一枚の写真から  どっこいしょ、ちょっとひと休み  国鉄津山駅

 西村さんの『「行商列車」を読んで』の投稿を見て、思い出したのがこの一枚の写真です。 S-MN津山駅001 1974年3月13日に国鉄津山駅で撮った写真です。ちょっとだけ入換用のDE10が写っています。3番線には気動車が出発待ちです。真ん中に大きな荷物を背負ったおばさんが立っています。あれあれ、よく見るとゴミ箱に背負っている大きな荷物をちょっとのせています。列車が来るまで、少しでも楽をしたいのでしょうか。3番線の列車は拡大して見ると行き先サボは鳥取という文字が見えます。因美線を通って鳥取に行くようです。そうすると岡山方面の列車を待っていたのでしょうか。ところで、この写真の次に写っているのは三江南線0番線ホームです。我々は津山から姫新線、芸備線で三次へ行ったのかどうかよくわかりません。(この時はK君と一緒に中国山地ブラブラをしていたのです。)ひょっとしたら三次で泊まったかもしれません。そうしないと三江南線には乗れなかったのです。まさか、岡山経由で福塩線か芸備線なのか、そんなアホなことはしていないと思いますが。姫新線、芸備線に乗った可能性が高いのです。そうするとこの行商をしていると思われるおばさんは姫新線の列車を待っていたのでしょうか。とにかく、津山から三次へ行ったのは間違いないのです。

 ところで、ホームの向うに制服姿の人だかりがあります。これも拡大してよく見ると国鉄職員の人だかりのようです。ひょっとしたら転勤のお見送り。頃は3月13日です。そして、雪が降っていました。まもなく、この写真から42年になります。

 津山から三次へ、そして三江南線の写真の次は倉吉線の関金駅が写っています。どんな旅程なのかさっぱりわかりません。どうも中国山地を鉄道でブラブラしていたようです。そんなことができた時代でした。

一枚の写真から  どっこいしょ、ちょっとひと休み  国鉄津山駅」への7件のフィードバック

  1. どですかでん様
    タイムリーな投稿ありがとうございます。こういうカットが今となっては貴重な1枚です。3番ホームのDCはキハ20242のようです。当時は岡山気動車区所属です。その先の車を良く見るとバス窓で中央にも扉があることから同区所属のキハユニ15だと思われます。同区にはキハユニ15が1、3、11の3両いたのですが1、3はバス窓ではなく客車のような1段上昇窓ですから、写真の車両はキハユニ1511と推定されます。もし11であればもともと湘南電車スタイルの正面をキハ17のように貫通式に改造した珍しいキハユニ15です。前に回って写したコマはありませんか。さておばさんは歩きやすい靴から見ても間違いなく行商のおばさんのようです。「行商列車」には因美線の行商人の詳しい記述も出てきます。それによると因美線の行商人の中には鳥取の梨栽培農家から多少傷のある二十世紀梨を安く仕入れて、これを津山線や姫新線沿線に売り歩いた人もいたと書かれています。このカットは3月ですから梨ではないでしょうが、単に街歩きでお得意さんを回るだけではなく、列車内で他の行商人と商品の売り買いもしていたようです。3番ホームの列車が鳥取行きだとするとこのおばさんがホームでどこ行きの列車を待っているのでしょうか。3番ホームの列車は鳥取から津山に着いたところで、折り返し鳥取行きとなる。この列車に乗ってきたおばさんは津山で乗り継いで津山線か姫新線沿線へ向かう途中と思われます。鳥取へ帰るなら荷は軽いはずですが、重い荷を背負っているなら理にかなっています。一旦荷を地面に降ろすと男性でも一人で立ち上がれないほどの重量だったようで、ゴミ箱やベンチに乗せたとの記述もあります。客車ではデッキに置いておいてステップを降りてからかついだとも証言されています。高齢になって行商をやめた人の多くが腰を痛めていたとのことでした。転勤者の見送り風景は今でもあるのでしょうか。駅弁売りのおじさんたちも気にして見ているようです。私も仕事現役時代には9月末や3月末にはよく転勤者の見送りに駅に行ったことを思い出しました。嫌煙が言われない時代ですから柱のあちこちに灰皿がありますね。津山駅はよく利用したこともあってなつかしく、1枚の写真で約1時間楽しませてもらいました。中国山地のブラブラ旅の何気ない風景をまたご紹介下さい。ありがとうございました。

    • 西村雅幸様 一枚の写真で1時間も楽しんでいただいたようで、うれしく思っています。キハ20242は大当たりです。番号を書こうと思ったのですが、やめておいたのです。その次の車両はキハユニではないかと思っていたのですが、そんなに珍しい車両だったのですか。残念ながらこの写真のひとつ前は津山城址で撮った記念写真、そして次の写真は三次駅三江南線0番線の写真です。3番線の列車は折り返しの鳥取行のようです。乗っているお客さんも写っています。因美線の行商人のことは興味深く読ませていただきました。三江南線の写真を以前に投稿したので、次は倉吉線関金駅の写真でもご覧いただきましょうか。

      • どですかでん様
        倉吉線の写真も是非ご紹介下さい。昭和49年当時はC11ではなくDE10だったのでしょうね。私も倉吉線は何度か訪れていて思い出深い路線です。今では考えられない価格の学割の均一周遊券1枚と夜行の普通列車のおかげで長旅が出来たのがウソのようです。現在では外国人旅行者のための格安切符が飛ぶように売れているそうですが何かスッキリしないものを感じます。また愚痴が出てしまいました。引き続きの投稿をお待ちします。

        • 西村様 もう少しお待ちください。お楽しみに。ただし、今回も「一枚の写真から」ですので一枚だけの写真ですが。

  2. 大変興味深い写真を拝見しました。
    今昔の写真を整理していて、美作加茂駅のホーム上で行商人たちが仕事をしている光景の写真がありました。当時こういった風景がよく見られたのですねえ。行商人の方々の苦労さなど大変だったことと思います。

    • 写真を整理していると、思ってもよらぬ写真がでてきますね。時々とんでもない写真がでてきます。私も家族のだれが撮ったかわかりませんが、宇高航路の貨車航送船の写真がありました。このような写真が出てくるとビックリします。行商といえば、移動スーパーも行商みたいなもんですね。形態が変わっても必要なものは生き残っていると思います。これから先、新しいものがどれだけ残っているかわかりません。新しい生活様式と言っているのは、実は忘れていたかつての生活様式だったりして・・・ これからもデジ青をよろしくお願いします。

  3. 貴重なお写真拝見しています。津山の郷土を調べているので、大変参考となるものです。美作加茂駅で行商人たちが売買をしている写真が記録資料館に保存されていて見たことがあります。

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