モハ54003~54005に寄せて

54004 49-4-29
クモハ54004+サハ78+クモハ54107+クハ68060 /仙石線陸前富山~陸前大塚 (49-4-29)

「昭和の電車」に久し振りに国電が登場した。
モハ54の内、ノーシル、ノーヘッダーの24003~54005を取り上げて解説されておられるが、モハ54のオリジナル車全体について解説する。(以下戦後の動きについては、昭和36年6月1日の称号改訂以降のクモハを使用する)

戦後クモハ60の座席をセミクロス化したクモハ54100番代の解説は今回割愛する。

クモハ54について
昭和12年モハ51の主電動機を128kwのMT30に変更した形式で、001、002の2両新製された。スタイル、室内等はモハ51と同じである。

15年003~005の3両が増備され、スタイルはノーシル・ノーヘッダー、張上げ屋根、ヘッドライト埋込となった。(関 三平さんのイラスト、解説)
003は、20年6月淀川電車区で戦災に遭い廃車された。この3両は全車奇数向き(上り向き)であった。

16年006~009の4両が増備されたがスタイルは元に戻された。
向きは、001、002と共に奇数車奇数向き、偶数車偶数向きの車号通りであった。

戦災で廃車となった003を除く8両は、本線緩行(京都~西明石間の各駅停車)に使用されていたが、41年以降飯田線、大糸線、仙石線に転属し、それぞれの地域で活躍後廃車になった。

クモハ54001/上:大阪駅 (40-6-10)  下:伊那松島機関区 (49-9-21)
昭和12年7月川崎車輌製、42年9月11日伊那松島区に転属、59年2月10日廃車。
101-37.Mc54001aka.1i.65...Osa
54001 46-9-21

クモハ54002/上:京都駅 (40-11-1) 下:宮田駅 (52-5-4)
昭和12年7月川崎車輌製、41年12月13日伊那松島区に転属、53年10月19日豊橋区に転属、58年8月25日廃車
54002 40-11-1
54002 52-5-4

クモハ54003
昭和15年10月日本車輌製、20年6月7日淀川区で戦災(焼夷弾)により焼失、21年11月28日廃車

クモハ54004/上:大阪駅 (40-6-5)  下:下馬駅 (48-4-30)
昭和15年10月日本車輌製、42年5月25日陸前原ノ町区に転属、51年5月20
日廃車
偶数番号であるが、奇数向きであった。
101-33.Mc54004aka.1i.65...Osa
717-13.Mc54004riha.73.4.30Geba

クモハ54005/上:京都駅 (41-2-14)  下:信濃大町駅 (48-3-25)
昭和15年10月日本車輌製、42年5月25日陸前原ノ町区に転属、46年4月28日北松本区に転属、56年9月16日廃車
Mc54005aka.66.2.14Kito.maru.117-21
691-32.Mc54005kima.73.3.25Machi

クモハ54006/豊橋駅 (48-9-1)
昭和16年12月汽車会社製、41年12月14日豊橋区に転属、53年10月19日伊那松島区に転属、59年2月10日廃車
54006-2 48-9-1

クモハ54007/上:京都駅 (42-7-13) 中:豊橋駅 (48-9-1) 下:小坂井~下地 (50-1-2)
昭和16年12月汽車会社製、44年8月30日陸前原ノ町区に転属、46年4月28日豊橋区に転属、53年12月20日廃車。
仙石線時代にベンチレータを押込型に取り換えられた。
54007 42-7-13
54007 48-9-1
54007 50-1-2

クモハ54008/天竜峡~千代 (48-7-28)
昭和16年12月汽車会社製、41年12月20日豊橋区に転属、54年3月9日廃車
54008 48-7-28

クモハ54009/上:京都駅 (40-6-19) 下:辰野駅 (46-9-21)
昭和16年12月汽車会社製、41年12月20日豊橋区に転属、53年10月19日伊那松島区に転属、58年12月20日廃車
54009 40-6-19
54009 46-9-21

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