ほくほく線列車を撮る
八木原から上越線の普通列車で北上する。明るいうちの乗車は初めてなので、窓外の景色に興味津々で、鉄道誌でよく見かける鉄橋を通るたびに、一人で歓声を上げる。新清水トンネルの中の湯檜曽・土合の地下駅の様子もよく理解できた。水上で乗り換えて下車したのが大沢、対向ホームだけの静かな小駅で、眼前には谷川岳など上越の峰々が連なっている。
越後湯沢で新幹線に接続し、ほくほく線経由で北陸本線方面へ向かう特急「はくたか」は、来年3月の北陸新幹線の開業で全廃がアナウンスされている。北陸・信越本線では、「はくたか」など485系狙いもあって賑わっているようだが、私はまず上越線からの始動となった。
▲大沢に着いてダイヤを確認する間もなく、やって来たのが北越急行683系、一瞬、「はくたか」と思ったが、ダイヤを調べてみると快速の831Mだった。「はくたか」の間合い利用で、こんな豪華で長編成の快速列車が走っているのだった。
▲続いての通過は、これも想定外のEF64の甲種輸送列車だった。後ろには、南武線用として新津製作所で製造された233系8000番台が連なっていた。EF64は上越線の貨物牽引の役目は終えているようで幸先良いスタートだった。
線路沿いの小道を行くと右手に緩くカーブしている地点に着く。カーブを曲がり切ると、もう次の駅、上越国際スキー場だ、同駅は平成9年の設置で、両駅間はわずか1キロと、上越線では異例の短区間だ。待っている間に次つぎ列車がやってきて、なかなか効率がいい。
▲これは正真正銘の「はくたか8号」、JR西6連+北越3連の9連だった。
▲一般車両で運転される快速、HK100-10+HK100-9
ほくほく線内の160キロ運転は有名だが、上越線区間でも、2連とはいえ中間駅は通過で、六日町~越後湯沢は表定速度70キロの俊足だ。余談だが、ほくほく線はワンマンのため線内での中間改札・車内改札がなく、18きっぷなどのフリーきっぷでは、運賃の授受は乗客の自己申告に頼る以外にない。悪意がなくても、JR線-ほくほく線-JR線を通しで通過してしまう。車内には運転士へ精算を申し出るよう注意書きが貼られているようだが。
北陸新幹線開通後、ほくほく線の運転計画は明らかにされていないが、普通列車の本数を維持したうえ、一部を快速として、越後湯沢~直江津を直通させることを計画しているようだ。北陸新幹線は直江津へ寄らないため、従来どおり、越後湯沢乗り換えのほうが、時間的にも費用的にもメリットは多い。
▲貨物列車はもっぱらEH200、関西では見られない独特のスタイル。 ▲普通列車は、水上以北は、新潟車両センターの115系S編成2連が基本。
ほくほく線の160㌔/時走行如何でしたか、老人は年甲斐もなく在来線で高速運転列車には乗りたい人種です。昨年関東支部の方を誘ってスカイライナーを乗りに行ったのもそうなのです。
感想はもう一つやな、と犬伏さんと二人でぼやきました。またシートが固く、これで「特別料金をよくも取りよったなぁー」でした。「はくたかなら大丈夫」ですよね!
信越線では6連の185系の長野発6連快速を直江津で15年前に見たことがあります。
それより新潟色の115系、まだ健在なのですね。JR東は東京圏の中古ステンレス車をまだ雪国へ追っ払っていないのですね。老人はどちらかと言うとどぎつい湘南色は好きになれません。スカ色が好きですが、新潟色を最初に見たとき、こいつは雪国にぴったりやと思いました。雪国は曇天多く陰気なのです。どですかでん君、そうだったでしょ!
乙訓の長老様から声をかけられたならば、返さなければならないでしょう。ということで、確かに雪国は曇天が多く陰気だが、時々、からっと晴れる時があり、その時は爽快な気分になったものです。ほくほく線は富山から出張で東京に行くとき乗ったが、確かに速い。かつて、ルートは違うが浦川原までこの地を頸城鉄道が走っていたと思いながら「はくたか」に乗っていたことを思い出しました。しかし、おなじ115系でも広島地区の115系とは違って新潟の115系の新潟色は美しいと思います。最近、尾道、福山あたりをうろちょろしましたが、115系の食パン電車にはびっくりしました。ところでこの115系の座席は背もたれが直角のものなのでしょうか。転換式もいいですが、この座席も意外とよかったと思うのですが。もう絶滅種なのか、かろうじて絶滅危惧種のでしょうか。新潟の115系はどうでしょうか。
乙訓の老人様
色の好みは人それぞれだと思いますが、乙訓の老人様の言われる「スカ色が好きですが、新潟色を最初に見たとき、こいつは雪国にぴったりやと思いました」とは失礼ですが新潟色初代の旧国の赤と黄ではないでしょうか。それとも話題になっている福田さんが撮られた2代目のライトグリーンなのでしょうか。今回の掲載にはありませんが濃淡の青の3代目なのでしょうか。新潟地方には弥彦線に弥彦色と言われているような黄色の115系もあるようです。
福田静二様
このあたりは数年前の大河ドラマ直江兼続に関係する地で上越国際スキー場の近くに城跡があります。天気に恵まれてよかったですね。上り列車の順光には時間が早いのかもしれませんが、115系とEH200の見上げる角度の撮影に感心しております。元来、バカの一つ覚えで俯瞰好きな私ですが、このような角度にすると空の青さがよく出てさらに雲があるため生き生きとした写真に見えます。線路際の狭い場所で苦労されたと思いますが結果的に清々しい写真です。
乙訓の老人さま
コメント、ありがとうございます。“新潟色”と言えば、準特急さんの言っておられるように、昭和37念の新潟電化の際に転入した旧国やスカ形に塗られた、赤と黄の塗り分けを指すようです。雪のなかでも目立つようにと塗られたと聞きますが、当時は評判が悪く、鉄道誌にも悪評が書かれていたことを覚えています。ただ、今から見ると、懐かしい色として映りますね。115系の進出で、この色は消えました。
どですかでんさま
115系の座席ですが、高崎、新潟とも、例の直角のクロスシートでした。ただ、いずれもリニューアルされており、モケットを張り替えて、バケット式になったり、ヘッドレスト付きになったりしていました。山陽筋の転換式も含めて、115系は外部色だけでなく、アコモにも地域色が出て、楽しいですね。
準特急さま
直江兼続の城跡と言えば、坂戸城でしょうか。調べてみると、確かに南魚沼市にあって、すぐ近くにあるようです。改めて準特急さんの見識の広さに脱帽です。115系やEH200の見上げた写真ですが、たまたま線路下から撮らざるを得ない場所だったに過ぎません。見上げた写真は、青空バックで迫力は出ますが、たとえばEH200は、パンタの一部が隠れてしまっていますね。あまり見上げるのもどうかと思いました。
お言葉を返すことになりますが、確か関西から転属のモハ、クハが赤と黄に塗られた色を見たのは38豪雪の前やったか後やったかなと考えているうちに、醜い塗分けやったと思い出し、色の事を飛ばしたようです。豪雪の後に見たのです。新潟に富山から出張した時に長岡で目に留まったことになります。雪がやんだときは目立つでしょうが、吹雪の中では全ての色を覆い隠してしまいます。1月10日から2月5日まで吹雪の中で生活した思い出は今も拭い去ることが出来ません。こうした時に唯ひたすらに春を呼び込む陽を待ち望んでいるのです。それは赤や黄ではなく新芽の色です。今も時折豪雪に近い生活(自動車エンコの姿)をテレビで見ますが、雪との戦いは地球の温暖化と言われている今日でもまだまだ続くのでしょうか。