事後処理済んで引き上げやな」とつぶやく。鉄道と平行する地点から少し大宮よりのところで樹木整理する作業員とトラックが見えた。「倒木と雪すべりや、たいした事なしで樹木と竹を整理している。これでだいじょうぶやろ!」と、老人が言った時に時計を見たら17時15分。以後は小ぶりとなった国道を慎重なハンドル捌きで、18時35分に「蟹捌きの場に到着した。翌2日はアホみたいに快晴であった。
    電車で行こう!と提案したが、1発で拒否されてしまった。因みに宿は5月に予約したそうで、当家の蟹きちがいは11月23、24日にもキャンセルが入ったと通報を受け、友人を誘い、当家の孫とそのお母さんの4人だ老人を留守番役において「蟹退治」行くぐらい蟹好きである。

  2. 総本家青信号特派員様
    あけましておめでとうございます。テレビを見てましたら元日の京都の雪が報じられていました。そうですか、忙しい中で出かけられた気持ちよく分かります。特に都会の雪は直ぐ止んでしまうので、木々に綿帽子がある時までに出かける必要があると思います。新年早々美しい写真を有難うございます。また、鬼籍に入られた方々の思い出もジーンとくるものがありました。

  3. 特派員殿
    新年早々すばらしい写真をありがとうございます。叡電で北に向かうほど雪が多くなってゆく様子をなつかしく思い出しました。私は出町柳発7:54の岩倉行2連が普段の通学電車で 遅れると8:02発(確か500型2連)はたまに乗っていました。3年間で8:05発で三宅八幡から走ったのは数えるほどだったように思います。冬の話ではありませんが、春にはよくストライキがあって何日も電車が走らず、伏見から自転車で岩倉まで行ったこともありました。叡電には数多くの思い出があります。久しく鞍馬まで乗っていないので 今年は是非訪ねてみたいと思います。

  4. 乙訓の老人さま
    新年早々、長文のレポートありがとうございました。老人ファミリーの蟹好きは、かねてから聞き及んでいましたが、豪雪をものともせず、網野へ向けて敢然と向かわれる勇猛な御姿に“さすが”の思いを抱きました。電車という選択肢もあったとのことですが、乙訓地区からは高速の開通でホントに便利になりました。いくら電車好きでも、一発拒否はよく理解できました。

    準特急さま
    暖かいコメント、ありがとうございます。前日夜に雪が舞い始めると、もうソワソワするのは、小さい頃からの習性です。翌朝、早起きすると、かなりの積雪、急いでカメラを用意し駅へ急ぎます。こんな経験が、60歳台後半になったいまも刷り込まれています。鉄道写真を撮る動機とは、少年時代のワクワク感を今も持ち続けることだと、雪が降るたびに思います。

    西村さま
    高校時代の思い出を懐かしく語っていただき、ありがとうございます。叡電は、時代時代、各駅各様の思い出がありますが、やはり高校3年間、叡電に乗った時代がいちばん思い出に残ります。
    通学電車は、確かお書きの7:54岩倉行き、7:59鞍馬行き、8:02岩倉行きがありました。8:02は500形2連でしたね。500形が鞍馬線岩倉まで入線するのは、定期ではこの一本だけではなかったでしょうか。ストもよくありましたね。私は、市電で高野橋あたりまで行って、そこから歩いたように思います。ストの日数分だけ、あとで定期券を延長してもらうと、何かトクした気分になったりしたものでした。

    • 特派員様

      新年明けましておめでとうございます。今年もよろしくお願いいたします。

      正月に拙宅の周りにも多くの積雪がありまして、玄関を開けるなり外出の意欲は失せ、4日間炬燵猫してました。特派員さんは本当にお元気なんですね。

      叡電の雪景色と西村さんのコメントに岩倉の高校を懐かしく思い出しています。私は7時59分発岩倉行に乗車してました。1年生の頃は、8時02分発鞍馬行にデナ1形が使われておりました。

      電制のないデナ1形がどうして鞍馬まで?
      遅刻を覚悟して岩倉まで乗車したところ、先行の59分発がホーム先端に停車しており、02分発の乗客の乗り換えを待って鞍馬行になって発車していきました。疑問氷解。

      02分発に乗り遅れることも屡々、22番の市電が遅れるからです。この系統は錦林車庫発丸太町通から円町右折北行、22番となって白梅町から錦林車庫に戻ります。で、次の八瀬行きには乗らず駅前からタクシー通学です。常連が多くいましたので。たまに白ナンバー車が拾ってくれます。教頭先生です!

      私は、叡電がストの時は勿論学校を休みました。不真面目だったんですね。

      高校時代を甦らせていただける写真とコメントを掲示していただきありがとうございました。少し暖かくなれば叡電沿線を散策してみます。
      しかし岩倉の高校は、小中高と併設したため建て替えられ当時の面影は全く無く、二度と行きたくない場所です。

  5. コメント投稿の皆様、読者の皆様、新年おめでとうございます。本年もよろしくお願い申し上げます。初春の投稿者・読者の片隅に加えて頂きたく思いました。

    『半世紀前』シリーズ、中央線、御殿場線、伯備線、宮津線に続き、今年は電車もUPしましょう。叡電、山陽電軌、鹿児島市、熊本市、熊本電鉄、長崎電軌、大分交通別大線、京都市(カラー)、神戸市など。只、これらフィルムの痛みが激しく、修復に時間が懸かるものもあります。

    さて、昨年末から新年5日まで、関東地方に遠出をして参りました。長女の住まいの茨城県笠間市友部、次女の住まいの千葉県柏市でした。この間、常磐線、水戸線、関東鉄道常総線、TX線、東武野田線を利用し、時間を見つけて、ひたちなか海浜鉄道、鹿島臨海鉄道、真岡鉄道の三線をチラッと観て来ました。大宮の鉄道博物館にも行って来ました。

    1.常磐線:スーパーおよびフレッシュひたちの車両は、3年ほど前から入れ替わり、昔の
    ピンク、みどり、ブルー等子供に人気の車両はすっかり無くなっていました。そしてこ
    の3月から上野-東京ラインが完成し、常磐線特急列車は、品川発となるそうです。

     ただ、特急の自由席がなくなり、新たな制度になるとかで、利用者である親戚は戸惑っ
     ていました。茨城県知事もJRに意見、少し価格が下がったとか、かんとか。関東地方の
     方々の今後のニュースなど掲示板を楽しみにしています。 
     また、今夏の高校野球地方大会応援時の利用が品川発となり楽しめそうです。

     上野発の特別快速電車を、初めて利用する機会がありました。柏まで23分、松戸で快速
     を追い越し、これは速く感じました。土浦までの特別快速が水戸辺りまで伸びて、しか
     も通勤時間帯に走れば、特急に乗らなくとも済むが、通勤時間帯の線路状況では無理で
     すね。

    2.水戸線、関東鉄道、東武野田線は2年前と変わらず。TX線の開通で昔の勤務先工場は移
     転したのですが、高架上を120km超のスピードで走るものだから、その地の確認は、
     柏市の元の住居同様全く確認できずでした。

    3.ひたちなか海浜は撮影しましたので後日掲示板に。鹿島臨海鉄道、真岡鉄道は2年前、
     昨夏と変わらず元気な様子でした。以上関東お上りさんの報告でした。

  6. 孫を授かって以来、向日神社の初詣は欠かしたことがないのに今年は「蟹退治で」で失礼した。
    3日そのたたりか肩と首筋が痛くて一日布団の中で過ごした。5日の朝にやっと元近くになった。お詫びのお参りにと「八幡宮」に午後行くことにした。快晴でポカポカ陽気だ。13:24発田舎バスで出発。長岡京駅で13:35発の淀行きに接続する。競馬目当ての乗客は午前中のバスで渡河したようで、14人の乗客中、買い物客らしいおばさんが8人占めている。11:52発中之島行き普通に乗車、淀車庫を見ているうちに「くずはモール」へ先に行って八幡さんは帰りにすることに予定変更とした。先日、元小林副会長から「3000は南館の1階奥ですと連絡をいただいており、本来は直行する筈が元職の商売気が出てしまい、正面からモール見学を兼ねてぶらぶらと南館に移動する。1階の東隅、模型売り場の隣に3505号は安置されていた。とても手入れが行き届いており嬉しくなった。皆さん、行ってやってください。途中下車で一時間あればゆっくり見られます。大津線の古い、始めて見る写真も展示されています。運転体験?もできます。詳しくは京阪電車のホームページを見てください。
    見学後、パンフを2部手にしたことに気付き、そうだ「ぷるぷる」君にパンフを見せてやろうとおもい駅ホームに急いで向った。やってきた特急は15時40分ごろ出町柳到着となるから、お寺のくぐり戸は16時までに潜れると、ゆっくりクロスシートに背を伸ばすことが出来た。正月は花でなく「しきみ」が準備されており、それを1把手にとり、墓の前ではパンフ両面を広げ単称10念を唱え2015年の幕開けとした。向日神社には松の内に首筋でお願いをしてくることにしよう。

  7. 皆さまからたくさんのコメントを頂戴し、ありがとうございます。

    今出川浄福寺さま
    よく雪が降りましたね。今日も今出川浄福寺さまの御宅の周囲を歩いておりますと、日陰には、まだ雪が残っていました。若き日の叡電の思い出で、私の文で間違いがありました。出町柳7:59鞍馬行き、8:02岩倉行きと書きましたが、今出川浄福寺さまがお書きのように、行先は逆でした。岩倉に先着した電車が、後続の500形鞍馬行きの客を乗せ替え、鞍馬行きとなって出発した訳ですね。デナ1形が使われていたとは知りませんでした。貴重な証言、ありがとうございます。
    話は変わりますが、私は昨年末に地元の某新聞に、京都タワー50周年にちなみ、高校生の頃の思い出を寄せたのですが、話の内容は、今出川浄福寺さまにお借りした望遠レンズに端を発しています。その時のご厚意に感謝しています。

    tsurukameさま
    新春早々の常磐線沿線のニュース、ありがとうございます。いよいよ乗り入れが始まるのですね。関西に住んでいると、ピンと来ませんが、常磐線沿線では期待値が大きいようですね。私も昨秋、常磐線を現在の開通区間の竜田から南下してきましたが、各駅のポスターや垂れ幕で、その期待を感じました。でも、以前は、蒸機が東京、品川へ乗り入れしていたのですから、元に戻った、と言うことでしょうか。
    「半世紀前」シリーズ、楽しみにしています。私も50年前の写真を時々載せています。昨年は、あまり載せられませんでしたが、考えたら、これから、ずっと半世紀前は続けられます。細く長く続けてきた者の特権ですね。ゆっくり進めていくことにします。

    乙訓の老人さま
    孫の話に始まり、初詣、田舎バス、くずはモール、ぷるぶるさんの墓参と、話題豊富なコメントを頂戴し、ありがとうございました。叡電を撮っていますと、スニーカーで雪の中を撮りに来た高校生風が来ました。彼も京阪ファンで、くずはモールの燦然広場は面白いと言っておりました。橋を渡るバスの開通で、八幡さん、くずはモールがずいぶん近くなりました。

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