先に会員の皆様にもご案内しました飯山線狂化合宿が大雪の中催行されました。最後に飯山線の強化合宿があったのは1972年、それから43年ぶりと言うことで鹿渡館がどうなっているのか、指定旅館の看板はまだあるのか等調査してまいりました。但し、鉄の方は飯山線のSLはとうの昔になくなって、DCの単行が走るだけであまり面白いものはなく、最後の「はくたか」を撮るのが唯一鉄らしいところかもしれません。
合宿にはせ参じたのは、米手作市さん、桂正雀さん、準特急さん、マルーンさん、‘どですかでん’さんと私の6名、但し、皆様の目的、現地への足取りは様々で、私と準特急さん、‘どですかでん’さんは上野発8:39発快速アーバンで各駅停車の旅となりました。この日は信越地方大雪の予報で、東京では快晴の天気が渋川を越えるあたりから雪が見え始め、水上では1.5mの雪に埋もれていました。越後岩沢の駅を見に行くというお二人と別れて、私は大沢で下車、このあたりも2mを超える雪が積もっていたでしょうか、線路の両側は高い雪の壁で列車が見えません。仕方なく駅撮りとなり早々に六日町に移動しました。
↑大沢駅を通過する「はくたか9号」
↑六日町駅を通過する「はくたか14号」
六日町から乗ったほくほく線の普通列車で、‘MAXとき’でこられたマルーンさんとお会いしましたが、私は次の魚沼丘陵で下車、マルーンさんはそのまま十日町に向われました。
魚沼丘陵は‘どですかでん’さん御推薦の場所で、トンネルや高架の多いほくほく線では珍しい築堤の上を走るところです。雪の中、駅から10分ほどのところで田んぼだったと思われる場所で雪の山を発見、多分手前の道路の除雪した雪をここに捨てているのでしょう。5mくらいの雪山を登ると築堤が見渡せます。場所を決め待つこと20分だんだんと雪が激しくなり、ほとんど視界が利かない中「はくたか」は静かに通り過ぎて行きました。
↑魚沼丘陵付近、ほとんどホワイトアウト状態の「はくたか15号」
十日町で、先行されたマルーンさんと、大阪から「サンダーバード」、「はくたか」と乗り継いでこられた米手作市さん、桂正雀さんと合流し、いよいよ越後鹿渡とむかいました。越後鹿渡は昔は島式ホームに貨物用側線まであったとのことですが、今は1線だけで、こぎれいにはなっていますが何の施設もない待合室だけの駅舎になっています。
↑越後鹿渡駅
↑駅から鹿渡館への道はこんな状態です
道の両側は除雪された雪が壁になっていてその間を通って鹿渡館へ、お目当ての玄関の‘同志社大学鉄道同好会指定’の看板は確かにありました。但し、看板の並びは以前と変わっていて、一番下から一番上へと昇格していました。
↑鹿渡館到着
↑看板はちゃんとありました。
50年の風雪に耐えた看板で、それなりの費用もかかったのではと思いますが、いったいどんな経緯で作られたのでしょうか。今回のメンバーの方も御存じなく、どなたか知っている方おられましたら御一報ください。建物の外観、内部は昔のままのようですが、記憶がはっきりしません。但し、玄関の右手の不思議な斜面の廊下は確かに見覚えがありました。
↑この傾斜のついた廊下を覚えてられるでしょうか。
準特急さんと‘どですかでん’さんの到着を待って食事になりました。宴会は40数年前と同様盛り上がり、気がついたら11時になっていました。外では雷が鳴っています。私が1972年に行った時も夜に雷がなって雨から雪に変わって、朝はラッセル車が走ったと記録に残っていましたが、幸い今回は夜に大雪にならず朝を迎えました。
翌日は全員8:47の列車に乗車、45年前に上境のお墓の上で雪合戦をして今回、お詫びに行くといわれていた‘どですかでん’さんは、大雪でその場所がわからず、お墓参りを断念して長野に向かわれました。この後、準特急さんは豊野で降りて信越線に行かれた後長電撮影、松本から「あずさ」で帰られ、米手作市さんと、桂正雀さんは長野電鉄の乗り鉄の後「しなの」前方の展望を楽しまれ、在来線で大阪へ、マルーンさんは大阪行きの「しなの」を乗りとおされ、どですかでんさんは姥捨から松本へ行きさらに1泊、私は須坂のトレインギャラリーNAGANOに行った後、小布施で長電の撮影と各自思い思いの行動で帰途につきました。
ところで帰った翌日、津南町で雪崩が発生、旅館が半壊したとのニュースが入ってきました。渓泉荘というこの旅館は同じ辰之口温泉で鹿渡館から歩いて5分ほどのところにあります。やはり、豪雪地帯の厳しい現実、雪合戦は少しひんしゅくものでしょうか、今回雪合戦はありませんでした。
この日の津南町の積雪は3m41cmでした。
出発の朝旅館の前で記念撮影→
大津の86様 なによりも皆さん無事に帰還できてよかったです。私がすすめた魚沼丘陵はすごいことになっていたのですね。しかし、もう豪雪地帯を走るはくたかは撮影できないのでこれは貴重な写真になるでしょう。あらためて写真を見てみるとたいへんな豪雪地帯ということがわかるし、長野で別れて姨捨に行ったのですが、ここで除雪されている方の話によると今年は例年になく雪が多いと言っておられました。山を越えて松本に着くといい天気でした。午後から松本電鉄に載ってきましたが、なかなか良かったです。いろいろあったので投稿したいのですが、先行列車の「備後備中に消えた鉄道を訪ねて」号がとんでもなく遅れているので(どうも最近のトワイライトみたいに)それが到着してからの「鹿渡(仮称)」号の発車となるでしょう。
どですかでん様
やあーなかなか面白い合宿でした。魚沼丘陵では「はくたか」を待っている20分ほどの間にさしていた傘に雪が積もって重くなり何度も払い落としました。またリックに雪が積もっていたのに気がつかず、乗車したものですから、リックを下ろした時にそこらに雪を撒き散らして白い目で見られました。越後岩沢と長野解散以後の話お聞かせください。
無事ご帰還おめでとうございます。報告記ではDRFCj指定旅館が雪に埋まったような印象を受けます。そうなればDRFC重鎮の生死が新聞種になったのではないかと、ひやりとしました。38豪雪を富山県西砺波郡福岡町で体験した老人は、今も大雪報道に「ひやり」としています。でも最近の大雪報道には台風並みの突風が伴っているようですが、老人が体感した時は酷い風は耳にしていません。1月9日から27日までしんしんと降りました。1月15日は上り大阪行き「立山」が
福岡駅で立ち往生しました。機関士に聞きに行きましたら「電気系統がやられた」とのこと。後続の貨物列車は中線に入り、牽引していたD51が単機で「立山」の編成をそのまま牽引して金沢に向かいいました。23日、富山発福井行き普通列車は福岡駅を前にして(約200M)立ち往生となりました。踏切で見ていた老人は牽引機C57にぼそぼそ歩いて近寄り、ハンマーで点検中の機関士に「どうしたの」と声をかけました。「罐の圧力が落ちてしまい、動輪の隙間から車軸中心廻りが凍ってしまったので自然に停車してしまった。今、助手が投炭して缶圧を上げるから、そのうちに走れるようになる」と言ってくれました。30分後に福岡駅に到着。老人はそれを見届け会社に向かい仕事に入りました。
乙訓の老人様
コメントありがとうございました。津南町のなだれのニュースの翌日、少し離れたところですが、同じ津南町で屋根の雪の重みで家が倒壊して、住人の方が生き埋めになったとのニュースも出ていました。幸い無事救出されたそうで、2件とも人的被害がなかったのは何よりでした。御大老の38豪雪のお話、興味深く読ませていただきました。あの時は福井、富山などの都市部でも2mを越える雪が降ったそうで、最近の大雪とは桁違いだったのでしょう。加えて当時は除雪用の機器も整っておらず、人力に頼ることが多くそれは大変だったと推察します。今回体験して雪国の大変さがよくわかりました。
86さん、狂化合宿の詳細レポートを有り難うございました。
凄まじい雪でしたね。雪崩にも遭わず無事帰ってこられたことを有り難く思います。
ところで、食事風景の写真がありますが、障子の上の小窓に見える白いものは雪で、建物が雪に埋もれている状況がお分かり頂けるかと思います。
翌日の日曜日、戸狩で乗り換えた長野行き2両の車内は外国人を含め満員、長野に近付くにつれ乗車人員が増え、結構ぎゅうぎゅう詰めになっていました。雪の長野からは小布施までスノーモンキーで行き、トレインギャラリーの2000系を眺め、旧東急各停で長野に戻り、大阪行き「しなの」で5時間余りの旅を楽しみました。飲み物等を持ち込みましたが、車内販売がなく、停車時間が短いの食糧補給が出来ず、つらいものがありますね。
ちなみに、行きがけはMAXときは高崎までで、水上までは湘南色の、六日町までは上越色の115系で力強い走りを楽しみました。
四十数年ぶりの鹿渡、皆さん、楽しい時間を有り難うございました。
マルーンさま
コメントありがとうございました。諸先輩方の絶妙掛け合いトークに時間を忘れて楽しませて頂きました。
私は16時の「しなの」に乗りましたが、車内販売がないと聞いていたので改札内の売店で弁当を買おうとしたら、売り切れで、仕方なく私もビールとつまみでしのぎました。結構混んでいたので、車内販売売れそうに思うのですが・・・それと、戸狩からの飯山線もそうでしたが、長野駅や長野電鉄でも外国人を多く見かけ、円安の関係からか外国の観光客が増えているのを感じました。
大津のハチロク様&皆様
米手様、マルーン様他皆様と半世紀近く前に行った狂化合宿時と基本的に似たような天気でした。終日雪まじりの曇天で青空を見ることができず高崎で快晴になってほっとしたのと同様、今回は松本で晴れてほっとしました。大津のハチロクさんには大変お世話になりました。どですかでんさんと越後岩沢で雪中撮影を行い最も遅く宿に着いたので急いで風呂に入りました。50度くらいあったのでしょうか相当量の水を入れるのに苦労し、風呂を出ると鹿渡名物の勾配1000分の33の廊下のあたりや夜中に頻繁に用事のある便所を含め館内は抜群に冷えており翌日風邪をひいたようです。高齢者にはこたえる旅でしたが、降雪の中、長野電鉄でもう一仕事して松本からスーパーあずさ28号で遅延することなく無事に帰りました。
準特急様
コメントありがとうございました。今回上越線の乗車は初めてでしたので、例の「国境のトンネルを越えると雪国だった」を実感し、雪国を堪能しました。
前日東京で遅くまで痛飲した上、朝早くから上野まで出てきて頂いてお疲れ様でした。高齢者にはこたえる旅と書かれていますが、なんの何の、フットワークの軽さと、健啖ぶりにはいつも感嘆いたします。また次回御一緒させていただくのを楽しみにしております。